結城紬
結城紬の歴史

美濃の国(みののくに)(*1)から多屋命(おおやのみこと)という人が茨城県(いばらきけん)に移り住み、「あしぎぬ(*2)」という織物を始めました。

その織物が結城地方に伝わり、現在の結城紬になりました。

結城地方は鬼怒川(きぬがわ)により農業で開けていました。

土地の条件が桑にも適していたので、養蚕(ようさん)が盛んでした。(*3)

室町時代(むろまちじだい)には「常陸紬(ひたちつむぎ)」と呼ばれていました。

幕府にも献上されていました。

江戸時代(えどじだい)には幕府の代官・伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が結城紬の振興、改良に務め、「結城縞紬(ゆうきしまつむぎ)」として全国に有名になりました。

その後、それまでの男物、年配者向けの着物から女性物の着物に変化していきました。
そして昭和(しょうわ)31年に「重要無形文化財」、昭和52年に「伝統的工芸品」へ指定されました。

その後も、産地の人々の努力で、亀甲(きっこう)模様の細工絣(さいくかすり)(*4)など高品質を保ち、現在でも日本最古の製法が守られながら生産が続けられています。


用語解説

(*1)美濃の国

現在の岐阜県(ぎふけん)あたり

(*2)あしぎぬ

太い生糸で織った絹の粗布(あらぬの)

(*3)桑と養蚕

桑の葉が蚕の餌になります

(*4)亀甲模様の細工絣

カメの甲羅のような六角形の模様を「亀甲」といいます。

絣で亀甲の模様を織り出しますが、細かいものになると、織り幅(約38センチ)の中に160の亀甲が入ります。