SGH活動報告

SGH活動日誌(H29)

SGH水俣フィールドワーク1日目(3)

時間の変更はありましたが、無事に「JNC株式会社」の見学を終えて宿泊先の「八代駅」へ向かっています。
本日の研修内容については、この後まとめて更新致します。

SGH水俣フィールドワーク1日目(2)

無事に全員鹿児島空港へ到着しました。全員体調に問題はありません。
飛行機遅れのため、一部予定を以下のように変更しました。
13:55 「国分駅」発
15:20 「水俣駅」着
15:30 「JNC株式会社」見学

SGH台湾フィールドワーク 参加生徒の日誌より

学びの密度がこれだけ濃い1日はなかったと生徒たちは話します。わずか1日でこれだけ体験し、これだけ既成の考え方を揺さぶられた1日は、日本にいたままでは、味わえなかったのではないでしょうか。わずか1日が、大きな1日になる。生徒の飛躍的成長を目の前で見届けることができるのは、引率教員としても幸せです。

大芦さくら 高1
ボランティアで活躍しているおじいさん、おばあさんの話を聞いてものすごい衝撃を受けた。16年間生きてきて、そんな考え方は全然したことがなかったし、そのような発想をする大人も周りにいなかった。高齢化が進む日本こそ、高齢者が活躍し、生きがいが持てることが必要なのに、と思った。


坂井里衣 高1
仕事帰りや学校帰りにボランティア立ち寄る人から朝から一日中励む人まで一人ひとりが熱心に「地球のために」作業している姿を見て驚いた。921地震教育園区は全壊した学校をそっくり保存していて、(同じ地震国でも)日本にこのような場所はないので、国によって発想がこんなにも違うことが分かった。

松澤あさひ 高1
921地震教育園区の展示に表れているように、災害を単に悲観するのではなくそれを次に役立てる、この姿勢を私達は学ぶべきだ。また、慈済のような場所は日本には少ない。高齢者も障害者も仕事が十分にない。誰もが社会に貢献でき、やりがいを見つけられる仕組みを考えていくことが必要だと思う。

篠崎凛花 高3
慈済リサイクルセンターの言葉が私のこころに響いた。いくつになっても、いつまでもリサイクルやボランティア等の仕事があれば、老人も元気になり、社会の役にも立てる。93歳の環境ボランティアの方の「地球が健康になれば、私も健康になります。」という考えを、日本にも広めたい。

相田真沙樹 高3
ボランティアの方の実践に感動した。自分が行動することによって他者の心を動かすということが、単なる呼びかけよりも効果的なのだ。ボランティアを通して、高齢者にやりがいと社会に貢献しているという実感と、そしてコミュニティの場を実現し、健康寿命に繋げている様を体験できた。

飯塚菜摘 高2
83歳のボランティアが笑顔で働いている姿を見て感動した。日本にはこのような場所はないのではないか。分別ボランティアを体験したが、私たちがコンビニ等で買物するだけであんなにゴミが出て、そしてそれを私よりはるかに高齢な方が分別していることを知り、自分の生活を見直す契機になった。

石川健吾 高2
慈済のボランティアの方々にはとても温かく接して頂き、僕の質問への回答の些細な誤りにもわざわざ電話番号を調べてかけてきて教えてくださり、何度も謝って頂いたりして、その温かさ、心配りの深さに感動した。将来は英語はもちろん中国語を身に付けて日台交流に尽くしたいと思う。

SGH台湾フィールドワーク最終日(移動日)


今日は移動日です。活動はありません。今は台湾新幹線の車中でこの記事を書いています。

「SGH台湾フィールドワークの総括」
このフィールドワークは、地域資源を生かしたまちづくり復興の調査が目的でした。同時に重要な副産物(教育効果)がありました。

それは、調査活動を通して参加生徒たちが「あのような人に、私はなりたい!」と思えるような人にたくさん出会い、向上心を大いに刺激されたことです。

震災というピンチをチャンスに変えたまちづくりリーダー、なぜ取り組むのかという問いに地球を愛しているからと即答したおばあさん、優秀でも謙虚で朗らかで、何より熱意に燃えている医師、教育のビジョンを語り一日じゅう我々にあれこれと尽くしてくれた大学教授、3・11東日本大震災のボランティアに4回入ったのという台湾人ボランティア女性、太平洋戦争で左腕を負傷し苦労して生き抜いてきて、今の世界情勢を心配する通訳のおじいさん、ただ学生に最善の環境を提供したいだけと語る図書館主任、水道水への市民意識を変える夢を持って取り組む水道局の皆さんなどなど。

