栃木県立小山高等学校
~小山高校は2018年に創立100周年を迎えました~
〒323-0028 栃木県小山市若木町2-8-51 TEL 0285-22-0236
数理科学科ロゴマーク
クリックすると校歌が流れます
文字
背景
行間
栃木県立小山高等学校
~小山高校は2018年に創立100周年を迎えました~
〒323-0028 栃木県小山市若木町2-8-51 TEL 0285-22-0236
数理科学科ロゴマーク
クリックすると校歌が流れます
「バナナ」を探せ!!
~創立記念講演会 山本潤様のお話
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
11月8日(金)、本校106周年の創立記念式に併せて、日本航空パイロットの山本潤様を講師として創立記念講演会が行われました。「Soraの魅力とアクティブラーニング~未来は可能性に満ちている」という演題で、パイロットとしての業務やリスク管理についてのお話をいただきました。
まず、旅客機のパイロットには、飛行機に乗り込んで操縦を始める出発前の段階にも多くの業務があるということでした。具体的には、飛行機の整備状況、気候、乗客の情報について確認し、整備士や客室乗務員と打ち合わせし、飛行機の外部の点検まで行うとのことです。山本様のこのお話を聞いて、私はオーケストラの指揮者を思い浮かべました。子どもの頃、私は指揮者が何のために存在するのか理解できませんでした。指揮者自身はひとつの音を発することもなく、ただ踊っているようにしか見えなかったのです。後になって、本番の演奏会の前に多くの時間を費やしてリハーサルを行い、指揮者が自らの表現意図をオーケストラに伝え、オーケストラとともに演奏を作り上げていくことを知ったのです。パイロットという職業も、操縦席に座る前に、乗客の安全を確保し快適な旅を提供するために、多数のスタッフたちと協力しながら綿密な準備をすることを知って、颯爽として華やかに見える裏側で「隠れた努力」が常にあることに強い感銘を受けました。飛行機を操縦するだけでなく、乗客の旅が素晴らしいものとなるようにフライト全体をプロデュースするという意味で、パイロットの業務は指揮者の仕事に通じるところがあると思います。
また、山本様は飛行機の操縦にはリスクが多くあることを述べ、アクティブラーニング(主体的、能動的な学び)の重要性についてお話しされました。道を歩いていてバナナの皮があったら、足を滑らせ、転ぶかもしれない。そうならないためには、「バナナ」を前もって発見することが重要であり、対策のカードをできるだけ多く準備することでリスクは避けられる。「バナナ」(リスク)を見つけて、手持ちのカード(対策)を準備することがアクティブラーニングだというお話でした。私たちの日々の生活(人生)にも、リスクは存在します。人生に「絶対的なマニュアル」はありません。私たちは、目の前のリスクに対して、手探りで立ち向かい、「自らの答え」を探し出さなければなりません。自らの知識と経験、他者からのアドバイス等を総動員して、ゴールを目指すのです。100%の普遍的な正解はなく、目前の状況を見極めながら、柔軟な思考をもって臨機応変に対応することで着地点が見えてきます。
皆さんは「リスクがあるのであれば、道を歩かなければいい」と考えますか。しかし、リスクを恐れてばかりでは、何もできないのではないでしょうか。リスクのない世界は、どこにも存在しません。リスクがあることを怖がるのでなく、「バナナ」(リスク)を見つけて、カード(対策)を準備し、実行すればいいのです。最初のカードが通用しなければ、次のカードを出す。リスクを解除できるまで、カードを出し続ければいいのです。そうしてゴールにたどり着いたら、それは達成であり成功と言えるのではないでしょうか。
「印象的な風景はありましたか?」という生徒からの質問に対して山本様は、海と見まごうような広大なアマゾン川に、月の光が反映する様子を見た時のことを話されました。たとえリスクがあっても、誠実な努力を重ね、何かに精一杯取り組み続けて、困難に負けずに頑張っていたら、きっと美しい風景が見られると思います。生きることは、リスクを恐れずに冒険することです。時に失敗することがあったとしても、カードを出し続ければ、ゴールは見えてきます。そのゴールは、想像を超えた絶景かもしれません。山本様、素晴らしいお話をありがとうございました。
頑張れ、小高生!! いつも応援しています。
チャップリンの名言~人生の哲学
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
チャップリンを知っていますか? チャップリンの映画を観たことはありますか?
