校長室便り

校長室(自宅)便り③

GWの最終日となりました。GW中、最後の校長室(自宅)便りです。
またまた、本の紹介(3回目)です。基本的に自宅にいましたので、こんな内容でご容赦ください。

①更科功(さらしな・いさお)著
絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか(NHK出版新書、2018年1月発行)
② 川端裕人(かわばた・ひろと)著、海部陽介(かいふ・ようすけ)監修
我々はなぜ我々だけなのか   アジアから消えた多様な『人類』たち(講談社、ブルーバックス、2017年12月発行)



人類の進化については、中学の社会の歴史分野や、高校の日本史や世界史で学びますが、あまり人気のない時代なのかも知れません。確かに、新撰組の土方歳三の写真を定期入れに入れるレキジョはいるかもしれませんが、ネアンデルタール人の復元図を持ち歩いている人はいそうもありません。ところが今、人類の歴史に関する新事実が次々に判明し、人類学の常識自体が変わっています。上記の2冊は、ほぼ同時期に出版され、人類進化の謎を紹介したベストセラーです。

現在、人類と呼べる種は、「ホモ・サピエンス」しか存在しませんが、過去には、複数の人類が地球上に存在していました。なぜ、「ホモ・サピエンス」だけが生き残ったのでしょうか。これが、両著に共通する大きなテーマでもあります。

「暖炉がヒーターに変わり、洞窟が住居に変わっても、あなたの隣の家にはネアンデルタール人が住んでいたかもしれない。」(①の終章、「人類最後の1種」より)

「現生人類であるぼくたちは、すぐに肌の色や目の色の違いで区別したがるけれど、比較にならないくらいの多様性が過去にはあり、それがむしろ当たり前だった。ほんの数万年前までのにぎやかな世界に思いを馳せると、一抹の寂寥感を抱かざるを得ない。本当に、ぼくたちはどうして「ぼくたちだけ」になってしまったのだろうか。」(②の「はじめに」より)

次に本の内容について紹介します。

①「絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか」では、まず、どのように人類が誕生したのか、「人類進化の謎」について説明し、次に、ネアンデルタール人など、「絶滅した人類たち」に関する仮説を紹介しています。そして最後に、「ホモ・サピエンスはどこに行くのか」で、なぜ「私たち」だけが生き残ったのかについて、自説を展開します。

一方、②「我々はなぜ我々だけなのか  アジアから消えた多様な『人類』たち」では、次々と新発見が続くアジアの多様な原人(フローレス島の小さな人類、「ホビット」こと「フローレス原人」、台湾の海底で見つかった「澎湖人」、シベリア地方の「デニソワ人」など)について、化石発掘現場などを丹念に取材し人類進化の謎を紹介しています。

これらの本を読んで印象に残った点をいくつか紹介します。

①では、
・ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、同時期に生活しており、交雑も行われていた。ホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人が数万年かけて進化させた寒い環境に適応させる遺伝子を交雑で手に入れることができた。
ホモ・サピエンスは、他の人類より、高度な言語が発達し、桁違いに高度な社会を発展させることにより、世界中、「どこでも生きていける」生物として、子孫を増やすことが出来た。

②では、
・かつては多様な人類が存在しており、それらはそれぞれの環境に「閉じ込められ」ていたがゆえに、環境に適応させ、身体の特徴はそれぞれ多様であった。それに対して、現在のホモ・サピエンスは、「どこにでも行くことができ」たため、身体的な特徴は、均質である。
・21世紀になって、さらに均質化の傾向は加速している。身体のつくりにかかわるハード面ではなく、文化などのソフト面でとくにそれが進んでいる。移動と交流と共有と均質化という大きな流れはもう止められない。

最後に感想です。
①「どこでも生きていける」、②「どこにでも行くことができる」というホモ・サピエンスとしての特徴によって、現在は、グローバル(全地球的)につながった世界になった。私たちが、グローバルについて考える際、自分たちが「ホモ・サピエンス」(という種)であることから、逃れることはできないのではないか。…

…なんてことを考えました。自分が何者かに疑問を持った時、ぜひ読んでみてください。もし、どちらか1冊と聞かれたら、②をお勧めします。②は文筆家(川端さん)が人類進化学者(海部さん)を取材したドキュメンタリーでもあるので、第三者(シロウト)の視点から人類学をとらえています。