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宇都宮東高校・同附属中学校の生徒の皆さんへのメッセージ
今年のNHK大河ドラマは、幕末・明治維新を舞台とし、西郷隆盛を主人公とした「西郷(せご)どん」ですが、先日の放送でこんな場面がありました。
薩摩藩の藩主である島津斉彬(なりあきら)が、ジョン万次郎から、アメリカの話を聞く場面です。
島津斉彬は、西洋列強がアジア全体にに圧力をかける幕末の時代、鎖国の日本にあって海外に目を向けた開明派の殿様として有名です。一方のジョン万次郎という人は、後に開国のときなどに大きな役割を担うことになる人ですが、もとは土佐藩の漁師でした。あるとき漂流して、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカ本土で暮らしていましたが、あるとき、鎖国状態にあった日本の、そのときは薩摩藩が支配してた琉球に上陸して、やがて島津斉彬と会うことになったわけです。
このとき、万次郎は、斉彬公に、
「アメリカでは、市民が能力に応じて、希望するどんな職業にでもつける」
ということを話しました。そのとき斉彬は、
「西洋の力は、教育の力か・・」
とつぶやきます。
もちろん身分制度の厳しかった江戸時代の日本は「市民が能力に応じて、希望するどんな職業にでもつける」国ではありませんでした。
一方、「学校らしきもの」は、ありました。支配階級であった武士の子どもは、「藩校」と呼ばれる学校で、町人は「寺子屋」というところで、勉強していました。ただ、今の学校と異なり、武士の息子は武士に、町人の息子は町人に、女の子たちは立派なお嫁さんになるために勉強していたのです。つまり、自分の考えで、自分の可能性を開発し、自分の人生を切り開くための学校ではなかったのです。
日本において、今の、近代的な学校制度の基礎が作られたのは、明治5年の「学制発布」です。そこではじめて小学校・中学校という今の「学校」の概念に相当するものがつくられました。
ここで注意してほしいことは、明治5年という年です。この政策が、近代化を急ぐ明治初期の日本の、四民平等、身分制度の撤廃の流れの中で行われたということです。学校の誕生と、身分の撤廃との間には、密接な関係があったわけです。そしてそこには、個人の自己実現が国家の発展の源となるはずだという、明治新政府のヴィジョンもありました。
つまり「近代」の定義の一つは、「誰もが、自分の努力次第で何者にでもなり得る」ような、人生に選択の自由が許される社会であり、そのことが社会全体の幸福につながる時代のことなのだと思います。
ただ、一つ厳しいことを言います。「何者にでもなり得る」「選択の自由がある」ということと、
「何でもなりたいものになれる」「どのようにでも好きに生きられる」ということとは違います。例えば、「大谷選手のように投手でも打者でも大リーガーとし活躍したい」と思っても、それに見合う努力と適性がなければ実現できません。
「自分の知的好奇心の方向は、どこを向いているのか」
「自分はやがてどのような社会的な役割を担っていきたいのか」
「やがてあるべき自分のために、これから自分はどのような力を身につけなければならないのか」
「したがって自分は、今、何をすべきなのか」
日々の学習や特別活動、あるいは読書の合間に、あるいはむしろそれらの活動を通じて、そんなことを意識して欲しいと思います。
一学期始業式の講話より