校長室便り

校長室(自宅)便り②

今日は連休2日目です。前回(4月26日)の校長室(自宅)便り①に続き、2回目をお届けします。今回も本の紹介をします。(長文になってしまいましたので、興味のある方はどうぞ)

(1)池田清彦監修 月刊つり編集部 編 「池の水 ぜんぶは 抜くな! ~外来種はみんなワルモノなのか」(2019)
(2)フレッド・ピアス 藤井留美=訳 「外来種は本当に悪者か? 新しい野生 the New Wild」(2016)




の2冊です。 なぜ今、これらの本を紹介しようと思ったのか。それは、テレビ東京で2017年から放送が始まった「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」が大人気で、「外来種=ワルモノ」とみなす風潮が強くなってきていることに加えて、最近は、新型コロナ感染者や最初に発症したアジアへの差別など、「悪者とみなした者への差別」や「思考停止」ともとれるような考え方が、世の中に広がっているように感じるからです。
そこで、そもそも「外来種=ワルモノ」という考えが正しいのかどうか、ここから考えてみてはどうかと思いました。

私にとって、外来種がワルモノなのか?を考えるきっかけとなったのは、本校の科学部でのカメ研究です。カメ研究は、平成20(2008)年度に生徒有志により生物同好会が発足し、その年の夏からカメの生息分布調査を始めたことからスタートしました。身近にカメが生息していること自体が驚きでした。
カメのいそうな場所にワナをしかけると、外来種のミシシッピアカミミガメと在来種のクサガメが、多数捕獲できました。やがて研究は、在来種であるクサガメの保全対策と外来種であるミシシッピアカミミガメの駆除対策を探る、という方向に発展していきました。両種の個体に発信器を取り付けて、その生態の違いを解明するなど、クサガメの保全に向けた材料が着実に蓄積されていました。


     (背中に発信器を付けたクサガメ)

ところが、2010年8月3日、日本の在来種とされてきたクサガメが、大陸から持ち込まれた外来種だったことが、京都大などの調査で判明し、固有種のニホンイシガメの遺伝子や生態系へ影響を与えている恐れがある、ということが日本進化学会で発表されたのです。本州、四国、九州の野生のクサガメ134匹のDNAを分析したところ、103匹は韓国産と同じタイプで、日本の各地域による差がほとんどないことから、最近、移入したものと結論されました。さらに、文献調査により、18世紀初めに記載はなく、19世紀初めに記載されていることなどから、18世紀末(江戸時代)に朝鮮半島からもちこまれたと推定しています。

発表当初は、カメ研究者の間で、その真偽を巡って大激論がありましたが、現在では定説として、完全に定着しています。つまり、この日を境にクサガメは「在来種→外来種」へと転落しました。今までは保護の対象だったのが、一転、ほぼ無視(イシガメの生息地では駆除!)という状況になってしまったのです。今でも、クサガメを見ると、あれ以来、無視してしまっていることに心が痛みます。

一般に、外来種と呼ばれるのには、「明治時代以降に」「人間の活動によって移入」してきた生物、という重要な要素があります。また、国内で人間が生物を移動させた場合も「国内移入種」と呼ばれる外来種とされています。いずれにせよ、人の手が運んできた生きもの、ということになります。

例えば、さかなクンが発見して有名になった「クニマス」も国内移入種(→外来種)になります。もともとは秋田県の田沢湖に生息していたクニマスは、すでに絶滅していましたが、移入先の西湖(富士五湖の一つ、山梨県)で、さかなクンが発見したのです。また、日本では絶滅してしまったトキは、中国産の個体が佐渡で繁殖されており、厳密にいえば、外来種ということになります。


池の水 ぜんぶは 抜くな!」の池田さんが整理した、外来種が在来種に悪影響を及ぼす場合として、以下の3点があげられています。

 ①在来種を捕食する(ブラックバスなど)
 ②在来種と競合する(外来種カダヤシと在来種メダカなど)
 ③在来種と交雑する(オオサンショウウオと交雑するチュウゴクサンショウウオなど)

「これらはもちろん事実であるが、実際にどの程度の影響があるのかは、種によって、あるいは場所によって異なる。つまり明らかに駆除すべき種と、それほど影響のない種が混在する。そしてそれほど影響がない場合でも、外来種というレッテルが貼られれば、その命が奪われてしまうケースが多々あるのだ。」

「また、外来種の駆除は、多くの場合とても困難で、現実的には不可能という種も数多くいる。例えば、1つの池で外来種をある程度減らしたとしても、国内から駆除することは無理だ。」

「つまり、事実上駆除が不可能で、なおかつ影響があまり大きくないと判断できるなら、外来種にもっと寛容であってもよいのではないだろうか。」
(以上、「池の水 ぜんぶは 抜くな!」の「はじめに」から抜粋。)

外来種=悪」は単純すぎる考え方で、外来種問題は「ケース・バイ・ケース」で考える必要があるのではないか、子どもたちには正確な知識を、と提唱しています。

さらに、「外来種=悪」から、外来種を駆除(殺処分)するため、子どもに無益な殺生をさせることが本当に正義なのか、と訴えます。

「外来種=悪」だから殺して当然。子どもたちが、生きものを殺すことに何の抵抗も感じなくなったとしたら、とても怖いことだと思いませんか? 生きものの命はすべて同じように大切です。外来種だから大切でないということはありません。人間の命なら、なおさらです。 

また、「外来種=悪」として行動することは、そもそも思考が停止しています。また、冒頭でも言及した、新型コロナ感染者や最初に発症したアジアへの差別など、「悪者とみなした者への差別」ともとれるような考え方が、世界中に広がっているように感じており、こうした風潮が広がることを、私は危惧しています。

以上が、(1)「池の水 ぜんぶは 抜くな!」の紹介でした。なお、この本は、「月間つり人」で行われた池田清彦さんとの対談から生まれたもので、その内容は「月間つり人」のHPで無料で読むことが出来ます。



https://web.tsuribito.co.jp/enviroment/ikeda-gairaishu1904

ここまで説明してきた外来種排斥の流れは、「過去の自然」や「手つかずの自然」を取り戻そうというのが目的でした。これは、現在の自然保護の考え方でもあります。そこには、「手つかずの自然」が存在する、という前提がありました。



(2)「外来種は本当に悪者か? 新しい野生 the New Wild」は、そもそも「手つかずの自然」は想像の産物にすぎない。世界中、どこを探しても、もはや、「手つかずの自然」は存在しない。すべて、人によって作られた自然であることを証明しています。つまり、外来種が入り込んだことによって、現在の世界中の自然は作られている。そうした外来種の活力を活かして、自然の再生をめざすべきでは? という主張です。大きな発想の転換です。

現在、このような考え方は、まだ主流ではないかもしれませんが、「外来種=悪」という風潮は、やがて転換期を迎えると思います。(「池の水 ぜんぶは 抜くな!」もこの本の主張に基づいて書かれています。)

今後の自然保護に対する考え方が変わっていく際に、この本は、まちがいなく「バイブル」とされるような存在です。まさに、21世紀の自然保護を考えるための必読書です。

(ここまで、読んでくださいまして、ありがとうございます。)