2011年2月の記事一覧
- 全ての記事
- アーカイブ
- 2025年9月 (0)
- 2025年8月 (0)
- 2025年7月 (0)
- 2025年6月 (0)
- 2025年5月 (0)
- 2025年4月 (0)
- 2025年3月 (0)
- 2025年2月 (0)
- 2025年1月 (0)
- 2024年12月 (0)
- 2024年11月 (0)
- 2024年10月 (0)
- 2024年9月 (0)
- 2024年8月 (0)
- 2024年7月 (0)
- 2024年6月 (0)
- 2024年5月 (0)
- 2024年4月 (0)
- 2024年3月 (0)
- 2024年2月 (0)
- 2024年1月 (0)
- 2023年12月 (0)
- 2023年11月 (0)
- 2023年10月 (0)
- 2023年9月 (0)
- 2023年8月 (0)
- 2023年7月 (0)
- 2023年6月 (0)
- 2023年5月 (0)
- 2023年4月 (0)
- 2023年3月 (0)
- 2023年2月 (0)
- 2023年1月 (0)
- 2022年12月 (0)
- 2022年11月 (0)
- 2022年10月 (0)
- 2022年9月 (0)
- 2022年8月 (0)
- 2022年7月 (0)
- 2022年6月 (0)
- 2022年5月 (0)
- 2022年4月 (0)
- 2022年3月 (0)
- 2022年2月 (0)
- 2022年1月 (0)
- 2021年12月 (0)
- 2021年11月 (0)
- 2021年10月 (0)
- 2021年9月 (0)
- 2021年8月 (0)
- 2021年7月 (0)
- 2021年6月 (0)
- 2021年5月 (0)
- 2021年4月 (0)
- 2021年3月 (0)
- 2021年2月 (0)
- 2021年1月 (0)
- 2020年12月 (0)
- 2020年11月 (0)
- 2020年10月 (0)
- 2020年9月 (0)
- 2020年8月 (0)
- 2020年7月 (0)
- 2020年6月 (0)
- 2020年5月 (0)
- 2020年4月 (0)
- 2020年3月 (0)
- 2020年2月 (0)
- 2020年1月 (0)
- 2019年12月 (0)
- 2019年11月 (0)
- 2019年10月 (0)
- 2019年9月 (0)
- 2019年8月 (0)
- 2019年7月 (0)
- 2019年6月 (0)
- 2019年5月 (0)
- 2019年4月 (0)
- 2019年3月 (0)
- 2019年2月 (0)
- 2019年1月 (0)
- 2018年12月 (0)
- 2018年11月 (0)
- 2018年10月 (0)
- 2018年9月 (0)
- 2018年8月 (0)
- 2018年7月 (0)
- 2018年6月 (0)
- 2018年5月 (0)
- 2018年4月 (0)
- 2018年3月 (0)
- 2018年2月 (0)
- 2018年1月 (0)
- 2017年12月 (0)
- 2017年11月 (0)
- 2017年10月 (0)
- 2017年9月 (0)
- 2017年8月 (0)
- 2017年7月 (0)
- 2017年6月 (0)
- 2017年5月 (0)
- 2017年4月 (0)
- 2017年3月 (0)
- 2017年2月 (0)
- 2017年1月 (0)
- 2016年12月 (0)
- 2016年11月 (0)
- 2016年10月 (0)
- 2016年9月 (0)
- 2016年8月 (0)
- 2016年7月 (0)
- 2016年6月 (0)
- 2016年5月 (0)
- 2016年4月 (0)
- 2016年3月 (0)
- 2016年2月 (0)
- 2016年1月 (0)
- 2015年12月 (0)
- 2015年11月 (0)
- 2015年10月 (0)
- 2015年9月 (0)
- 2015年8月 (0)
- 2015年7月 (0)
- 2015年6月 (0)
- 2015年5月 (0)
- 2015年4月 (0)
- 2015年3月 (0)
- 2015年2月 (0)
- 2015年1月 (0)
- 2014年12月 (0)
- 2014年11月 (0)
- 2014年10月 (0)
- 2014年9月 (0)
- 2014年8月 (0)
- 2014年7月 (0)
- 2014年6月 (0)
- 2014年5月 (0)
- 2014年4月 (0)
- 2014年3月 (0)
- 2014年2月 (0)
- 2014年1月 (0)
- 2013年12月 (0)
- 2013年11月 (0)
- 2013年10月 (0)
- 2013年9月 (0)
- 2013年8月 (0)
- 2013年7月 (0)
- 2013年6月 (0)
- 2013年5月 (0)
- 2013年4月 (0)
- 2013年3月 (0)
- 2013年2月 (0)
- 2013年1月 (0)
- 2012年12月 (0)
- 2012年11月 (0)
- 2012年10月 (0)
- 2012年9月 (0)
- 2012年8月 (0)
- 2012年7月 (0)
- 2012年6月 (0)
- 2012年5月 (0)
- 2012年4月 (0)
- 2012年3月 (0)
- 2012年2月 (0)
- 2012年1月 (0)
- 2011年12月 (0)
- 2011年11月 (0)
- 2011年10月 (0)
- 2011年9月 (0)
- 2011年8月 (0)
- 2011年7月 (0)
- 2011年6月 (0)
- 2011年5月 (0)
- 2011年4月 (0)
- 2011年3月 (1)
- 2011年2月 (4)
- 2011年1月 (2)
- 2010年12月 (2)
- 2010年11月 (3)
- 2010年10月 (3)
- 2010年9月 (5)
- 2010年8月 (3)
- 2010年7月 (3)
- 2010年6月 (4)
- 2010年5月 (6)
- 2010年4月 (3)
校内散歩35 「冬の欅」
投稿日時 : 2011/02/07
職員
西行は伊勢神宮に参拝して「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだそうであるが、本校の冬の欅は、この歌の一節がつい口をつくほどに神々しく、自然の驚異への畏敬の念を強くせずにはいられない。
見よ、蒼穹を背に、精一杯のびる枝えだの強さを。
葉のない季節だけに、何の飾りも身につけず、きっぱりと強いその線は、欅の真髄を感じさせる。あんな生き方もあるのだと思う。
また、部活動の行き帰りに、時に足をとめて「ふうっ」と息をついて欅を見上げている生徒がいる。見慣れてはいても見上げずにいられない、その気持ちを「畏怖」と呼ぶのだろう。
畏怖の先にこそ、本当の自然環境保護もあるのだと思う。黙って立つ欅が様々なことを教えてくれる冬である。
畏怖の先にこそ、本当の自然環境保護もあるのだと思う。黙って立つ欅が様々なことを教えてくれる冬である。
{{options.likeCount}}
{{options.likeCount}}