日誌

校長室だより

校長からのメッセージ(2022.1.27)

 新型コロナウイルス感染急増を受け、本日、1月27日から来月20日まで、栃木県にも「蔓延防止等重点措置」が適用されました。
 そして、奇しくも同じタイミングで、本校も当面、本日から臨時休業としました。陽性者が複数になったことに加え、濃厚接触者が今後さらに拡大する可能性があることから、感染拡大防止と学びの保障の観点から、臨時休業の判断をしたのです。しかし、もちろん、「学び」は止めません。授業は、原則、通常どおりの時間割でZoomによるオンラインでの授業を行います。生徒諸君と保護者の皆様の御理解と御協力をお願い申しあげます。

 特に、大学入試の本番を間近に控えた3年生は不安を感じる部分があるかもしれません。しかし、担任による面談や論述指導等を含む国公立個別試験対策等については、対面指導等も適宜工夫しながら、全教職員が一枚岩となって計画的に諸君を支援して行きますので、安心して臨んでほしいと思っています。

【3年生へ】
 特別指導前の大学入試激励にかえて、以前、3年生諸君にした話の要旨を再掲します。

 受験にも「運」というものがあるかもしれない。しかし、「運」は「ハコブ」と読むことを忘れてはなりません。「運」を手にしようとしたら、自らをそこに「運んで」行かねばならないのです。例えば、試験中に、「この問題はわからない」と、そこで立ちすくんでしまったら、絶対に「運」はやってこない。自分自身の全知全霊を傾け、切り開いて行く「勇気」を持つことこそが大切なのです。
 そのためには、決して焦ってはいけません。自分の分かる小さなことの積み重ねが「答え」に、つまり、「基礎的・基本的なもの」が「応用的なもの」につながっているという当たり前のことに立ち戻ることが大切です。だから、慌てず、焦らず、「落ち着いて問題にあたること」、そして「普段どおりの自分であること」こそが肝要なのです。人はそれを、「心の余裕」と呼んでいます。
 運を呼び込む勇気と同じく、疑いなく、試験は「決断」の勇気です。十分に考えたら、決断は早くしなければなりません。「時間は限られている」という事実を忘れてはならないのです。例えば、手の掛かる(時間を要する)問題に時間を掛けすぎて、「自分にとっては容易な問題なのに、手つかずにしてしまった」という先輩の声も多く聞きます。限られた時間の中での適切な決断は重要だと思います。
 蛇足ですが、試験当日の、試験開始直前の過ごし方についてです。私がまだ若手教員だった頃、当時勤務していた県南の進学男子校に「受験の神様」と呼ばれていた先生がいらっしゃいました。その先生が、当時の3年生の受験生に必ずなさっていた御自分の思い出話を紹介します。
「試験前30分には席につこう。席に着いたらひとかけらのチョコレートを口に入れ、目を閉じて口の中でゆっくりと溶かしてみる。ゆったりとした気持ちになり、そのうちに、周囲のざわめきも、心地よいさざ波の音に変わる。すると、心が「すうーっ」と澄んで落ち着いてくる。普段どおりの自分に戻る。チョコレートはショ糖類。頭のめぐりをよくする薬でもある。私も40年前の大学受験の時に実践し、希望する大学に合格できた。実は、担任からは合格は厳しいと言われていた。私は今でも、あのときの受験直前の心の準備、心の持っていき方が大きいと信じています。」
そんな内容だったと思います。騙されたと思って試してみるのも悪くないかもしれません。

 くり返しになりますが、受験と進路は勝負事です。力を出し切ることが重要です。勝負には特別のものはいりません。「普段どおり」が「勝利の鉄則」です。イギリスの神学者、ジョン・ウェズリー氏はこんなことを言っています。
「君ができるすべてを行え。君ができるすべての手段で、君ができるすべての方法で、君ができるすべての場所で、君ができるすべての時に、君ができるすべての人に。君ができるかぎり。」
 受験当日は、今まで支えてくれた家族、担任、教科担任、進路の先生方、そして友人等、心に浮かぶ人に、感謝の念を忘れず、「普段どおり」の自分で、力を出し切ってきてください。諸君の健闘を祈ります。宇高の先生方と一緒に、この宇高で、諸君の吉報を待っています。心から応援しています。

