2012年1月の記事一覧

歴史散歩7 逞しい女学生達

歴史散歩7 逞しい女学生達 本校は明治44年に創立され、大正4年に現在地に移り新校舎が落成した。この写真は落成当時のもので、正門が南側にあり、現在より校庭が狭いことがわかる。
 目を引かれるのは、校庭と地続きで校舎の前に広がる田畑である。このような光景の中にいたからなのか、当時の女学生達は農業に対して現在よりずっと親しみと実践能力を持っていたようである。昭和の初め頃の本校には、「家政部(後に園芸部)」という部活動があり、草花や蔬菜の園芸に励んでいた。校庭の一部のほか、約一反歩の畑地を借りて、根菜(馬鈴薯、大根)・葉菜(白菜、菠薐草)・果菜(インゲン、茄子、大豆)等を栽培し、養蜂をし、羊や兎や鶏を飼育し、ヘチマからヘチマ水を作り、温室でバナナやマンゴーの栽培(昭和6年頃)までしている。部活動ばかりではなく、各クラスでも真岡農学校から蚕2千匹を譲り受け、養蚕をしていた(昭和8年頃)。ペンを握っていた手で放課後は鍬を取り、その実りをバザーで販売し校友会益金を作ったとは、何と逞しい乙女達であることか。
 朝は海老茶色の袴に桜の徽章のベルトをきりりと締めて登校し、学業に励み、放課後は畑を耕していたことを想像すると、この写真からも乙女達のエネルギーが照射してくるようである。

歴史散歩6 ナイチンゲール達

歴史散歩6 ナイチンゲール達 今年度、真女高は創立百周年を迎え、同窓生の皆様をはじめとする様々な方々の御支援を頂きつつ記念事業を実施した。近隣の病院など医療の世界で活躍されているOGの皆様からも、「真女高の卒業生ですから少し協力させてください」と温かいお言葉をいただいた。
 本校では昭和50年4月1日に衛生看護科が開設され、平成16年4月1日に閉科となるまで多くの看護師が育っていった。往時の「戴帽式」は、厳粛な中にも大変感動的なものだったそうだ。生徒達がろうそくの灯を寄せ合い、涙を浮かべながら立派な看護師となることを誓ったという。その雰囲気はこの写真からも充分に感じることができるように思う。ここに集った乙女達も、今は社会の中堅として県内外の医療現場で活躍しておられることだろう。
 現在も本校では、希望する進学先として医療看護系を挙げる生徒がかなり多い。それは、この乙女達の優しくも強い精神が受け継がれているからかも知れない。
 写真の乙女達の視線の先にあったナイチンゲール像は、今もちゃんと保存されている。