チャップリンは、イギリス出身でアメリカで活躍した映画俳優です(1889年生・1977年没)。俳優であるだけなく、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画音楽の作曲家でもありました。山高帽をかぶり、ちょび髭をつけ、窮屈な上着を着て、ステッキを持ち、大きな靴をはいているコミカルな姿が、一般的なイメージかもしれません。しかし、チャップリンが制作した映画の内容は多岐にわたり、喜劇的なドタバタだけでなく、生きていくことの悲哀、弱者への優しさ、不屈の精神、複雑な善悪、愛情の機微などが描かれ、社会的な主題への広がりもあり、まさしく「人生の哲学」そのものです。チャップリンの映画に出てくる名言のいくつかを紹介します。
「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものだ。必要なのは、勇気と想像力と、少しのお金だ。」(映画『ライムライト』より)
「私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものだ。私たちは皆、他人の不幸によってではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ。私たちは憎しみ合ったり、見下し合ったりしたくはないのだ。」(映画『独裁者』より)
「下ばかり向いていたら、虹を見つけることはできないよ。」(映画『サーカス』より)
(人生に絶望しても生きるのかという問いに対して)「瞬間(いま)を生きればいいんだ。素晴らしい瞬間はいくらでもあるよ。」(映画『ライムライト』より)
(生きるのに疲れてしまったと言う相手に)「自分と闘うから(疲れるの)だ。あきらめてはいけない。幸福になるために闘うんだ!」(映画『ライムライト』より)
「1人殺せば悪党だが、(戦場で)100万人殺せば英雄だ。数が殺人を神聖なものにするのだ。」(映画『殺人狂時代』より)
「あなたたち誰もが力を持っている。この人生を自由で美しくする力を、この人生をすばらしい冒険にする力を持っているのだ。」(映画『独裁者』より)
「時は偉大な作家だ。いつも完全な結末を書く。」(映画『ライムライト』より)
漫画家の手塚治虫は、チャップリンの映画には「全てがある」と語っていたそうですが、「納得」です。チャップリンのメッセージは、人生の苦難に立ち向かう私たちの「背中を押して」くれます。生きることは、楽しいことばかりではなく、時に悲しく、あまりにも苦しく、大声をあげて泣きたくなることもあります。でも、チャップリンは時を超えて、私たちに語りかけます、「負けるな! 生きろ!」と。チャップリン自身が、「喜劇王」と呼ばれるほどの名声や富ばかりでなく、幼年期の貧困や、名声を得てからもアメリカから追放されるなど多くの苦難と闘いながら人生を歩み続けた人でした。たとえ今が苦しくとも、負けずに誠実に生きていると、必ず希望の光が見える道が拓けます。だって、「時は偉大な作家」であり、「いつも完全な結末を書く」のですから。人生七転び八起き。人間万事塞翁が馬。負けるな、小高生!! いつも応援しています。
「ありがとう」と言ってみよう!!
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
私たちは、それぞれに様々な悩みをかかえています。何も悩みがないという人はきっといないと思います。学業や仕事についての悩み、人間関係や家族についての悩み、将来についての悩み、健康についての悩み、人生や生きる意味についての悩み等、いろいろな悩みがあるのではないでしょうか。
悩みに対して、すぐに答えが見つかればいいのですが、中にはどうにもならないと思える悩みもあります。「青春時代」というとキラキラした明るいイメージがあるかもしれませんが(それもひとつの側面ですが)、大人への階段を昇っていく過程は不安定でもあり、場合によっては孤独な思いに強くとらわれることもあります。
悩んでいる時には、「なぜ自分ばかりがこんなに苦しく、さびしいのだろう」と思いがちです。でも、悩んでいてさびしいのは「自分だけじゃない」のです。生活するということは楽しいことばかりではなくて、それはみんながきっと同じではないかと思います。私たちの社会は、競争の原理が大きな比重を占めています。勉強も、部活動も、スポーツも、芸術の領域にすら競争は幅を利かせています。もちろん、競争は悪いことばかりではなく、それをとおして互いに励みあい、よい意味での刺激を与えあえるものでもあります。でも、競争には「勝ち負け=優劣」があり、勝者の傍らには必ず敗者が存在します。そして、他人からの評価に関して言えば、私たちが他人から受ける評価は、概して自分で思っているよりも低くなりがちだと言われています。「あんなに頑張ったのに」と感じてしまう場面が、生きていく中ではきっとあるはずです。
