栃木県立小山高等学校
~小山高校は2018年に創立100周年を迎えました~
〒323-0028 栃木県小山市若木町2-8-51 TEL 0285-22-0236
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「楽しく生きる」
「幸せな時間を過ごす」
~結果だけが全てではない
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
世の中は「結果」で評価しがちですが、私たちの人生は結果だけが全てではありません。むしろどんな結果であったにしても、そこに至る「過程」の方が大切ではないでしょうか。人生の節々における「結果」は、もちろん大きな「意味」をもっています。しかし、その本当の「意味」は、後になってからわかるという場合もあります。「勝つ」ことは素晴らしいことですが、「負ける」ことで全てが無意味になるわけではありません。その「結果」にいたるまでの「過程」が素晴らしいものならば、その価値が減ずることはないと思います。「結果」ばかりに目を向けず、「過程」を大切にし、「楽しく幸せな時間を過ごす」ことこそが、人生において大事なことだと言えないでしょうか。
私は教頭として3年間、特別支援学校に勤務していたことがあります(教頭になる前の教諭としては、高校への勤務経験しかありませんでした)。特別支援学校では、先生方と児童生徒の皆さんから、たくさんのことを教えていただきました。「人生の意味」について深く考えさせられることも多かったと思います。特別支援学校には「訪問教育学級」があり、これは毎日通学することが難しい児童生徒に対して、先生が家庭に訪問し授業を行う学級のことです。訪問教育学級の児童生徒は、普段は各家庭で授業を受けるわけですが、年に数回、「スクーリング」で保護者とともに学校に来る機会があります。スクーリングの際には、通学の児童生徒と交流したり、イベントやゲームを保護者と一緒に楽しんだりします。あるスクーリングで音楽会を開いた時のことを、私はとても印象深く、忘れがたく覚えています。アマチュアの演奏家の方々を招いての音楽会で、親しみやすい曲が演奏され、訪問学級の児童生徒と保護者はその時間を心から楽しんでいる様子でした。外の世界には競争があり、人々は仕事や勉強に追われているわけですが、その音楽会が行われている空間には、本当に「優しくゆったりと流れる幸福な時間」がありました。外の空間に流れている時間と、演奏会の空間に流れている時間が、全く質の違う時間であることを感じて、私は自分が「今、特別な時間を過ごしている」ことを深く心に刻みました。
「人生の意味」とは、競争に勝つこと、地位や名誉を得ること、経済的に優位に立つことだけではありません。それらは、幸福に至るための手段や方法の一部ではあるかもしれませんが、人生の究極の目的(=幸福)そのものではないはずです。私たちが生きている社会は競争原理が強く働いているので、私たちはどうしても他者と争い、勝つことで自らの承認欲求を満たそうとしがちですが、「勝つ」こと(結果)が人生の目的となってしまったら、ほとんどの人は挫折で終わる人生ということになってしまいます。勉強や部活動における競争において結果はもちろん重要ですが、そのプロセス(過程)にこそ「意味」があります。互いに励まし合い、高め合う過程こそが大切です。「楽しく生きる」・「幸せな時間を過ごす」ことに「人生の真の意味」があるのです。寅さんも、「人間はどうして生きるのか」の問いに、「生まれてきてよかったと思える時(幸せな時)があるからだ」と答えていたではありませんか。
青春時代の出会いと孤独について
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
「青春」のイメージとは、どういうものでしょうか。多くの文学作品、マンガ、映画、ドラマ、アニメなどによって、青春は繰り返し描かれてきました。これは、青春時代が人生の他の時期とは違う特別な一時期であり、誰にとっても忘れがたい時間だからにちがいありません。皆さんは、青春を描いた作品として何を思い浮かべますか?
辞書では、「人生の春にたとえられる若い時代」などと述べていますが、「若くて元気」というだけでくくりきれない、多くの側面を「青春」はもっています。人生は常に複雑かつ多様であり、青春時代も複雑かつ多様だと私は考えます。
とはいえ、「純粋」や「ひたむき」という言葉は、人生の中でも青春時代にこそ最も似つかわしいものかもしれません。「思い込み」の激しさは、往々にして青春時代にありがちであり、「若さ」の特権のようにとらえられています。私の好きな音楽家に、ジャクリーヌ・デュプレというイギリス出身のチェロ奏者がいます。1987年に42歳という若さで病のためにこの世を去りましたが、16歳のデビュー当初から大変情熱的な演奏をしていました。そのあまりに激しい没我的な演奏について、彼女の才能を見出した指揮者のジョン・バルビローリは次のように語りました。「彼女の演奏を激しすぎるという人がいるが、その考えは違う。年をとれば、誰でも落ち着いてしまう。若い頃は過ぎたるがよいのだ。」バルビローリのこの言葉は、「青春」の何たるかを語っているようにも思われます。