生徒の言葉を借りれば「このFWでは、あのような人になりたいと思えるおとなに、毎日会いまくっています!」
「神様のような人だ・・・」と後ろから手を合わせた生徒もいました。

「今の日本の子どもたちの不幸は、ロールモデルとなる大人が身近にいないことだ。」これは私の先輩教員からかつて教わった言葉です。その意味で、参加生徒たちが日本にとどまっていたのでは得られない発想と、恩返しをしたい気持ち、つまり自分の力を社会に生かすために勉強するのだという公共精神を学んだことを、目の前で見届けることができました。
日本に帰国後、生徒たちが疲れを十分とるとともに、今後の飛躍的な行動の変容を期待してます。

参加生徒の日誌より


松澤あさひ(高1)
桃米生態村は何気ない資源で元気付け、復興させ、人を呼び込めている。台湾の人の温かさ、商魂のたくましさを見ることができた。桃米を一つのお手本とすべきだ。

坂井里衣(高1)
プーリーのまちがここまで震災から復興できた理由は、人の温かさとアイデア力。エコビレッジは、プーリーの何気ない魅力と被災者の思いがつまった場所です。

大芦さくら(高1)
埔里の人たちは、私達なら絶対気付かないような地域資源を見つけ、それを発展させていくのが上手だ。今の日本、佐野市に最も必要な力ではないだろうか?

SGH台湾フィールドワーク4日目

921大地震の被災地の一つである埔里鎮(鎮は市に相当)の市役所に来ています。震災当時の状況、地域資源を生かしたまちづくり復興について、聞き取り調査を行いました。


Q.震災当時の課題について
A.震災当時は混乱していて、犠牲者が1000人以上も出ている状況だったため、当時の記憶はあっても資料が実は余り残されていない。とりあえず図書館で探して本を探して来ました。次の写真は、資料にあった当時のこの市役所庁舎です。ご覧の通り全壊しました。

Q.埔里には震災当時の傷跡が保存されている例が多いですね。
A.市内に残る倒壊した建築は、悲しい記憶ですが、一定の時間も経過した現在、生々しくないように手を加えて加工し、芸術的なオブジェに高める形にして保存、展示し始めています。逆に、日本はなぜ震災の跡を残さず、取り壊してなくしてしまうのですか?

(例)被災した金属製の樽を、そのまま公園のオブジェとしている。金属がぐにゃりと歪み、地震のすさまじさが伝わってくる。

Q.震災から18年が経過した現在、当時の恐怖心や地震への恐れは和らぎましたか?
A.市役所職員である私自身も被災者で、今でもちょっとした地震があっても恐怖心があります。

Q.学校の授業は震災からどれくらいで再開できたのですか。

A.校舎の再建には早くても半年を要しました。子ども達はそのまま級友と離れ離れになって各地の学校へ転校していった例が多いです。

Q.特に、被災したこどもたちへのケアについて
 A.カウンセラーの派遣を行ってきていますが、心の傷は18年目の今でも消えません。息の長い支援が必要な分野だと考えています。

Q.震災当時の町の様子や救援物資、災害支援の様子について
ライフラインや道路が寸断されたため、孤立した小さい町なのでレベルの高い医療も受けられませんでした。場所によってもまちまちだが、助けが来るのに一週間かかったところも。支援物資自体は次の日には速やかに届いたのですが、なにぶん混乱していたので、配布するのが難しかった。食料や飲料水だけでなく、紙オムツやミルクなど生活物資全般が不足した。暑熱の時期だったため、暑熱を防ぐためのテントが特に不足した。コンビニでの物資の強奪も起きた。テレビで日本の被災の様子を見ると、痛ましいけれども日本人はみなcalmで落ち着いていて尊敬する。どうしてそのようにcalmで居られるのですか?
A.いえ、1923年の関東大震災の時は日本人も大パニックに陥ったのです。地震の回数は台湾より多いので、そのたびに教訓を学び身に付けた結果だと思います。