【1・2年生へ】
  1・2年生に対しては、ただ一言です。それは、「普段どおり」のレベルをあげてほしいということです。諸君は確かにポテンシャルは高い。学問ももちろんだが、運動、芸術、学校行事への参加への意識、社会的関心と行動力、どれをとっても、諸君は、一流になる可能性を秘めている者ばかりです。しかし、宇高に入学し、ただ何となく頑張ってはいるが、そんな諸君の日常(諸君の「普段通り」)は、諸君にとって本当に納得できるものになっているでしょうか。「気付き」、「考え」、「行動する」というJRCの目標ではありませんが、いつか必ずそれを実現できるのが瀧の原健児だと思っています。この臨時休業中の期間を、諸君にとって、「真の気付き」の時としてほしいと思っています。
 オンラインで授業を受講するといっても、自宅での学習は、ある種「自由な学び」です。自分自身で自らを律していかなければなりませんので、それは、一方では同時に厳しいものです。強制されないために、安易な方向に流される人もいるという意味でです。だからこそ、ここでは人間性の確かさが求めらるのだと思います。だから、この困難を乗り越えて、手応えをつかみ得る多くの諸君は、これを機会に、確かな人間的な成長を遂げてくれると確信しています。恐らく、人間が成長するためには孤独に耐える力が必要です。「自律自治」の精神で、この難局を乗り切ってほしいと思います。
 もちろん、人間は社会的な存在なので、孤立したままでは成長できません。また、通常登校が再開されれば、「魅力ある宇高の友と俱に磨き合う日々」が戻ってきます。また、優れた仲間と切磋琢磨し、心豊かで活力のある人間、総合力のあるバランスの良い人間として、この滝の原で成長できることを楽しみに、自宅での自由な学びを満喫してほしいと願っています。

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校長からのメッセージ(2021.9.30)

【宇高の生徒諸君へ】
 緊急事態宣言が明け、明日から本校も通常登校を再開することとなりました。まだ、感染リスクの高い教育活動、宿泊を伴う活動や校外での活動等は、原則として実施できないという制約はありますが、通常登校による50分授業、土日・祝日の部活動および自修館利用も再開します。通常登校による教育活動を安心して再開できるよう、諸君は今日まで、計画的で自覚的な日々を送ってくれました。感謝します。「マスクの着用、黙食の徹底、手指の消毒、密の回避」等の継続的な実践を徹底し、高校生が最も伸びる、この10月の時期からの更なる飛躍を期待します。

 この間、9月3日には、「宇高祭ステージ発表」も開催できました。コロナ禍第5波により栃木県にも緊急事態宣言が発令され、実施が危ぶまれましたが、実行委員の諸君等が中心となり、万全な感染予防対策を講じてくれたことから、プログラムの一部見直しはありましたが、立派な宇高祭ステージ発表が実現できました。その陰で尽力してくれた諸氏と実施運営に協力してくれた全ての宇高生に敬意を表します。
 ステージ発表では、「常に表現者たれ」ということを諸君に求めました。演技者として、演奏者として、司会者として、運営者として、そして観客者として、それぞれが「確固たる表現者」になってほしいという意味でした。人は原始の時代に言葉を使い始めました。原始の言葉はどのようなものだったでしょうか。ある言語学者は、言葉の始まりは歌だったと言います。真偽は分かりませんが、数学や哲学のような難解なものではなかったかもしれません。他人を魅きつけたくて単調な音を紡ぎ、リズムにして歌として表現したのかもしれません。その歌を聞いて、相手の心も揺れたかもしれない。人間のコミュニケーションの始まりについて、そんな想像をします。そして、そのお互いの心の共振が、いわゆる文化を作ったのかもしれません。当日は、諸君の互いの心が揺れる、最後に笑みのこぼれる素晴らしい宇高祭ステージ発表になりました。
 そして、その後に続く校内模試、オンライン土曜講座、オンライン中学生一日体験学習、滝の原教養講座、そして、課題研究校内発表会と、時間的な制約の中にあっても、諸君は可能な限りの準備をし、立派な成果を積み重ねてきてくれました。諸君は、この宇高の日々で着実に成長していると感じる場面ばかりで、嬉しく思っています。

