校長室より

小高生へ(20)

「青い鳥を探せ!」(卒業式 校長式辞)

 今回は、卒業式(令和7年3月3日)における校長式辞を掲載します(一部変更あり)。以前「小高生へ」で発信した内容も含まれています。どこか分かりますか?

 冬の寒さと春めいた温もりとが交錯し、季節が移りつつある気配の感じられる頃となりました。本日、この佳き日に、令和6年度 第77回 栃木県立小山高等学校卒業式を挙行できますことは、この上ない喜びであります。同窓会会長 舩渡川 進 様、PTA会長 星野 由美 様におかれましては、卒業式への御臨席を賜り、心より感謝申し上げます。

 ただ今、卒業証書を授与しました225名の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、今日まで3年生を支え、励ましてこられた保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。また、本校のこれまでの教育活動に対してご理解とご協力を賜りましたことに、改めて厚く御礼申し上げます。

 卒業生の皆さんは、本日ここに高校3年間の全課程を修了し、晴れて卒業の日を迎えました。日々の学習や部活動、学校行事に取り組む中で、忘れることのない思い出ができたことと思います。皆さんの高校1年次はまだコロナ禍にありました。中学時代からのコロナ禍は、皆さんの青春に大きな影を落とすこととなりましたが、そこから学べたこともあったはずだと考えます。日常生活におけるリスク管理の大切さを思い起こさせてくれたことは、そのひとつです。また、厳しい制限の中でも、安全確保を優先しつつ新たな可能性を求めていくことの意味を学ぶことができたのではないでしょうか。昨年8月末に行われた「聡輝祭」は、コロナ禍後の最初の学校祭となりました。感染症と併せて熱中症というリスクに配慮しながらの実施でしたが、多くの来場者があり、各クラス・各部活動で様々な工夫を凝らして準備した企画を見ていただけたことは、本当によかったと思っています。見てくださった方々の温かい眼差しの下で、生徒の皆さんが緊張しながらも一生懸命に発表する様子を、私も胸に刻みました。
 思えば、私たちの人生も、私たちが生きているこの世界も、想定外のことやそれと向き合う「手探り」の連続です。昨年の元旦、能登半島に発生した大地震では多くの方が亡くなり、深刻な被害がもたらされました。被災された方々の多くが、以前と同じ生活には戻ることが難しい状況が現在も続いています。犠牲者の冥福をお祈りし、被災地の復興を改めて願いたいと思います。海外に目を向ければ、3年を越えて続いているロシアによるウクライナ侵攻は、アメリカの停戦協議が行われようとしていますが、アメリカとウクライナ両国大統領の会談が決裂したことで、終結に向けての動きへの影響が懸念されます。中東におけるパレスチナ・イスラエルの紛争は、現段階で停戦合意に向かいつつあるものの、根本的な解決への道はまだ遠い状況と言えます。
 身近なところを振り返れば、東日本大震災が起きた平成23年以降、学校現場も含め、私たちの周囲は大きく揺れ動いてきました。平成27年と令和元年の二度の、河川の氾濫による水害、平成29年の那須雪崩事故、そして、令和2年度から令和4年度まで3年間にわたるコロナ禍。そのいずれもが、想定外の大きな衝撃を受けずにはいられない災害や事故であり、私たちはその都度、難しい判断と対応を迫られてきました。今後、AIが発達・普及することによって、社会は利便性を大きく向上させ、効率が良くなる一方で、産業構造や経済活動にどのような影響があり、人間の働き方や生き方がどう変わっていくのかは、いまだ予断を許さないと言えます。このような激しい変化・変動の中にあって、私たちはどのように人生を歩んでいけばいいのでしょうか。
 昨年の11月8日、本校の創立記念講演会では、日本航空パイロットとして活躍されている山本 潤 様を講師としてお招きし、有意義なお話を伺ったことを生徒の皆さんは覚えていると思います。山本様は、飛行機の操縦にはリスクが多くあることを述べて、私たちの日常生活の中にも常にあるリスクにいち早く気づき、対策のカードを準備することの重要性についてお話しくださいました。踏むと足を滑らせるバナナの皮にリスクを譬えて、リスク管理を「バナナを探せ」というフレーズで話されていたことが印象的でした。今日の卒業式にあたり山本様に倣って、私は卒業生の皆さんに「青い鳥を探せ」という言葉を贈りたいと思います。
