2011年5月の記事一覧

歴史散歩1 「東日本大震災」平成23年3月11日(金)当日

化学室 昨年度は校内施設などを巡り「校内散歩」を書かせていただいた。今年度は真女高100年の歴史の中を散歩してみたいと思う。
 まず、3月11日について記憶の薄れないうちに書いておきたい。あの日は、上天気で、高校入試の合格発表日であった。午前10時に東昇降口の上に合格者の受検番号が掲示され、見上げる受検生や保護者から歓声が上がり、職員玄関前では合格者に書類の手交が行われたが、昼前には一段落した。
 また在校生の多くの者に取っては3月4日(金)以来、1週間ぶりの登校日であった。6時間目の授業が始まって約30分後、巨大地震が起きた。「初めはいつもの小さな地震だろうと思った。しかし、その長さと揺れの大きさは自分が今までに経験したことのないすさまじいものだった。化学の授業で使っていた器具があちこちに飛び散り、急いで机の下に潜った。とても怖かった。」(現3年Aさん)
 すぐに全校生徒が校庭の芝生の上に避難を完了したが、その時はまだ、どこが震源か、どの程度の規模の地震なのか把握ができないままだった。

歴史散歩2 「東日本大震災」平成23年3月11日(金)日暮れ

廊下 大地震と同時に停電が発生したので、ハンドマイクを使って芝生の上で点呼をし、生徒全員の無事が確認できた。一人のけが人もおらず、本当に安堵したことであった。それから、余震の様子を見ながら生徒を少人数に分けて、校舎内に貴重品を取りに入らせることにした。電話は非常に繋がりにくくなっていたが、心配した保護者の皆さんも集まりはじめ、3月14日(月)は臨時休校とすることを決めて生徒に知らせ、家族との連絡確認のできた生徒から順次帰宅させた。日が落ちて寒くなってくる中、陸上部から寒さに震える生徒達にベンチコートが貸し出され、停電で暗いところにワンゲル部が非常用ライトを灯してくれ、非常食の飴などを配ってくれたのが心強いことであった。また保健室から毛布等を持ち出して配り、迎えを待つ生徒の待機場所は見通しのきく事務室にした。最後の生徒が迎えの方と帰宅したのは午後八時過ぎであった。
 宇都宮市内などと比べて、芳賀真岡地区の被害が大きいことを認識したのは、翌日になってからである。3月12日(土)も停電は続いていたが、教職員が何人か出勤して被害状況の確認と報告を行った。水道の配管がダメージを受け、真岡鐵道もストップしており、授業再開には時間がかかりそうであった。