Q.被災地域は広範囲なのに、なぜ埔里をフィールドワークの場所に選んだのですか。
A.日本でもどこでも被災地は衰退し、かつての繁栄を取り戻せているところは少ないです。神戸市もそう。それなのに埔里はトンボやカエルなど何気ない地域資源を生かして震災時以上の繁栄をしているところに魅力を感じたので、埔里をフィールドの場所に選んで調査に来たのです。

Q.埔里のどのような地域性に着目して復興を考えましたか?
A.埔里は標高が高いため、低緯度地方でも気候が日本に近い点を生かして、日本人向けのロングステイ事業を進めてきました。わたしは埔里鎮(鎮は市に相当)の日本人ロングステイ事業担当者でもあります。埔里の日本人長期滞在者をわたしは知っていますが、残念ながら、この時期は皆ちょうど日本に帰ってしまっています。


Q.逆に教えてください。埔里に滞在して、日本人の皆さんが気付いた埔里の魅力は何ですか?
A.片柳先生:埔里の町並みは30年前の日本の地方都市をほうふつとさせます。わたし世代にとっては、自分の子ども時代を思い出させる、懐かしい景観だと思います。
A.高久先生:日本人シルバー世代は退職後、沖縄に移住してセカンドライフを過ごす例が増えてきています。沖縄同様に、冬でも温暖な台湾の気候は魅力です。



午後は台中市に移動し、慈済綜合醫院を訪問、環境配慮型設備と台湾の医療課題について質問した。写真は素晴らしいお人柄の郭勁甫医師。日本語を小学生のころから独学してきたそうで、大変流暢。

大芦さくら(高1)「外国人患者の医療体制について教えてください。」
郭勁甫医師「台湾の医師は英語なら誰もがバッチリです。なぜなら医学書は台湾では全部英語だから。ここは日本と違う。台湾では英語ができないと卒業できません(笑)。」
日本人との英語力の差に圧倒された。

飯塚菜摘(高2)「921地震のような大災害時の医療課題は何ですか?」
郭勁甫医師「わたしも921地震で救援に入りました。慈済ボランティアは、この前はシリアにも支援に入っています。医療は怪我を治すとか外見上のケアをします。でも大災害で一番大切なのはなんでしょうか?それは見えない心のケアです。トラウマともいいますが、数日間で治せますか?治せまんよね。 医療人にできるのは外見上のケアに過ぎない のです。」

松澤あさひ(高1)「台湾では、お金のない人は医療にはかかれないのですか?」
郭勁甫医師「行政が無収入低収入と認定した証明書がある人、戦傷者、それと精神疾患の方は全て無料です。しかしながら、夜市ありますよね、夜市の売り上げは行政は把握できないから統計上無収入になります。このようなケースも医療費無料になってしまうのが課題となっています。」

篠崎凛花(高3) 「私は医療職を目指しています。医療従事者に求められる最も大切なことは何ですか?」
郭勁甫医師「助産師ですかー。今までの医療者の仲間の顔、思い出が浮かんできます、何からお話したらよいか。。。一番大切なのは知識より態度。僕はずっとそう思ってる。いろんな仲間と出会う、チームで仕事をする。僕の医学生時代、解剖をしました。チームは8人ですが、一生懸命深夜まで取り組んでいたのは4人だけ。残りの人は夜食作って食べてました。大切なのは、いい医療人になりたいという熱意だと思います。」

災害時等の非常用水源対策
:水道供給停止の際には近くの山の地下水利用体制が整っている。

水資源不足が台北以上に深刻な台湾中南部では、雨水回収利用が進んでいる。最上階の巨大雨水タンクを説明して頂いた。

石川健吾くん(高2)「この病院に先住民族出身の医師はいますか?」
郭先生が医学生だった時、クラス70名のうち6名が先住民族出身だったそう。
先住民族出身者は10パーセントボーナスが入る。つまり入試で500点だったら550点扱いとなる。郭先生が仰るには、医師には頭の良さは絶対に必要なものではないからだ。

予防医療センターを見学。
「予防は医療に勝る」

別れの際には院長先生より一人ひとりにお守りを手渡して頂いた。

SGH台湾FW 参加生徒の日誌より

学びの密度がこれだけ濃い1日はなかったと生徒たちは話します。わずか1日でこれだけ体験し、これだけ既成の考え方を揺さぶられた1日は、日本にいたままでは、味わえなかったのではないでしょうか。わずか1日が、大きな1日になる。生徒の飛躍的成長を目の前で見届けることができるのは、引率教員としても幸せです。

