SGH活動報告

SGH活動日誌(H28)

SGH福島フィールドワーク(2日目)その5

 本日最後の野外研修ということで、楢葉町視察を行いました。

 楢葉町は、平成27年9月5日、全域に出されていた避難指示が解除された所です。

 解除されたのが比較的最近ということもあり、まだ元の住民の1割ほどしか帰還していないということです。

 町の説明を、楢葉町役場の楢葉町復興推進課長、猪狩充弘さんにしていただきました。

 未だ9割近い住民が帰還していないなか、帰町目標を「平成29年春」と明示しています。

 具体的に、「コンパクトタウン」の建設を始めているなど、とにかく住人が住みやすい町を目指して復興の活動を進めている段階です。

 

  今日から我々が2泊する「しおかぜ荘」エリア内にも復興記念碑が建てられていました。

 電力供給についても新しい方法を考えるなど、止まることなく着々と復興を進めていく様子を見ることができました。

 今後の復興推進を願うばかりです。
 
 

 

 
 

SGH福島フィールドワーク(2日目)その4

 昼食後、本校と同じくSGH校の福島県立ふたば未来学園高校を訪問しました。

 社会企業部の生徒さんと、顧問の佐藤先生に対応していただきました。
 歓迎ムードで迎えていただき、まずはふたば未来学園高校の紹介から始まりました。
 原子力災害からの復興を目指すグローバルリーダーの育成をコンセプトに活動の幅を広げているということです。
 

 
 
 その後、部員による福島クイズをしていただきました。意外な答えも多く、佐野高生が驚く場面もありました。以下、その問いと答えになります。是非考えてみてください。研修に行った研究班は、復習してください。
 問1.震災前に福島県で暮らしていた人のうち、現在県外に避難して暮らしている人の割合(%)はどのくらい?
 問2.福島県では、年間1000万袋ほど作られる県内産の放射線について全量全袋検査を行っている。そのうち、放射線量の法定基準量を超えるのは何袋か?
 問3.福島県の漁業の水揚量は、2010年度に比べて、2015年度は何%回復した?
 問4.福島県の観光客は、2010年度に比べて2014年度は何%回復した?
 問5.福島県の平均初婚年齢は、2013年では、47都道府県中、何位?
 問6.今、立ち入りができないエリア(帰還困難区域)は、福島県全体の面積の何%?
 問7.原発から20km地点にある広野町(震災前の人口約5500人)には現在、何人ぐらいの方が住んでいるか?
 問8.全村避難した川内村(震災前の人口約3000人)は、2012年4月1日に帰村したが、現在、何人ぐらいの方が住んでいるか?
 問9.大熊町・双葉町にできる中間貯蔵施設は、東京ドーム何杯分の容積?
 問10.福島県の震災関連死の数(2016年3月31日)は何人?
《解答》
1.約2.2%
2.0袋
3.15%
4.82%
5.1位
6.2.4%
7.約5000人
8.2749人
9.13~18杯
10.2038人
 クイズの後は、佐野高生による高校紹介と福島県に関するアンケート調査結果です。こちらは昨日行った内容と同じものです。非常に高い関心を持って見ていただいた印象を受けました。
 
 
 その後は班に分かれてこれからの福島を盛り上げるためのディスカッションを行いました。非常に短い時間でしたが、生徒は皆一生懸命アイデアを出していました。そのアイデアを班の代表者が最後に発表しました。どの発表も大変建設的なものとなっていました。
 
 
 最後に佐藤先生から、震災から時間が経っているにも関わらず、県外の皆さんがここまで福島のことを考えて調べてくれるのは大変嬉しいというお言葉をいただきました。生徒にとっても教員にとっても大変有意義な時間になりました。以下、ふたば未来学園高校の生徒さんと交流をもった本校生の感想です。(※一部抜粋、イニシャルは仮)
・事故からの復興とその先のことを考えている姿を見て、佐野からも支援をしていきたいと改めて思いました。(Tさん)
・震災後に商店がどんどんつぶれてしまっているということだが、学校が参加する祭りにはたくさん人が来ているらしいので、そのときにもっと福島をアピールするべきだと思った。
T君)
・佐野でとったアンケートに高い興味を持ってくれたように感じた。(A君)
・福島に対するお互いの気持ちを言い合えてとても良かった。意識に違いがあり、ちょっと誤解していたのかなという部分もあったので、今後もっと交流を持ち、そういう誤解をなくしたい。(Kさん)
・改めて知識や意識のズレを感じた。報道されていないことも知ることができ、特に差については衝撃を受けたと共に、他県民として深く考えさせられた。
N君)
・福島県民の思いと私たちの思いとはかなりズレがあることが分かった。(Mさん)
・福島への悪いイメージを持っている人が目立ってしまい、良いイメージを持っている人の存在があまり目立たないのではないかと思った。(Mさん)
・実際に風評被害を受けないと感じないような怒りや恨みに近いような意見を聞くことができ、改めて自分達も放射能の知識について認識しなおさなければならないと感じた。(Yさん)
・復興が遅いという意見があったが、復興の中にいる福島の人には、生活の中に復興があるので気付いていないだけで少しずつ進んでいるのではないのかと思う。比べるものが何もないので復興の実感が福島県民も福島県外の人も分からないからではないか。(Sさん)
・福島県の生徒と私たちでは考え方に違いがあることが分かった。見学して復旧はしているが復興はしていないことが分かった。復旧と復興のギャップに気付かされた。(Aさん)
・福島では復興を5年間行ってきたため、取り組むべき問題が分からなくなっていると思う。それゆえ県外から取り組むべき問題のことを伝えていきたいと思った。(Iさん)


