日誌

2017年4月の記事一覧

真岡高校の、今昔。

スポーツテストの季節になりました。
1年生も学校に慣れた頃、という様子を昨年もご紹介しました。
新調なった人工芝の様子も合わせてご覧下さい。
2017年、50m走 vs 2016年 50m走
   

2017年 ハンドボール投げ vs 2016年 ハンドボール投げ


2017年の体育風景は1年4・5組、2016年は旧1年2・3組の様子です。

質実剛健~モミジの赤い花~

一棟と二棟の間にある中庭にはモミジが2本植えられています。

1本は赤色の葉で芽吹くもの、もう1本は黄緑色で芽吹くものです。

その両方に花が咲きました。花はどちらも赤色です。





非常に小さい花で、よく見ないと花には見えません。モミジの場合は昆虫や鳥などによって花粉を媒介してもらうのではなく、風により花粉を飛ばして受粉する風媒花というタイプの花のため、大きさや派手さ、強い匂いなどを必要としません。他の生き物に頼らないで受粉できるという仕組みは、厳しい自然界においては効率的ですね。

本校の教育理念には、「飾り気は無いが、中身が充実していてたくましい」という意味の質実剛健がありますが、まさにこのモミジの花は質実剛健そのもの。

ちなみにモミジは生物学的にはカエデの仲間で、葉の切れ込みの深いものなどをモミジと呼んでいます。

以前テレビなどでも紹介されていたこともありましたが、西日本の一部では、灰汁抜き等の下処理をしたモミジの葉を天ぷらにして食すところもあるようですよ。モミジの葉を下処理して食べることを考えた先人の知恵、凄いですね。

創立記念日~栃木県第三中学校開校から117年~

117年前の4月16日、栃木県第三中学校が開校、そしてその4日後の20日に授業がスタートしました。そのことに由来して、今日4月20日は本校の創立記念日になっています。

栃木県第三中学校とは現在の真岡高校の開校時の名称です。

1900年(明治33年)に栃木県第三中学校、その翌年の(明治44年)に栃木県立真岡中学校に改称、そして1948年(昭和23年)の学制改革より栃木県真岡高等学校と改称した後、1951年(昭和26年)に現在の栃木県立真岡高等学校となりました。

しかし創立117年といっても、117年前がどのような時代であったかというのは想像しにくいので、今日は今から117年前の1900年当時の出来事を一部載せてみようと思います。

・義和団の乱が起こる
・第4次伊藤内閣が成立する
・ABO式血液型が発見される(当時はA型・B型・C型という呼び方だった)
・透過性の高い放射線が発見される(発見から2年後の1903年にラザフォードによりガンマ線と名付けられる)

伊藤博文やラザフォードなど、教科書に出てくる著名人が活躍してる頃から本校はあったということがわかります。

激動の20世紀を経て、歴史と伝統を積み重ね、117回目の創立記念日は緑鮮やかな人工芝を臨みながら迎えることができました。

八重桜「関山」

夏のような暑さだった昨日の陽気で、一気にグランド西にある八重桜が咲き進みました。

昨日は1割ほどしか咲いていなかった花が、今日は3部咲きほどにまでなりました。



一般的には桜といえばソメイヨシノを思い浮かべることが多いですが、花弁が多く色の濃い八重桜は豪華な雰囲気で、ソメイヨシノとは違った魅力があります。

本校にあるこの八重桜ですが、調べたところ「関山(カンザン)※1」という品種のようです。花弁が20~50枚で、一総に付く花数が3~4輪、蕾は濃桃色、雌しべが2本で葉化することがある、などが特徴で、全ての条件に該当していました。



いくつかサンプルをとってみましたが、こちらは花弁が31枚でした。



雌しべも2本。



こちらが花の中心部を拡大したものですが、雌しべは葉化していました。桜に限らず突然変異で八重化したものは繁殖能力がないものも多いですが、この関山もいわゆるサクランボはできません。

ソメイヨシノに比べると馴染みが少ないように思われますが、桜の花の塩漬けの多くはこの関山の花が使われています。

ちなみに八重桜は関山の他にも綺麗な花がたくさんあります。



これは本校以外の場所で撮影した鬱金(ウコン)という淡い黄緑色の桜です。花弁に葉緑体を持っているためこのような花色になっています。残念ながら本校には植えられていませんが、八重桜をアップしたこの機会に不思議な桜なので紹介させていただきました。

関東ではソメイヨシノは散ってしまいましたが、これから八重桜が見頃を迎えますので、是非素敵な八重桜を探してみてください。

※1:カンザン以外にセキヤマと読む場合もあるようです。

緑の募金から環境問題を考えるきっかけに

本日、各クラスで福祉委員から緑の羽が配布されました。

この時期、テレビなどでもよくアナウンサーなどが襟につけているのを見かけることも多いと思います。
緑の羽は「緑の募金」活動の一環として配布されているものですが、その歴史は古く、最初の募金活動は1950年にまで遡ります。ちなみに1950年前後、真岡高校ではどんな出来事があったかというと、前年の1949年に商業科が設置され、1951年に栃木県真岡高等学校から現在の栃木県立真岡高等学校へ改称されるという時代でした。旧制真岡中学出身のプロボクサー・ピストン堀口氏が現役を引退したのも1950年です。
募金がスタートしてから67年、緑化の推進や水資源確保のための森林整備などに当てられてきた「緑の募金」活動。この羽の配布をきっかけに、少しでも環境について考えるきっかけになってもらえたらと思います。まずは普段の生活の中で「3R(Reduce・Reuse・Recycle)」や校内でのゴミの分別などからはじめてみましょう!!