2024年9月の記事一覧

小高生へ(13)

「ありがとう」と言ってみよう!!

 「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。

 私たちは、それぞれに様々な悩みをかかえています。何も悩みがないという人はきっといないと思います。学業や仕事についての悩み、人間関係や家族についての悩み、将来についての悩み、健康についての悩み、人生や生きる意味についての悩み等、いろいろな悩みがあるのではないでしょうか。
 悩みに対して、すぐに答えが見つかればいいのですが、中にはどうにもならないと思える悩みもあります。「青春時代」というとキラキラした明るいイメージがあるかもしれませんが(それもひとつの側面ですが)、大人への階段を昇っていく過程は不安定でもあり、場合によっては孤独な思いに強くとらわれることもあります。
 悩んでいる時には、「なぜ自分ばかりがこんなに苦しく、さびしいのだろう」と思いがちです。でも、悩んでいてさびしいのは「自分だけじゃない」のです。生活するということは楽しいことばかりではなくて、それはみんながきっと同じではないかと思います。私たちの社会は、競争の原理が大きな比重を占めています。勉強も、部活動も、スポーツも、芸術の領域にすら競争は幅を利かせています。もちろん、競争は悪いことばかりではなく、それをとおして互いに励みあい、よい意味での刺激を与えあえるものでもあります。でも、競争には「勝ち負け=優劣」があり、勝者の傍らには必ず敗者が存在します。そして、他人からの評価に関して言えば、私たちが他人から受ける評価は、概して自分で思っているよりも低くなりがちだと言われています。「あんなに頑張ったのに」と感じてしまう場面が、生きていく中ではきっとあるはずです。
 そんな時、これは自分のせいではなく、自分以外の誰かのせいだと考えたくなったりします。誰かを責めたくなる気持ちになるかもしれません。誰かをおとしめて、自分をその人よりも上に置きたくなるかもしれません。そういう気持ちになった時には、自分の思いを否定するよりも、「そうなんだ」と受け入れ、ありのままの自分の思いを認めてあげていいと思います(きっと誰もが同じ気持ちになったことがあるから)。でも、自分や自分以外の誰かを責めたりする必要はありません(そんなことをしても何にもならなくて、かえって自分を追いつめてしまうだけだから)。では、どうしたらいいか。さびしい気持ちや悔しい気持ちを認めたうえで、「自分がもっている」ものに目を向けてみてはどうかと思います。
 今日は朝食がおいしかった、外に出たら風が気持ちよかった、友だちと「推し」について話せて楽しかった、部活で苦手なテクニックを少し克服できた・・・。何でもいいので、「よかった」と思えることを見つけて、心の中で(声に出してもいい)「ありがとう」と言ってみてはどうでしょう。私たちは「現在」のことを考えるよりも、「過去」のことを思い返したり(後悔)、「未来」のことをマイナスに予想したりして(不安)、クヨクヨしがちであると本で読んだことがあります。今、自分がもっているものに目を向けて、『感謝』と『前向きな気持ち』で生活していると、不思議とよい方向に変わっていくものです。
 周りの人にも、「ありがとう」と言ってみることを勧めます。「ありがとう」は人間関係を好転させる魔法の言葉です。友人や家族に、たくさんの「ありがとう」を贈ってみてください。どんなに「ありがとう」を重ねても、「もう結構」と言う人はいないはずです。私もあなたに贈ります。『校長室より』を見てくれて「ありがとう」!!

小高生へ(12)

今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!

 「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。

 先日(8月31日)、本校の学校祭である「聡輝祭」が開催されました。数日前には台風の接近が懸念され、一時は予定通りできるか心配でしたが、当日は多くの方が来場し、楽しんでいただけたことを大変うれしく思います。
 さて皆さんは、私が聡輝祭オープニング・セレモニーの中で述べた生徒たちへのメッセージを覚えているでしょうか。「今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!」です。

 高校時代は一度きりのものであり、青春時代も限りあるものです。今日という日も、二度と戻ってきません。(だから、楽しむ時には、思う存分楽しんでほしいと考え、上記のメッセージを送りました。)
 私は高校時代、「年を取る」ということについて全く自分事として実感できていなかったと思います。自分が50代、60代になる時は永遠に来ないかのように感じていました。でも実際は、そういう時が間違いなくやってきます(若い高校生である皆さんにも!)。

 私が愛してやまない漫画に、『エースをねらえ!』(作者:山本鈴美香)という作品があります。主人公の「岡ひろみ」(「テニス王国」と呼ばれる県立西高等学校のテニス部に入り、夢中になってテニスに取り組む)に、テニス部コーチの「宗方 仁(むなかた じん)」(岡ひろみの才能を見出し、猛特訓する)が次のように語る場面があります。

 「この世のすべてに終わりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、いつと知ることはできなくても、一日一日、一球一球、確実にその終わりに近づいている」
 「だから、燦(きら)めくような生命をこめて、本当に二度とないこの一球を精いっぱい打たねばならない」

 宗方コーチは、自身が選手であった時、テニスに心底打ち込み、優秀なプレーヤーであったにもかかわらず、突然の足の故障のために選手生命の終わりを迎えなければならなかった人物として描かれています。自らのつらい経験をふまえ、若い岡ひろみに、「自由に動けるうちに、自由に走れるうちに、悔いのないプレイをしておけ」と、テニスだけにとどまらない、「人生の忠告」とも言える教えを与えるのです。
 この言葉の意味を、若い皆さんはどれだけ実感をもって理解できるでしょうか。私たちは、何気ない日常を当たり前のものとして過ごしていますが、今日という日は二度となく、高校時代も確実に終わりに近づいていきます。その限りある大切な日々の意味を心に置いて、「燦めくような生命」をこめた時間を過ごしてほしいと、私は思います。
 時に「未来」や「将来」のために、「今」を捧げなければならない必要があることは確かです。部活動で大会に勝つためや、大学入試で合格を自分のものにするためには、ある程度は、というより、かなりの程度の努力、忍耐、我慢が求められます。ただ、その努力、忍耐、我慢は、一見地味で「泥臭い」ものに思えたとしても、後になって振り返ってみると、やはり「燦めくような生命」をこめた時間だったと気づく時がきっとあります。本当に好きだと思える「何か」、そして全力で取り組める「何か」を見つけられたならば、その「何か」のための努力には精いっぱいの「燦めくような生命」をこめることができるはずです。
 皆さんの「何か」は何ですか? 二度とない青春時代です。どうか「悔いのない」日々を過ごしてください。夢や希望を胸に抱き、困難に負けずに生きる意志をもち、自らの若いエネルギーを「打ち込める何か」に思い切りぶつけていってください。自分の存在を懸けて生きる「今」という瞬間を楽しみ、その思い出を胸に刻んでください。
 頑張れ、小高生!! いつも応援しています。