SGH福島フィールドワーク(2日目)その3

 川内村の遠藤村長からの講和を受けたあと、村内にある「株式会社KiMiDoRi」へ見学に行きました。

 そこでは、代表取締役の早川昌和さんに対応していただきました。
 
 新しい農業の形式ということで、「完全密閉栽培」を行っており、安全・安心な無農薬野菜(主にレタス)を生産しているようです。
 
 実際に試食させていただきました。非常にシャキシャキしており、大変おいしかったです。
生徒も皆おいしいと言っていました。
 
 
 ちなみに、佐野の近くということで、実際に群馬の太田イオンで販売をしているそうです。
 その後、ワイン用ブドウ畑を見学に行きました。そこではワインの元となるシャルドネを育てていました。ガイドをしていただいた方は、お一人で畑を管理しているそうです。
 自身は徳島県出身なのですが、復興支援のために自ら川内村に出向き、働かれているそうです。
次の東京オリンピック開催時には、盛大に福島産ワインのアピールを行いたいということです。
 
  その後、蕎麦酒房「天山」にて川内の地下水が育んだ蕎麦粉を100%使用した十割蕎麦を昼食としていただきました。炊き込みご飯もついており、デザートの蕎麦豆腐も絶品でした。午後の活動にも力が入ります。
 
 
 


SGH福島フィールドワーク(2日目)その2

 ホテルを出発後、福島大学うつくしまふくしま未来支援センター相双地域支援サテライトの坪井真喜さんの案内のもと、川内村調査を行ってきました。

 
 まず始めに、川内村の村長である遠藤雄幸さんから講和をいただきました。

 村の面積は約2万ヘクタールあり、震災前は木炭の生産で有名でした。

 人口数は、震災前約3000人でしたが、今は約2800人だそうです。

村の売りは豊かな自然、人柄が良いことだとおっしゃっていました。

震災時、川内村は隣に位置する富岡町の町民の避難場となりました。

しかし、福島原発の爆発事故が起きたことによって、川内村にも屋内退避指示が出て、さらに避難をする必要性が出てしまいました。

その時の住民の見えない放射線への恐怖感は相当なものでした。

また、原発事故後の福島県民への差別が多かったことも、村民及び県民を苦しめることになった一つの原因でした。福島番号の車のガソリンスタンド立ち入り拒否などが実際にあったようです。

また、福島県の被害として特徴的なのが、震災直接死より震災関連死のほうが多いということでした。川内村でも90人が関連死されたそうです。

それだけ毎日ストレスの多い生活をされていた様子を窺い知ることができます。

また、農林畜産業の休業や廃業も余儀なくされました。

その後、2012年1月31日に、「帰村宣言」が出されました。

そして、2016年6月14日に、ようやく全村制限区域の解除がされました。

それでも課題は多く、あまり知られていないことですが、原発から20kmのラインを境にして保障や賠償額が全く異なることも、県民を苦しめた要因の一つになりました。

つまり、同じ市内や町内及び村内だとしても、道路を挟んで賠償が全く異なるということが起きてしまったわけです。それにより、住民同士の関わりが上手くいかなくなるケースがあったようです。

また66.6%が戻ってきたとはいえ、高齢者が40%であるため、超高齢化社会か人口減少が懸念されるようです。

 
  しかし、それでも農林畜産業は7割ほど回復しており、新しい農業の取組みも行われ、着々と復興への道を歩んでいるということです。

是非佐野高生も、今後生きていくうえで壁があっても、止まることなく立ち向かって乗り越えようとしてほしいというメッセージをいただきました。そのメッセージをしっかり心に受け止めて、私たちも日々努力していきたいものです。