そんな時、これは自分のせいではなく、自分以外の誰かのせいだと考えたくなったりします。誰かを責めたくなる気持ちになるかもしれません。誰かをおとしめて、自分をその人よりも上に置きたくなるかもしれません。そういう気持ちになった時には、自分の思いを否定するよりも、「そうなんだ」と受け入れ、ありのままの自分の思いを認めてあげていいと思います(きっと誰もが同じ気持ちになったことがあるから)。でも、自分や自分以外の誰かを責めたりする必要はありません(そんなことをしても何にもならなくて、かえって自分を追いつめてしまうだけだから)。では、どうしたらいいか。さびしい気持ちや悔しい気持ちを認めたうえで、「自分がもっている」ものに目を向けてみてはどうかと思います。
今日は朝食がおいしかった、外に出たら風が気持ちよかった、友だちと「推し」について話せて楽しかった、部活で苦手なテクニックを少し克服できた・・・。何でもいいので、「よかった」と思えることを見つけて、心の中で(声に出してもいい)「ありがとう」と言ってみてはどうでしょう。私たちは「現在」のことを考えるよりも、「過去」のことを思い返したり(後悔)、「未来」のことをマイナスに予想したりして(不安)、クヨクヨしがちであると本で読んだことがあります。今、自分がもっているものに目を向けて、『感謝』と『前向きな気持ち』で生活していると、不思議とよい方向に変わっていくものです。
周りの人にも、「ありがとう」と言ってみることを勧めます。「ありがとう」は人間関係を好転させる魔法の言葉です。友人や家族に、たくさんの「ありがとう」を贈ってみてください。どんなに「ありがとう」を重ねても、「もう結構」と言う人はいないはずです。私もあなたに贈ります。『校長室より』を見てくれて「ありがとう」!!
今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
先日(8月31日)、本校の学校祭である「聡輝祭」が開催されました。数日前には台風の接近が懸念され、一時は予定通りできるか心配でしたが、当日は多くの方が来場し、楽しんでいただけたことを大変うれしく思います。
さて皆さんは、私が聡輝祭オープニング・セレモニーの中で述べた生徒たちへのメッセージを覚えているでしょうか。「今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!」です。
高校時代は一度きりのものであり、青春時代も限りあるものです。今日という日も、二度と戻ってきません。(だから、楽しむ時には、思う存分楽しんでほしいと考え、上記のメッセージを送りました。)
私は高校時代、「年を取る」ということについて全く自分事として実感できていなかったと思います。自分が50代、60代になる時は永遠に来ないかのように感じていました。でも実際は、そういう時が間違いなくやってきます(若い高校生である皆さんにも!)。
私が愛してやまない漫画に、『エースをねらえ!』(作者:山本鈴美香)という作品があります。主人公の「岡ひろみ」(「テニス王国」と呼ばれる県立西高等学校のテニス部に入り、夢中になってテニスに取り組む)に、テニス部コーチの「宗方 仁(むなかた じん)」(岡ひろみの才能を見出し、猛特訓する)が次のように語る場面があります。
「この世のすべてに終わりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、いつと知ることはできなくても、一日一日、一球一球、確実にその終わりに近づいている」
「だから、燦(きら)めくような生命をこめて、本当に二度とないこの一球を精いっぱい打たねばならない」
宗方コーチは、自身が選手であった時、テニスに心底打ち込み、優秀なプレーヤーであったにもかかわらず、突然の足の故障のために選手生命の終わりを迎えなければならなかった人物として描かれています。自らのつらい経験をふまえ、若い岡ひろみに、「自由に動けるうちに、自由に走れるうちに、悔いのないプレイをしておけ」と、テニスだけにとどまらない、「人生の忠告」とも言える教えを与えるのです。
この言葉の意味を、若い皆さんはどれだけ実感をもって理解できるでしょうか。私たちは、何気ない日常を当たり前のものとして過ごしていますが、今日という日は二度となく、高校時代も確実に終わりに近づいていきます。その限りある大切な日々の意味を心に置いて、「燦めくような生命」をこめた時間を過ごしてほしいと、私は思います。
