歴史散歩7 逞しい女学生達

歴史散歩7 逞しい女学生達 本校は明治44年に創立され、大正4年に現在地に移り新校舎が落成した。この写真は落成当時のもので、正門が南側にあり、現在より校庭が狭いことがわかる。
 目を引かれるのは、校庭と地続きで校舎の前に広がる田畑である。このような光景の中にいたからなのか、当時の女学生達は農業に対して現在よりずっと親しみと実践能力を持っていたようである。昭和の初め頃の本校には、「家政部(後に園芸部)」という部活動があり、草花や蔬菜の園芸に励んでいた。校庭の一部のほか、約一反歩の畑地を借りて、根菜(馬鈴薯、大根)・葉菜(白菜、菠薐草)・果菜(インゲン、茄子、大豆)等を栽培し、養蜂をし、羊や兎や鶏を飼育し、ヘチマからヘチマ水を作り、温室でバナナやマンゴーの栽培(昭和6年頃)までしている。部活動ばかりではなく、各クラスでも真岡農学校から蚕2千匹を譲り受け、養蚕をしていた(昭和8年頃)。ペンを握っていた手で放課後は鍬を取り、その実りをバザーで販売し校友会益金を作ったとは、何と逞しい乙女達であることか。
 朝は海老茶色の袴に桜の徽章のベルトをきりりと締めて登校し、学業に励み、放課後は畑を耕していたことを想像すると、この写真からも乙女達のエネルギーが照射してくるようである。