福島フィールドワーク(2日目)その1

 生徒教職員共々元気に二日目の朝を迎えました。

 本日は以下の日程で行います。

  7:50 ホテル発

 10:00 川内村調査

 12:00 昼食

 14:00 福島県立ふたば未来学園高校訪問

 15:30 楢葉町内視察

 17:30 「しおかぜ荘」着

 18:00 夕食

 19:30 本日のフィールドワークまとめ、明日の準備

 それぞれの研修内容については、この後まとめてアップしていきます。

 本日も実りある研修にしていきたいと思います。

SGH福島フィールドワーク(1日目)その3

 午後の講義は、「福島大学うつくしまふくしま未来支援センター」の企画コーディネート部門長の塩谷弘康先生のご挨拶から始まりました。

 塩谷先生からは、仲井先生と同じく、本センターが復興支援のために作られたものであるという話をいただきました。

 また、本校SGHのテーマである田中正造型グローバルリーダー育成について触れていただき、田中正造が告発した足尾銅山鉱毒事件と福島の放射能被害についての“公害”という分野での共通性を取り上げ、今回のSGH活動で得たことを是非広く生徒の皆さんから発信していただきたいという話もいただきました。

 その後、本校の紹介・調査結果の発表を研究班が行いました。
 

 その後、農・環境復興支援部門特任准教授の小松知未先生より「営農再開に向けての取組み、風評被害 他」という題目の元、講義をいただきました。

 まず、教員を含む全員から福島に関する質問を受け付け、その後放射能と放射線の基礎知識の勉強をしました。

 続いて福島の農業についての話に入りました。

 元々福島は、農業イレブンといい、11品目のPRがあるほど農業は活発でした。

 しかし、事故を受けたことにより、①農業をやめる。②品目を変える。のどちらかを選択しなければならないという状況になりました。

 結果的には、徹底した放射性物質検査を行うことにより、農業の継続をすることとしたということです。

 そして現在は以下の3点の理由により、放射性物質の影響がほとんどないということになっているようです。

 ①時間の経過。(セシウム134の半減期は短く、かなり減っている。)

 ②土と結合すると農作物への吸収がほとんどない。

 ③カリ質肥料で吸収抑制。(植物はカリウムを優先的に吸収する。)

 特に③の効果は絶大でした。
 これにより、結果的にはこれまで作られてきた農作物の品目の変化はほとんどないものになったそうです。
 これ以降は冒頭に出た質問についての回答を交えた講義となりました。
 福島産の米については全量全袋検査を行い、基準に引っかかった米が出た一帯については徹底的に管理をしてカリ質肥料を与え続けて事故前の状態に戻しました。

 その他にも様々な徹底検査、及び管理をして現在では農作物の放射線検出量はほとんどなくなっています。

 事実福島県民は、農作物への不安が大幅に低下しているという調査結果が出ています。
 

 風評被害はだいぶなくなっているとはいえ、まだまだ一部には不安が残っている状態です。

 本日の研修を受け、福島県挙げての徹底した農作物の管理や検査の徹底を知ることができ、このような事実を広く発信していきたいと思います。

SGH福島フィールドワーク(1日目)その2

 2度の休憩をはさみ、12時前には福島大学に到着しました。

 昼食をとった後、予定より時間があったため、福島大学の仲井康通先生に「福島大学うつくしまふくしま未来支援センター」の案内を急遽していただくことになりました。

 建物の5階から順に案内していただきました。

 仲井先生によると、本センターは東日本大震災の復興支援のために建てられたそうです。

 確かに4階には、相談室、支援室というものがありました。
 


  

 また、同時に農産物の放射線量を調べている施設でもあるそうです。

 1階にある放射線分析装置室も案内していただきました。

 そこでは、食品放射性物質検査機器による放射線量測定の様子を拝見することができました。

 ここで徹底的に農産物の放射線量を調べているそうです。

 また、ここ以外でもJAなどでも常に検査をしているそうです。
  
 
 

 午後は福島の取り組みについての講義をいただきます。

SGH福島フィールドワーク(1日目)その1

 本日からSGHクラブ研究班(福島チーム)10名のフィールドワークが始まります。
 11日までの3泊4日の日程で行います。
 活動については、随時アップしていきます。
 実りある研修にしていきたいと思います。

福島チームの8名(残り2名は後ほど合流)

台湾フィールドワーク5日目(最終日)