大芦さくら 高1
ボランティアで活躍しているおじいさん、おばあさんの話を聞いてものすごい衝撃を受けた。16年間生きてきて、そんな考え方は全然したことがなかったし、そのような発想をする大人も周りにいなかった。高齢化が進む日本こそ、高齢者が活躍し、生きがいが持てることが必要なのに、と思った。


坂井里衣 高1
仕事帰りや学校帰りにボランティア立ち寄る人から朝から一日中励む人まで一人ひとりが熱心に「地球のために」作業している姿を見て驚いた。921地震教育園区は全壊した学校をそっくり保存していて、(同じ地震国でも)日本にこのような場所はないので、国によって発想がこんなにも違うことが分かった。

松澤あさひ 高1
921地震教育園区の展示に表れているように、災害を単に悲観するのではなくそれを次に役立てる、この姿勢を私達は学ぶべきだ。また、慈済のような場所は日本には少ない。高齢者も障害者も仕事が十分にない。誰もが社会に貢献でき、やりがいを見つけられる仕組みを考えていくことが必要だと思う。

篠崎凛花 高3
慈済リサイクルセンターの言葉が私のこころに響いた。いくつになっても、いつまでもリサイクルやボランティア等の仕事があれば、老人も元気になり、社会の役にも立てる。93歳の環境ボランティアの方の「地球が健康になれば、私も健康になります。」という考えを、日本にも広めたい。

相田真沙樹 高3
ボランティアの方の実践に感動した。自分が行動することによって他者の心を動かすということが、単なる呼びかけよりも効果的なのだ。ボランティアを通して、高齢者にやりがいと社会に貢献しているという実感と、そしてコミュニティの場を実現し、健康寿命に繋げている様を体験できた。

飯塚菜摘 高2
83歳のボランティアが笑顔で働いている姿を見て感動した。日本にはこのような場所はないのではないか。分別ボランティアを体験したが、私たちがコンビニ等で買物するだけであんなにゴミが出て、そしてそれを私よりはるかに高齢な方が分別していることを知り、自分の生活を見直す契機になった。

石川健吾 高2
慈済のボランティアの方々にはとても温かく接して頂き、僕の質問への回答の些細な誤りにもわざわざ電話番号を調べてかけてきて教えてくださり、何度も謝って頂いたりして、その温かさ、心配りの深さに感動した。将来は英語はもちろん中国語を身に付けて日台交流に尽くしたいと思う。

SGH台湾フィールドワーク3日目

私たちの活動が、台湾のテレビと新聞に載りました。
「台湾好報」7月26日夕刊
http://www.taiwandiginews.com.tw/?p=46995

【記者 張良舜/埔里 報導】
日本超級全球化高中櫔木縣立佐野高等學校進行暑期海外交流,26日訪問國立暨大附中,進行語言、文化及科學等交流。學生們透過中文、日語及英語夾雜,彼此分享不同的文化體驗及科學認識等交流,雙方互動十分熱絡。

日本「超級全球化高中(SGH)」是由文部科學省(教育科學部)推動高中實施培養國際人才的措施。具體內容包括讓學生研究自己居住地區與世界共通的課題、接觸在海外從事企業活動的本土企業、思考國際性問題等;其目的是提升外語能力,藉此提升溝通能力與解決問題的能力。



埔里鎮に来ています。台湾島のちょうど真ん中で、「台湾のへそ」に位置する人口約8万人の地方都市です。1999年の921地震の被災地の一つです。3日目の今日は、このまちにある国立曁南国際大学(宇都宮大学の連携校)及び同附属高校を訪問します。現地の高校生達と交流し、災害からの復興、地域資源を生かしたまちづくり等についてディスカッションする予定です。
14:00からは、紙技術や竹細工、トンボやカエルなどを地域資源として生かして経済復興に繋げた桃米エコビレッジを体験する予定です。

