近代化産業遺産

1 「近代化産業遺産」について
 地域において、先人の歩みを知り、将来に向かっての活力につなげていくことは、地域活性化を進める上でとても重要です。中でも、幕末から第2次世界大戦の終戦前にかけての産業近代化の過程は、今日の「ものづくり大国日本」の礎として、また、各地域における今日の基幹産業のルーツとして大きな意義を持っています。
 このような産業近代化の過程を物語る存在として、経済産業省は、平成19年に33の「近代化産業遺産群」を指定しました。その後、 「近代化産業遺産群」以外の「新たな近代化産業遺産群策定調査事業」として、産業遺産活用委員会を設置し、産業遺産の活用に関するとりまとめを行うこととしました。この調査事業の中で、わが国の産業技術の礎となった「技術者教育」についても取り上げることとなり、全国各地の工業系教育機関を対象にして産業遺産の調査が行われました。その結果、本校の織物に関する資料等が、わが国産業の近代化を支えた建造物、機械等として、平成21年2月6日に経済産業省より「近代化産業遺産」として認定を受けることとなりました。

2 「近代化産業遺産」認定品目
(1)足利の機業家が出した意匠登録9点(4種13点) (日本の意匠登録第1号 須永由兵衛の「雲井織」等)
(2)幕末から昭和初期までに作られた織物標本約600点
(3)明治・大正時代の繊維関係の外国の書籍107冊
(4)教育者に関する資料(初代校長 近藤徳太郎先生ブロンズ像等)

3 「近代化産業遺産・活用担い手サミット」開催
 平成2l年2月23日大阪市中央公会堂において全国の工業専門学校を代表し、本校に近代化産業遺産認定証、プレートが授与されました。
    
     【近代化産業遺産認定証】          【認定プレート】

4 遺産に関する歴史の概要
 明治初期から輸入が始まったアニリン染料と使用した染色技術向上のため、地元の機業家が染色研究会を作り、勉強していました。この研究会が発展し、明治18年「足利織物講習所」となりました。そして、主任教師として染色染料の権威 山岡次郎文部農商務省技師が派遣されます。
 10年後の明治28年、足利織物講習所が県移管となり、「栃木県工業学校」となりました。そして、初代校長として織物の先駆者 近藤徳太郎先生を京都から迎えます。近藤先生は、校長として22年間在職し、優秀な人材を育成されました。また、足利の織物業の発展にも大きく貢献されました。

5 他地域との交流
 足利市と県境をはさんだ群馬県桐生市も江戸時代から織物が盛んで、繊維関係では昔から交流がありました。幕末のある時代までは、足利の織物は桐生市場で扱われていましたが、天保3年(1832年)には桐生市場から独立し、足利市場ができました。その後、明治になり、フランス製ジャガードが輸入されて足利・桐生ともに輸出用織物の生産が盛んになります。そのため、足利の買継商4代目 木村半兵衛等が中心となって両毛鉄道が敷設されます。足利の織物産業は、明治・大正と発展し、昭和初期には「足利銘仙」が全国一の生産高を上げることとなります。

6 遺産の保存・活用状況
 本校は、こうした貴重な資料の保存のため、平成7年度に創立100周年事業において「工業資料館」として整備しました。この工業資料館は、かって染色実習室及び薬品庫として使用していた場所を改造したものです。また、意匠登録第1号の織物「雲井織(くもいおり)」は、標本室の耐火金庫に保管されています。標本室は、色染料・紡織科当時から繊維関係の標本室及び資料等の保管場所として使用していました。また、これらの貴重な資料は下記の施設等にも貸し出し、広く一般市民に公開しています。
(1)足利市の「足利市まちなか遊学館」
 http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/site/ashikaga-kankou/yugakukan.html
(2)足利商工会議所の「足利まち歩きミュージアム」
 http://www.ashikaga.info/content/Friendship.php?catid=43
(3)栃木県立文書館

◆リンク先
・特許庁産業財産権制度の歴史
 http://www.jpo.go.jp/seido/rekishi/rekisi.htm