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2024年7月の記事一覧

花丸 城山地域に存在していた人車軌道と軽便鉄道の歴史に感動!

城山再発見タイトル 全国の人車軌道分布 宇都宮の人車軌道

 城山中学校地域協議会と城山生涯学習センターが共催した城山地域学講座に3名の教職員とともに参加してきまた。テーマは『城山再発見~大谷人車軌道と大谷石産業の成長~』だったのですが、明治から昭和20年代にかけて盲学校の在る宇都宮市城山地域には、主に大谷石の出荷を目的に敷設された人車軌道が荒針停車場から各採石場へと伸びていたということに驚きました。しかも、荒針から宇都宮市街地の材木町や西原町にまで人車軌道がつながっていたこと、荒針停車場から鶴田駅まで軽便鉄道が築かれていて小型の蒸気機関車も走っていたということは、まったく知りませんでした。講師は、宇都宮市文化財ボランティア協会会長の 大塚 雅之 先生でした。大塚先生は以前、宇都宮市立城山東小学校で校長先生を務めていらっしゃったそうですが、その当時から城山地域について研究しておられたそうです。貴重なお話や写真の数々はとても興味深いものでした。現在、LRTの運行で盛り上がりをみせる宇都宮市ですが、すでに20世紀前半には、昨今の原型が城山地域にあったのです。大谷地区は大谷石の切り出しによる独特の景観や地下採石場跡の神殿のような大空間の存在から知名度が上昇し、宇都宮市の観光拠点と人車軌道の敷設イメージして発展を続けています。この大谷地区を要し、古賀志山や多気山などの名山・名所に加え、自転車ロードレースのジャパンカップ開催地としても有名な城山地域の魅力ある歴史に改めて感動いたしました。今回、城山中学校地域協議会会長の 大森 則夫 様から御高配を賜り、本校教職員4名の参加ができました。本校と城山地域をつなぐキーパーソンとして、いつも本校に心を砕いてくださっている 大森 会長には、心から感謝申し上げます。(写真については、講座の中で表示されたスライドを撮影したものです。また、平和観音が奥に見える写真には、当時敷設されていた人車軌道の位置をイメージして加工してあります。)

花丸 旧足利盲学校で開催されている写真展を見学してきました!

 5月にもおじゃました旧足利盲学校の校舎ですが、現在は保存修復を手掛けられながら、『.a public』とネーミングされ、地域の文化拠点として活用が始まっています。8月4日(日)までは「故郷の記憶を辿る」として、足利の人々の暮らしの記憶を辿る写真展が開催されています。大正時代から平成時代にかけての足利市民や街の様子が貴重な写真によって.a public Tシャツ紹介されていますので、興味がある方は是非足を運んでみてください。私としては、昭和終盤から平成にかけて、自分自身が足利市内の学校に勤めていましたので、見覚えのある情景もあって懐かしさでいっぱいになりました。会場では、飲み物やおしゃれな「.a」Tシャツの販売もされていました。

初代校長 沢田正好先生

栃木県工業学校校長 近藤氏県議会議員 富永氏 一方で、足利盲学校の設立に携ってくださった方々の肖像写真(左から沢田氏、近藤氏、富永氏 いずれも展示写真を撮影して掲載)と御功績も展示されていました。5月の記事でも紹介した初代校長の沢田正好先生の展示もありました。現在の校長室に飾られている肖像写真よりもお若い頃の写真とともに、御自身も弱視だった沢田先生が、大正期に自宅に足利鍼灸按講習所を開設し、翌年には足利盲学校の設立が成ったことや、私立時代から38年務めた校長職の他に、選挙における点字投票の実現やサウンドテーブルテニスの考案など視覚障害者の生活向上に広く尽力されたことが紹介されていました。また、栃木県工業学校(現 栃木県立足利工業高校)初代校長の近藤徳太郎先生も紹介されていました。近藤先生は、明治期にフランスで織物技術を学んだ方で、帰国後は京都で織物技師として活躍されていました。そして、国や栃木県、足利の織物業界からの強い要望により、明治28年には栃木県工業学校の初代校長に就任されたのでした。足利織物業の近代化と技術革新に大きく貢献されたそうです。近藤先生は、親戚から盲目の幼女を養子に迎えていたことから、その子のためにと足利盲学校の設立に協力してくださったそうです。また、足利に作ったレンガ工場でのレンガ製造とレンガ建築で成功していた富永金吉先生は、足利市議会や栃木県議会の議員として、さらに足利市商工業連合会校長、斎藤さん、速水さんで記念撮影会頭として活躍した方ですが、仕事で得た利益をもって足利盲学校の校舎建築に協力してくださったとのことです。『.a public』を運営している株式会社KNITOLOGYの速水さんからは会場を案内していただきながら、展示されている方以外にも複数名の方が足利盲学校設立に協力してくださっていたとのお話をお聞きしました。興味深いお話に、設立前後の機運の高まりや足利の教育や文化に対する意識の高さを感じることができました。そして、ちょうど来場されていた盲教育史研究家の斎藤さんは、現在の栃木県立盲学校と足利盲学校とをつないでくださった恩人ですが、再会の記念にと思い、速水さんとともに写真(左から校長、斎藤さん、速水さん)を撮らせていただきました。本校の歴史を深掘りしていく上で、速水さんをはじめ、『.a public』に携っておられる皆様や斎藤さんには、これからもお世話になることが多々あると思います。今後ともよろしくお願いいたします。

 

花丸 大学生が本校で介護等体験をしています。

介護等体験の学生と一緒に

 7月4,5日の2日間にわたり、教員を目指す大学生6名が本校で介護等体験をしています。今回は今年度2回目ですが、6月にも6名の学生が来ていました。9月と12月にも6名ずつ学生が入りますので、1年間で24名の学生が本校の幼児児童生徒と触れ合ったり、盲学校ならではの授業を見学したりします。

 学生に尋ねてみると、盲学校に来るのは初めてとのことです。学生の皆さんには、見えない・見えにくいことがあっても、闊達に学び、生き生きと学校生活を楽しんでいる幼児児童生徒と大いに触れ合い、多くのことを学んで帰ってほしいと思います。

 いずれは、学生の多くが市町の小学校や中学校で教師になることと思います。インクルーシブ教育が今後も広がると思いますので、学生の皆さんが教師として赴任した小学校や中学校に、見えない・見えにくいことで困り感をかかえる児童生徒が在籍しているかもしれません。今回の介護等体験で得た知見が、何かのときに役立つことを願っています。そして、盲学校と、小学校や中学校をつなぐキーパーソンになってくれることを期待しています。