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今回は、校務日誌や勤労動員執務日誌について紹介いたします。
現存する最古の日誌はこちら↓
校務日誌昭和16年12月8日の記事欄に「第6時限 日米英宣戦布告ニ対シ戦勝祈願ヲ黒磯神社ニ参拝」とあります。
学校教育の現場にも戦争の影が暗い影を落としているのが伺えます。
校務日誌の昭和20年8月15日の学校事項重要欄には、
「正午玉音放送」と書かれてあります。
こちらは勤労動員執務日誌↓
こちらにも同じ8月15日、終戦の日記事欄には、
「後十二時零分ヨリ池端ニヲイテ聖旨玉音ヲ拝聴シ感泣(原文のまま)トクル能ハズ」と記載されています。
この日誌は、実践女学校時代に当時の古河電気株式会社日光電気精銅所に学徒動員がかかり、
その引率をしていた教員が書いたものになります。宿舎は金谷ホテルの従業員用の部屋だったそうです。
最大で57名の生徒が赴いた学徒動員。
令和の今、平穏な学校生活が送ることができている幸せを、今一度、再確認しなくてはなりませんね。
黒磯高校 校歌
澄みわたる 青空に
なびく白絹 夢よぶ噴煙
叡智の瞳 集めて仰ぐ
那須は清き山 情熱の山
ここに窓あり 黒磯高校
希望みなぎる われらが母校
風駛り 霰降る
冬の広野も 愛する大地
自律の気風 こぞりて拓く
那須は未来ある 開拓の原
明日の文化のさきがけつくる
意気と純情 われらが胸に
雲はるか 花はるか
流す那珂川 目指すはいずこ
みどりの春も 紅葉の秋も
那須はあたたかき 平和の泉
ここに苑あり 黒磯高校
栄の白菊 薫れよ永遠に