時に「未来」や「将来」のために、「今」を捧げなければならない必要があることは確かです。部活動で大会に勝つためや、大学入試で合格を自分のものにするためには、ある程度は、というより、かなりの程度の努力、忍耐、我慢が求められます。ただ、その努力、忍耐、我慢は、一見地味で「泥臭い」ものに思えたとしても、後になって振り返ってみると、やはり「燦めくような生命」をこめた時間だったと気づく時がきっとあります。本当に好きだと思える「何か」、そして全力で取り組める「何か」を見つけられたならば、その「何か」のための努力には精いっぱいの「燦めくような生命」をこめることができるはずです。
皆さんの「何か」は何ですか? 二度とない青春時代です。どうか「悔いのない」日々を過ごしてください。夢や希望を胸に抱き、困難に負けずに生きる意志をもち、自らの若いエネルギーを「打ち込める何か」に思い切りぶつけていってください。自分の存在を懸けて生きる「今」という瞬間を楽しみ、その思い出を胸に刻んでください。
頑張れ、小高生!! いつも応援しています。
「人間万事塞翁が馬」
~「負けない」でいることが大事
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじ さいおうがうま)という漢文を知っていますか? 私は、高校時代に古典の授業でこの漢文を学びました。こんな話です。
昔、中国の国境近くに、老人が住んでいました。あるとき、老人が飼っていた馬が隣国に逃げてしまい、周囲の人々はこれを気の毒がりました。しかし老人は、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。果たして数ヶ月後、逃げた馬が足の速い馬を連れて帰ってきました。
周囲の人々は祝福しましたが、老人は「どうしてこのことが禍(わざわい)にならないだろうか。いや、禍になるだろう。」と言いました。老人の家には良馬が増えましたが、老人の息子は乗馬を好み、馬から落ちて足を骨折してしまいました。周囲の人々は見舞いましたが、老人はまた、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。
1年後、隣国が大軍で攻め入ってきました。若者たちは戦いに駆り出され、10人のうち9人が戦死しました。老人の息子は、足の怪我のために(戦いに出ることなく)命を落とさずにすみました。
高校時代の私は、この漢文に対してあまり共感やリアリティーを感じることができませんでした。教訓めいた結論に強引にこじつけた昔話(フィクション)としか思えなかったというのが、正直なところです。でも、(高校時代から40年余りを経過した)今は、とらえ方が少し変わってきました。何が良くて、何が良くないということは、そう簡単に決めつけることはできないと考えるようになったからです。
誰でも失敗や挫折はしたくないし、マイナス(禍)と思われる出来事にもぶつかりたくありません。しかし、失敗や挫折の経験が全くなく、不運に遭ったこともないという人はきっといないし、そうしたことがあるからこそ、私たちは「学ぶ」ことができるのだと思います。大切なのは「失敗、挫折、不運にどう向き合うか」であり、それが最終的に人生の意味を左右するのではないでしょうか。ここで、若い皆さんに勧めたいのは、「長い時間の流れ」の中で物事を考える(想像する)ということです。「人間万事塞翁が馬」は1~2年の間に起きたと思われるエピソードですが、私たちの人生はもっと長く続き、ある出来事が生じた当初はマイナス(禍)だと思われたけれども、その後の紆余曲折の中で「結局はあれでよかったのだ」とプラス(福)に転ずるというのは、実はよくあることなのです。ただ、プラスに変わるタイミングは様々で、数日後だったり、数ヶ月後だったり、数年後や数十年後のこともあります。つらいことや寂しいことがあっても、一見平凡に思われる日々を「かけがえのない」ものととらえて過ごし、自分と自分に縁ある人たちを大切にして、思いやりをもって生活していくと、ある時ふと光が射してきて、道が拓けたり視界が広がったりすることがあります。泣きたいような時があったとしても、「負けない」でいることが大事です。心優しい小高生の歩む道は、明るい光に照らされ、美しい花が多く咲いているはずです。微笑みを忘れず、朗らかに進んでいこう!!
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
27   | 28   | 29   | 30   | 1   | 2   | 3   |
4   | 5   | 6   | 7   | 8   | 9   | 10   |
11   | 12   | 13   | 14   | 15   | 16   | 17   |
18   | 19   | 20   | 21   | 22   | 23   | 24   |
25   | 26   | 27   | 28   | 29   | 30   | 31   |
小山高校・若木小学校東側の道路はスクールゾーンのため、朝7:00~8:30まで車両進入禁止です。