SGH台湾フィールドワーク2日目


昨日は台北市水道局で素晴らしいプレゼンテーションと質疑応答を行いました。
水道局からの返答に対してさらに質問を重ねる姿も見られ、英語をツールとして水資源の研究を深めることができました。
2日目の本日午前は、台北市の内湖慈済リサイクルセンターを訪問します。
台湾にある世界的な災害ボランティア団体「慈済会」の災害救助で活躍する「エコ毛布」は、ペットボトルをリサイクルして作るそうです。

「人類登場以来、プラスチックはを83億トン作られた。
内63億トンが廃棄され、回収利用されたのはそのうち9パーセントに過ぎない」

「通勤途中ゴミが落ちていたら拾う等、私たちの生活の一部になっています。
私たちのまちはきれいになりました。ボランティアは楽しい人生の一部です。」




高2石川健吾くん「環境教育や道徳教育のあり方について教えてください」
答え「体験、実践から学ぶことが大切です。私は老人ホーム体験に行きました。そして、老人はさびしいということを痛感しました。老人ホームではなく、家族と一緒でいた方が良い。父は93で認知症、母83で慢性病だらけ。でも家族と一緒が幸せ。老人ホームを増やすことに懐疑的になりました。そこでこのリサイクルセンターを作ったのです。
センターで仲間と楽しく活動ができる、役割もある、地球環境に貢献する誇りが生まれるからです。みなさんも、実践から気づきを得てください。自分にできることを考えてください。」

松澤あさひ(高1)さん「ここのボランティアのように、いくつになっても自分の役割がある、やることがあるのは素晴らしいと思いました。何歳から何歳ですか。」
答え「高齢は100歳を超えています。しかもやることは地球環境守ること私たちの環境が良いのは、高齢者のおかげなのです。老人に誇りと役割が生まれるのです。」

大芦さくら(高1)さん「台湾のゴミ拾いの意識は世界的にどうですか。」
答え「台湾の水準はスイスとならんで高いです。しかしながらそのようなことが問題なのではないのです。私たちは豊かで便利な生活を求めるあまりどんどん貪欲になっている。足るを知ることが一番本質的。ゴミ回収ではなくゴミを出さない暮らしが大切なのです。」


坂井里衣(高1)さん「高齢者が多い社会は知恵も豊かで素晴らしい面も多いという考え方に賛成です。そのような社会づくりに台湾も人たちはこのようにボランティアに積極的に参加しています。私たち日本の高校生にもできる取り組みを教えて下さい。」

答え「学生の本分はもちろん勉強すること。それ以外の時間で、些細なところから、自分でできることを考えてほしい。店のレジ袋をreduceしているエコな店を知らせるポスターを作った若者もいます。ボランティアをするでなくても、ゴミを出さない生活を心がけることも立派なことです。」


ビニール袋の回収場です。ボランティアの方々は、自分の仕事が終わった後、分別ボランティアに来ています。

83歳のおばさんがボランティアに来ています。
質問「おばさんはどうして笑顔で楽しく働いているのですか。」
おばさん「地球を愛しているからです。」


松澤あさひ(高1)さん「93歳のお年までそうやって毎日生き生きと健康でいられる秘訣を教えて下さい。」 

93歳の元気なおじさん「こうして環境ボランティアをして、私たちの地球環境が良くなればそれだけ私の健康も良くなるのです。」


紙ゴミの分別ボランティア体験をさせて頂きました。


案内して頂いた閻さんたちと最後に記念写真です。

閻さんの日本語は大変上手なものでした。日本渡航経験はほとんどなく、しかも定年退職してから磨いた日本語力だそうです。
午後は台中市に移動します。

台中市に移動し、最初に921地震教育園を訪れました。

1999年の9・21大地震で夜間に全壊した中学校校舎を、そっくり屋根をかけて展示しています。

全壊した道教寺院の武昌宮です。災害の様子を保存しています。
921地震教育園から高速道路で1時間の距離です。これだけ遠く離れたところでも、このような大規模な被災で、地震のすさまじさがわかります。


隣接して新しい寺院を再建しています。

ここの寺院は、やや遠いため、今回のフィールドワークでは立ち寄るつもりはありませんであいた。しかし、同行している添乗員の欧陽さんの希望で見学しました。
欧陽さんの友人がこの街で被災し亡くなっているそうです。
欧陽さんこの全壊した寺院を見る目が印象的でした。
彼女もまた、921大地震の被災者の一人なのです。