本日は丸一日かけて移動日です。
帰佐予定時刻は21:30になります。

台湾アンケート調査の様子を、
Youtubeにアップロードしました。
低画質のヴァージョンですが、
「佐高SGH」で検索してみて下さい。
台湾新幹線で、台中から台北に移動します。
   



 台北松山空港に着きました。


 5日間同行して頂いたガイドさんとお別れです。
  
東京羽田空港に着きました。

最後に

<現地校生との合同フィールドワークin台湾から>

(1)台湾は多言語社会、複言語社会
  人々の母語が多様な多言語社会でした。そして、
多くの人が2つ3つの言語を操るのが当たり前の複言語社会でした。
「お父さんは日本語と英語しか使えないから」
というフレーズには衝撃を受けました。

台北では英語が通じました。
台北日本人学校の生徒も英語が上手です。
でも授業で使うだけで、日常生活で英語を使う機会がないのは台湾も日本と同じなのだそうです。


では日本と台湾はどこが違うのでしょうか?

今回のSGH台湾FWに協力頂いた、台北の国立政治大学の白田さんの話では、
「台湾人は英語が通じる相手と分かると、とにかく英語を使ってみよう!と話しかける。
日本人とみると、覚えたての日本語で私に話しかけて来る。言葉がへただとか、まったく気にしない。

台湾人は、本当に心が広くてオープンマインドで、

その積極性にはいつも感動しています。」

外国語が上達するはずですね。

(2)今回のフィールドワークを具体的提言につなげる

”水”に関する意識は、
日本と台湾とで大きく違うことが分かりました。
そして、水は大切といいながら、
”水”について考えることが今まで少なかったと知りました。

「知らざるを知らざるとなす、これ知るなり」(論語)
台湾で活躍され

台湾で活躍する佐高OBの地球科学者・飯塚義之先生から教わったこの言葉を思い出します。

さらに飯塚先生からは、
「我々は台湾政府の予算を使って研究している。
だから研究を通して社会に貢献しなければならない。」
「皆さんも文科省の国費を使ってここに来ている。
だから台湾フィールドワークが単に自分の成長につながればいい、ではいけない。」
「台湾フィールドワークの成果を社会に還元してほしい。頑張って。」
と温かい励ましを頂きました。

SGH研究班は、日本帰って調査結果をさらに分析し、
必要なら日本で追加調査を行い、
佐野や台湾のための具体的提言にまとめたいと思います。
今後の動きとしては、
学会に行って高校生が提言発表することを考えています。


SGH研究班の保護者の皆様にはお世話になりました。
生徒はたくさんのstudyに取り組む中で、
たくさんのstoryを積み重ねました

Every  SGH student has a story to tell.

話を聞いてやって下さい。

この台湾フィールドワークは、
様々な方のご協力があって初めて実現しました。
感謝申し上げます。(了)






       

台湾フィールドワーク4日目(台中2日目)

<国立自然科学博物館>

台中市にある、台湾第一の自然科学博物館を見学しました。
台湾や世界の水環境について学びます。

博物館副館長を表敬訪問しました。

SGH研究班より代表生徒が英語で副館長さんに感謝の辞を述べました。

宇都宮大学国際学部に留学中の台湾人学生の友人で、
この博物館でガイド経験もある現地の台湾人大学生が解説をして下さいます。
生物学を専攻されている学生さんで、恐竜展示のガイドをされていた方です。


水~絶対に必要な液体

「人体の7割は水」を視覚的に表現しています。

人は水を毎日どれくらい使っているのか?
How much water does one person use each day?

2008年の台湾人は家庭で毎日230リットルを使っている(公共使用分も含めると274リットル)
トイレで64リットル、洗濯に50リットル、風呂・シャワーに48リットル、
手洗いに36リットル、洗い物に40リットル。

共通点は、全部洗浄用!
飲み水は、1日せいぜい2~3リットルですから、
人が水を使うということは、
汚れを運んでもらうということ

なのですね。

”水”について考えるということは、
生き方について考えるということなのだと思います。

<アンケート調査in台中>
午後には、”水”に関する意識調査を実施しました。
”水”問題はグローバルな問題であると同時にローカルな問題でもあります。
風土の異なる台北と台南の意識の違いを調べます。

台湾語と中国語はまったく異なるそうです(別言語レベル)。
台湾中部から南部にかけては台湾語話者が多いため、
台湾語もできる現地の学生と合同で調査しています。



集計作業を、スキマ時間を活用して進めています。
 
お世話になっている青柳先生に、博物館で買ったキーホルダーをSGH研究班からプレゼントしました。

 ホテルに帰ってディスカッションとレポート作成です。