周辺の歴史 その8

8 戦国時代の東西交流-多功氏家臣石崎氏-
 
  ○戦国時代、本校周辺を治めていた多功氏には、石崎氏という家臣がいました。系図によると、もともとは伊予国(今の愛媛県)の武士で、南北朝時代なかごろに宇都宮家の当主氏綱から所領を与えられたことを機に下野へ移り、室町時代には宇都宮一族の多功氏に仕えました。


  ○伊予の武士が宇都宮氏から所領をもらうのは不思議に思うかもしれませんが、実は宇都宮氏やその一族は、鎌倉時代に同国の守護や地頭に任ぜられたりしていたのです。


  ○そして室町時代の伊予関係の信頼できる史料には、喜多(きた)郡(今の大洲(おおず)市付近)に祖母井(うばがい)氏や水沼氏など、下野国内を本拠とする宇都宮氏の家臣たちの名が複数見られます。つまり宇都宮氏は、伊予へ赴く際に彼らを引き連れていったものと推測されるのです。


  ○だとすれば、反対に伊予の武士が宇都宮氏の家臣となって下野へ移ってきても、おかしくはないでしょう。もし本当に石崎氏の出身が本当に伊予であったとすれば、現在までに知りうる唯一の事例ということになります。中世の人々は、われわれが思っている以上に頻繁に移動し、遠隔地に移り住んだりすることも珍しくなかったようです。


  ○石崎氏は、古文書によれば天正10年代の前半、主家の多功氏や、その主家である宇都宮氏に従い、北進を続けていた小田原北条氏との戦いに参加して、土地や役職を与えられたりしています。

  ○なお上で紹介した系図や古文書は、今も町内に住むご子孫が大切に受け継ぎ、保管してきたものなのです。