2024年8月の記事一覧

小高生へ(11)

「人間万事塞翁が馬」
 ~「負けない」でいることが大事

 「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。

 「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじ さいおうがうま)という漢文を知っていますか? 私は、高校時代に古典の授業でこの漢文を学びました。こんな話です。

 昔、中国の国境近くに、老人が住んでいました。あるとき、老人が飼っていた馬が隣国に逃げてしまい、周囲の人々はこれを気の毒がりました。しかし老人は、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。果たして数ヶ月後、逃げた馬が足の速い馬を連れて帰ってきました。
 周囲の人々は祝福しましたが、老人は「どうしてこのことが禍(わざわい)にならないだろうか。いや、禍になるだろう。」と言いました。老人の家には良馬が増えましたが、老人の息子は乗馬を好み、馬から落ちて足を骨折してしまいました。周囲の人々は見舞いましたが、老人はまた、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。
 1年後、隣国が大軍で攻め入ってきました。若者たちは戦いに駆り出され、10人のうち9人が戦死しました。老人の息子は、足の怪我のために(戦いに出ることなく)命を落とさずにすみました。

 高校時代の私は、この漢文に対してあまり共感やリアリティーを感じることができませんでした。教訓めいた結論に強引にこじつけた昔話(フィクション)としか思えなかったというのが、正直なところです。でも、(高校時代から40年余りを経過した)今は、とらえ方が少し変わってきました。何が良くて、何が良くないということは、そう簡単に決めつけることはできないと考えるようになったからです。
 誰でも失敗や挫折はしたくないし、マイナス(禍)と思われる出来事にもぶつかりたくありません。しかし、失敗や挫折の経験が全くなく、不運に遭ったこともないという人はきっといないし、そうしたことがあるからこそ、私たちは「学ぶ」ことができるのだと思います。大切なのは「失敗、挫折、不運にどう向き合うか」であり、それが最終的に人生の意味を左右するのではないでしょうか。ここで、若い皆さんに勧めたいのは、「長い時間の流れ」の中で物事を考える(想像する)ということです。「人間万事塞翁が馬」は1~2年の間に起きたと思われるエピソードですが、私たちの人生はもっと長く続き、ある出来事が生じた当初はマイナス(禍)だと思われたけれども、その後の紆余曲折の中で「結局はあれでよかったのだ」とプラス(福)に転ずるというのは、実はよくあることなのです。ただ、プラスに変わるタイミングは様々で、数日後だったり、数ヶ月後だったり、数年後や数十年後のこともあります。つらいことや寂しいことがあっても、一見平凡に思われる日々を「かけがえのない」ものととらえて過ごし、自分と自分に縁ある人たちを大切にして、思いやりをもって生活していくと、ある時ふと光が射してきて、道が拓けたり視界が広がったりすることがあります。泣きたいような時があったとしても、「負けない」でいることが大事です。心優しい小高生の歩む道は、明るい光に照らされ、美しい花が多く咲いているはずです。微笑みを忘れず、朗らかに進んでいこう!!

小高生へ(10)

「楽しく生きる」

「幸せな時間を過ごす」

 ~結果だけが全てではない

 「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。

 世の中は「結果」で評価しがちですが、私たちの人生は結果だけが全てではありません。むしろどんな結果であったにしても、そこに至る「過程」の方が大切ではないでしょうか。人生の節々における「結果」は、もちろん大きな「意味」をもっています。しかし、その本当の「意味」は、後になってからわかるという場合もあります。「勝つ」ことは素晴らしいことですが、「負ける」ことで全てが無意味になるわけではありません。その「結果」にいたるまでの「過程」が素晴らしいものならば、その価値が減ずることはないと思います。「結果」ばかりに目を向けず、「過程」を大切にし、「楽しく幸せな時間を過ごす」ことこそが、人生において大事なことだと言えないでしょうか。
 私は教頭として3年間、特別支援学校に勤務していたことがあります(教頭になる前の教諭としては、高校への勤務経験しかありませんでした)。特別支援学校では、先生方と児童生徒の皆さんから、たくさんのことを教えていただきました。「人生の意味」について深く考えさせられることも多かったと思います。特別支援学校には「訪問教育学級」があり、これは毎日通学することが難しい児童生徒に対して、先生が家庭に訪問し授業を行う学級のことです。訪問教育学級の児童生徒は、普段は各家庭で授業を受けるわけですが、年に数回、「スクーリング」で保護者とともに学校に来る機会があります。スクーリングの際には、通学の児童生徒と交流したり、イベントやゲームを保護者と一緒に楽しんだりします。あるスクーリングで音楽会を開いた時のことを、私はとても印象深く、忘れがたく覚えています。アマチュアの演奏家の方々を招いての音楽会で、親しみやすい曲が演奏され、訪問学級の児童生徒と保護者はその時間を心から楽しんでいる様子でした。外の世界には競争があり、人々は仕事や勉強に追われているわけですが、その音楽会が行われている空間には、本当に「優しくゆったりと流れる幸福な時間」がありました。外の空間に流れている時間と、演奏会の空間に流れている時間が、全く質の違う時間であることを感じて、私は自分が「今、特別な時間を過ごしている」ことを深く心に刻みました。
 「人生の意味」とは、競争に勝つこと、地位や名誉を得ること、経済的に優位に立つことだけではありません。それらは、幸福に至るための手段や方法の一部ではあるかもしれませんが、人生の究極の目的(=幸福)そのものではないはずです。私たちが生きている社会は競争原理が強く働いているので、私たちはどうしても他者と争い、勝つことで自らの承認欲求を満たそうとしがちですが、「勝つ」こと(結果)が人生の目的となってしまったら、ほとんどの人は挫折で終わる人生ということになってしまいます。勉強や部活動における競争において結果はもちろん重要ですが、そのプロセス(過程)にこそ「意味」があります。互いに励まし合い、高め合う過程こそが大切です。「楽しく生きる」・「幸せな時間を過ごす」ことに「人生の真の意味」があるのです。寅さんも、「人間はどうして生きるのか」の問いに、「生まれてきてよかったと思える時(幸せな時)があるからだ」と答えていたではありませんか。