周辺の歴史 その18

17 日産栃木工場と上三川町-その2-
 
○上三川町にできた日産栃木工場では、昭和43年(1968)にアルミと鉄の鋳造、翌年には車軸の機械加工・組立を開始しました。そして同46年、組立工場の完成にともない、車両の最終組立までを行う一貫生産体制を確立し、さらに同48年(1973)にはテストコースも完成しました。

○敷地面積は、日産の国内工場では最大の約2922ha(東京ドーム約63個分)を誇り、従業員数は昨年6月時点で約5500名、年間生産台数は約25万台、シーマやフェアレディZなどの高級車、スポーツカーを生産しています。

○さて、これほどの大工場ができたことにより、上三川町の人口は増加し始め、工場ができた昭和43年には17000人ほどだったのが、5年後には35%増の23000人余りとなりました。

○そして日産が納める税金などにより、上三川町の財政状況も大きく好転しました。具体的にいうと、昭和43年度の当初予算は2億2600万円ほどでしたが、わずか2年後には3倍近い6億2584万円に跳ね上がり、同47年度には上三川町はついに地方交付税不交付団体となったのです。

○上三川町では、これにより、それまで他の県内市町村に比べてやや見劣りしていた公共投資を積極的に進め、町内小・中学校施設の新設・増設などにもこれがあてられたのです。