周辺の歴史 その15

その15  「土方歳三(ひじかたとしぞう)と上三川」
 
○皆さんは、新撰組の副長だった土方歳三が上三川の地に来ていたことを知っていましたか。
 
○幕末維新期、下野国内各地では新政府軍と旧幕府軍との戦いが繰り広げられました。慶応 4・明治元年(1868)4月、新政府軍は江戸城をおさえましたが、なお戦いを続けようとした旧幕府軍の一部は、徳川家の聖地である日光をめざし、二手に分かれて北進を始めます。
 
○このうち前軍を率いたのが、土方でした。土方らは現在の千葉県市川市を出発し、 利根川、さらには鬼怒川の東岸沿いに進みました。そして下妻藩や下館藩に出陣を求めましたが、十分な協力が得られず、そのまま4月18日には下野に入りました。
 
○土方らは翌日、下野における新政府軍側の一大拠点となっていた宇都宮城を攻略することを決め、この日は満福寺(上三川町東蓼(たで)沼(ぬま)、本郷小学校のすぐ東)に宿営したのです。

○そして翌19日朝、たまたま捕らえた黒羽藩(新政府方)の偵察兵3名を軍神への手向(たむ)けとして寺の門前で処刑した後、宇都宮へ向け出陣しました。
 
○戦いは、最新式の軍隊だった土方軍の圧倒的勝利に終わり、宇都宮城は旧幕府方の手におちましたが、焼け方があまりにもひどかったため、土方らはいったん満福寺に戻りました。
 
○敗戦の知らせを聞いた新政府方は、江戸から多くの援軍を送り、結局4月23日に土方らは敗れて宇都宮城を放棄し(この時の戦いで土方は足を負傷)、日光方面へ逃げていったのです。