 19世紀末から20世紀前半にかけて創作活動を行った、ベルギーの作家モーリス・メーテルリンクが書いた童話『青い鳥』については、皆さんも聞いたことや読んだことがあるかもしれません。『青い鳥』は子ども向けの童話というよりも、「幸福とは何か」という問いに対する哲学的な示唆を多く含み、大人に向けて書かれた物語だと言いたい内容です。貧しい木こりの子ども(幼い兄と妹)が、クリスマス・イヴの夜に、幸せをもたらすという青い鳥を探す旅に出て、様々な場所を訪れるが、本当の青い鳥は見つからない。しかし、この青い鳥を探す旅は、実はクリスマス・イヴの夜に二人の子どもが見ていた夢で、目を覚ますと自分たちが飼っていた鳥が今までよりも青く見えるのに気づき、これこそが本当の青い鳥だったのだというお話です。この結末は、幸せは気づけば身近なところにこそあるという意味だと解釈されていますが、お話にはまだ続きがあります。せっかく見つけた青い鳥ですが、ふとしたきっかけで窓の外へ飛び去ってしまいます。でも、青い鳥(つまり幸せ)は何度でも見つけられるし、探し続けていくものなのだと子どもたちは思うという結びです。
 私たちの人生とは、まさしくこの「幸せ探し」の旅なのではないかと思います。「何が幸せなのか」という問いに対する絶対的な正解はありません。幸せの条件として、ある程度の経済的富や社会的地位、健康や愛情などを考える人もいるだろうと思います。しかし、それらを望むがままに自分のものとできる人は限られているのではないでしょうか。そして、それらが手に入れば、本当に私たちは幸せになれるのでしょうか。
 ここで、一人の音楽家(ヴァイオリニスト)について話したいと思います。この方は2才からヴァイオリンを始め、12歳でプロデビューし、ヴァイオリンの「天才少女」として注目を浴び、活躍します。しかし、「天才少女」という賞賛の陰で、嫉妬やいじめを受け、学業との両立に悩み、高校時代には天才であり続けるための圧力に心身ともに疲れ果て、遂にはヴァイオリンをやめてしまいます。
 大学は音楽とは関係のない学部に進学した彼女は、ボランティアを手伝うことになり、あるホスピスを訪問します。そこで一人の末期がんの患者さんが、最後に彼女の演奏を聴きたいと願っていることを知らされます。戸惑いながらその方をお見舞いし、数年間全く触れていなかったヴァイオリンを手に取りますが、思うように指が動かず、かつてのような演奏はできませんでした。しかし、その患者さんは、「ありがとう。本当にありがとう。」と涙ながらに、繰り返し感謝の言葉を口にしたそうです。「こんな演奏に感謝の言葉をいただいて申し訳ない。」そう思った彼女は、その日からヴァイオリンの練習を再開しました。ただ一人の聴き手の、心からの感謝の言葉が、壁にぶつかっていた音楽家を進むべき道へと引き戻したのです。この方は、今も人々に音楽を届け、感動を与えるヴァイオリニストとして活動を続けています。
 彼女にとっての「青い鳥」は、ヴァイオリンであり、聴いてくれる人の喜びであったと言えると思います。人は自分自身のために青い鳥を探そうとするかもしれませんが、「自分のため」だけでは、青い鳥は見つけることは難しいのだと考えられないでしょうか。私たちは、「自分自身のため」に生きていますが、同時に「誰かのため」になることに取り組み、自分の存在が誰かの喜びにつながることを望む思いもあります。複雑で予測困難な現代社会は、多くの課題を抱え、私たちは様々な事情で悩んだり苦しんだりしています。私たちは、お互いに相手の悩み・苦しみを理解しようと努めて、お互いを尊重しあい、お互いに思いやりあって生活することが大切です。そして、互いに知恵を出し合い、少しずつでもこの社会をよりよいものにしていこうとすることが大切です。そのために、皆さんは学び続けてきたのです。
 自分自身と、自分とともに生きる誰かのための青い鳥を探し、見つけていってください。社会や自分自身の生活の変化によって、幸せだと思われた状況も変わっていくかもしれません。でも、幸せは何度でも見つけられます。私たちの人生は、繰り返し幸せを見つけ続けていく旅のようなものです。

 「青い鳥を探せ!」
 「青い鳥を見つけよう!」

この言葉を卒業していく皆さんに贈ります。

 小山高校を卒業する皆さんが、今後、様々な学びを重ね、他者への優しさをもって社会に出ていった時、皆さんの「優しさ」を待っている人が必ずいます。皆さんが、それぞれの青い鳥を見つけ、そして、誰かの青い鳥を見つける手助けをし、充実した人生を送ってくれることを心より願っています。そして、小山高校はいつまでも皆さんの母校であり、皆さんを応援し続けています。卒業生の健闘を祈念し、式辞といたします。