 通常登校再開は、諸君にとっては「魅力ある宇高の友と俱に磨き合う日々」の再開を意味します。諸君には優れた仲間と切磋琢磨し、心豊かで活力のある人間、総合力のあるバランスの良い人間として、一層この滝の原で成長していって欲しいと望んでいます。
 ところで、人は、「自分が本気になればすぐに成果がでる」と高を括っている節があります。しかし、本気ではじめて見ると、そう簡単には成果が出ず、苦しむことも多いものです。しかし、「これだけ頑張ったのに……」と言えるようになってはじめて、成果は出始めるものだということを忘れてはいけません。結果が出ずとも、それでも自分を信じて謙虚に努力を積み重ねた人が、納得のいく経験を積めるものなのです。そして、一旦その成果が出始めると飛躍的に伸び始めるものなのだと、私たち教職員の経験は教えてくれます。
 郷土の偉人、二宮尊徳翁は、「この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめに田草とるなり」という歌を残しています。秋になると雨が降ったり、嵐が来たり、稲はどうなるか分からないが、今はとにかく目の前の雑草を取り除くことが大切だという意味です。たとえば、何かしら大きな問題等に対峙したとき、人は不安に駆られます。他人にはたいしたことではないように映っても、自分にとっては、自分を押しつぶすように感じられることもあります。そんなとき、今、足下にあることに全力でぶつかってみることも、大切だというのでしょう。本校の先生方は、今、諸君がやるべきことについて、様々な場面でヒントを与えよう、いや、与えたいと、日々腐心してくれています。今、自分は何をすべきなのか迷ったときには、是非、相談して、参考にしてみるのも悪くないと思います。
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校長からのメッセージ(2021.8.20)

【宇高の生徒諸君へ】
 本校は、8月20日から8月27日まで夏季後期課外を経て、8月30日の始業式を迎える予定でしたが、新型コロナウイルス感染予防の観点から、20日以降の課外は中止、併せて、以降の夏休みは原則として登校禁止としました。県内の急速な感染拡大と医療体制の逼迫に加え、本校生の罹患状況を鑑みて校内での感染拡大防止措置を最優先させたためです。2学期の教育活動を安心して再開できるよう、生徒諸君には、自分の未来の扉を開くため、計画的で自覚的な日々の実践を期待します。今、自分がやるべきことを見据え、一回りも二回りも逞しくなった諸君に始業式に会えることを楽しみにしています。
 緊急事態宣言下、実質的な臨時休業となった宇高生に、1学期終業式で紹介した言葉を今一度示したいと思います。人の生き方には二つある。それは、『そこそこやるか』と、『そこまでやるか』だ。どうせなら、『そこまでやるか』というところまでやりなさい。『そこそこやるか』と、『そこまでやるか』の違いは、最後まで諦めない心だ。『そこまでやるか』というところまでやった人は、必ず納得した生き方をしている。そして、必ず成功している。これは、「成功のための最大の秘訣は、成功するまで続けることだ」との言葉を残した、パナソニックの創業者、松下幸之助氏の言葉です。生徒諸君には、「滝の原プライド」をもって、宇高の再開の日に向けて励んでほしい。「滝の原のプライド」とは、自分自身で選択した「学び」の日々に、真摯に取り組む中から生まれるプライドです。本気になってやれば、人は謙虚になります。学ぶとは謙虚さを学ぶことだと知り、高い目標に向かって、可能性を信じて己を賭けることができる。だからこそ、同じように励む友を認め、互いの人格を重んじる。そして、友とともに、主体的に、より高い目標向かって意欲を燃やす。それが、「滝の原プライド」です。「おまえ、そこまでやるのか。おれも、ここまでやるよ」。言葉にはせずとも、宇高生の友情、良きライバル魂の根底には、そんな思いがあるような気がしてなりません。
 学校が再開すれば、「宇高の友と俱にある日々」が待っています。高校時代の「学び」の中から生まれる友人は、一生にわたる宝物です。諸君には、優れた仲間と互いに切磋琢磨し、心豊かで活力のある人間、総合力のあるバランスの良い人間として、この滝の原で成長していって欲しい。切にそう望んでいます。そして、私たちもまた、この滝の原で、諸君と元気に会えることを心待ちにしています。
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