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2024年7月の記事一覧

花丸 旧足利盲学校で開催されている写真展を見学してきました!

 5月にもおじゃました旧足利盲学校の校舎ですが、現在は保存修復を手掛けられながら、『.a public』とネーミングされ、地域の文化拠点として活用が始まっています。8月4日(日)までは「故郷の記憶を辿る」として、足利の人々の暮らしの記憶を辿る写真展が開催されています。大正時代から平成時代にかけての足利市民や街の様子が貴重な写真によって.a public Tシャツ紹介されていますので、興味がある方は是非足を運んでみてください。私としては、昭和終盤から平成にかけて、自分自身が足利市内の学校に勤めていましたので、見覚えのある情景もあって懐かしさでいっぱいになりました。会場では、飲み物やおしゃれな「.a」Tシャツの販売もされていました。

初代校長 沢田正好先生

栃木県工業学校校長 近藤氏県議会議員 富永氏 一方で、足利盲学校の設立に携ってくださった方々の肖像写真(左から沢田氏、近藤氏、富永氏 いずれも展示写真を撮影して掲載)と御功績も展示されていました。5月の記事でも紹介した初代校長の沢田正好先生の展示もありました。現在の校長室に飾られている肖像写真よりもお若い頃の写真とともに、御自身も弱視だった沢田先生が、大正期に自宅に足利鍼灸按講習所を開設し、翌年には足利盲学校の設立が成ったことや、私立時代から38年務めた校長職の他に、選挙における点字投票の実現やサウンドテーブルテニスの考案など視覚障害者の生活向上に広く尽力されたことが紹介されていました。また、栃木県工業学校(現 栃木県立足利工業高校)初代校長の近藤徳太郎先生も紹介されていました。近藤先生は、明治期にフランスで織物技術を学んだ方で、帰国後は京都で織物技師として活躍されていました。そして、国や栃木県、足利の織物業界からの強い要望により、明治28年には栃木県工業学校の初代校長に就任されたのでした。足利織物業の近代化と技術革新に大きく貢献されたそうです。近藤先生は、親戚から盲目の幼女を養子に迎えていたことから、その子のためにと足利盲学校の設立に協力してくださったそうです。また、足利に作ったレンガ工場でのレンガ製造とレンガ建築で成功していた富永金吉先生は、足利市議会や栃木県議会の議員として、さらに足利市商工業連合会校長、斎藤さん、速水さんで記念撮影会頭として活躍した方ですが、仕事で得た利益をもって足利盲学校の校舎建築に協力してくださったとのことです。『.a public』を運営している株式会社KNITOLOGYの速水さんからは会場を案内していただきながら、展示されている方以外にも複数名の方が足利盲学校設立に協力してくださっていたとのお話をお聞きしました。興味深いお話に、設立前後の機運の高まりや足利の教育や文化に対する意識の高さを感じることができました。そして、ちょうど来場されていた盲教育史研究家の斎藤さんは、現在の栃木県立盲学校と足利盲学校とをつないでくださった恩人ですが、再会の記念にと思い、速水さんとともに写真(左から校長、斎藤さん、速水さん)を撮らせていただきました。本校の歴史を深掘りしていく上で、速水さんをはじめ、『.a public』に携っておられる皆様や斎藤さんには、これからもお世話になることが多々あると思います。今後ともよろしくお願いいたします。