「何か」に自分の存在を懸けて、力の限り走り抜ける「ひたむきな激しさ」が青春時代のひとつの典型であるとしたら、高校生が部活動に懸命に取り組む姿は、まさしく「青春」そのものと言えるでしょう。部活動の大会に応援に行くと、試合に負けて大泣きに泣き崩れる生徒を見ることがあります(本校生だけでなく他校生も)。負けて悔しくてたまらない気持ちなのだろうと思いますが、純粋な大粒の悔し涙を流せるひたむきさについ心打たれ、少し羨ましい気持ちにとらわれたりします。悔しかったり、悲しかったりする時には、思いきり泣いた方がいいと私は思います。そうした方が、自分の感情を受け入れ、認めて、心を整理して、次の段階に向かう準備ができるのではないでしょうか。泣き崩れる友を慰め、励まし、肩や背中を貸す仲間たちの様子にも感動してしまいます。そういう「純粋」な人間関係は、青春時代を過ぎて年齢を経るとともに、残念ながら得難いものになってしまいがちです。だから、高校生の皆さんには今の人間関係を大切にして、互いの存在を尊重し、互いに思いやり合ってほしいと思います。高校時代の出会いが、一生続くような「友との出会い」になることがきっとあるはずです。
同時に、青春とは「孤独」な時期でもあります。勉強や部活動で、いつも望むような結果が出せるわけではありません。上位の成績を手にするのは一部の人に限られており、勝ちたい、レギュラーになりたいと思っても、全ての人がその目標を達成できるわけではありません(一方で、勝者には「勝者の孤独」があると想像します)。親友がほしいと願いながら、なかなかできないという場合もあります。「誰も自分をわかってくれない」という気持ちにとらわれ、自分の影を踏みながら帰る時もあると思います。でも、そんな孤独な時間が、皆さんを「思いやりのある大人」に成長させる時間でもあることを知ってほしいと私は考えます。寂しさや悔しさを感じたことがない人は、他人の寂しさや悔しさを理解できないからです。今、孤独であったとしても、その孤独を「他者への思いやり」に昇華して、誠実に生活していったならば、あなたの優しさを必要とし、あなたとともに生きたいと願う人が、必ず現れます。青春期の「孤独」は、大人へ成長するために誰もが通過するステップなのです。
いつの日か、「自分はもう大人になってしまった」、「自分の青春時代はもう過ぎ去った」と実感する時が来ます。でも、皆さんはまだ青春時代にあります。二度と戻らない青春の日々を大切に、友人を大切に、自分を大切に、精一杯生活してください。
「人生の宿題」
~自分で考える大切さ
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夏休みの宿題になかなか手をつけられず、夏休みが終わりに近づいてから宿題を終わらせるのに大変な思いをした・・・などということは、皆さんはきっとないですね(?)。私は小学校の時は、毎年夏休みの最後の数日は必死でした。
学校の勉強に宿題があるように、私たちの人生にも「宿題」があると感じています。宿題といっても問題集に取り組んだりするわけではなく、人によってそれぞれ様々な宿題です。私たちの人生には「ステージ」というものもあります。皆さんは今、「高校生」のステージにあって、もう少し細かく見れば、「高1」・「高2」・「高3」のステージに分けることができます。そして、それぞれのステージで、各人がそれぞれの「人生の宿題」を抱えていると思います。
高校生のステージにある人は、高校卒業後に何を目指すかを決めて、その目標に向けて努力するという「宿題」があります。社会人のステージになったら、仕事を覚えたり、社会人としての行動や言葉遣いを身につけたりする「宿題」があるでしょうし、年齢的に見ても10代、20代、30代、40代、50代、60代・・・と、それぞれ年齢に応じた「宿題」があるように思います。また、人の人生は様々ですから、ほかの人とは違う、その人だけの「人生の宿題」というべきものもあります。ヘレン・ケラーのような人は、本当に大変な「人生の宿題」に取り組み続けたと言えます。「宿題」はない方が楽かもしれませんが、「人生の宿題」が何もないという人はいないはずです。私たちは誰もが、何らかの悩みや課題を抱えています。その悩みや課題にどう向き合うかが、「人生の宿題」なのです。
「人生の宿題」に対する答えは、模範解答のようなものがあって、それだけが正解というわけではありません。絶対的な正解があるのではなくて、人生の様々な場面における「自分にとっての正解」を、手探りでその都度見つけていくものだと思います。『男はつらいよ』という映画シリーズを知っていますか? 映画の中で、主人公の寅(とら)さんに、甥の満男(みつお)が「何のために大学に行くのか?」と問いかける場面があります。満男は受験勉強が辛くなっている時でした。寅さんは、「生きていれば、いろいろなことにぶつかる。そういう時に、きちんと筋道を立てて、自分で考えることができるようにするためだ。」と答えます。誰かに決めてもらったり、誰かに責任をゆだねてしまったりすることなく、「自分の人生に関することを、自分で考えて、自分で判断して、自分で納得して生きる」ことの大切さを、寅さんは言っているのだと思います。大学に限らず、皆さんが今まで学んできたことの意味を、寅さんの言葉で説明できるのではないでしょうか。小学校~中学校~高校と学び続け、多くの教科・科目を勉強していく中で、皆さんは一言では表現しきれないたくさんのことを身につけてきたはずです。人間存在や人間社会への知識と洞察力、論理的・科学的な思考力と判断力、健康を保ち人生を豊かに生きるための知恵と教養、現実社会で働いて生活していくための実際的なスキル、他者と協働し互いを尊重して生きていく道徳的な思考の枠組みと感受性など。それら全てが、皆さんの「生きる力」であり、自らの「人生の宿題」に対しての「答え」を見つけていくための支えとなるものです。
あなたの「人生の宿題」は何ですか? その「答え」を見つけるために、どうしますか?
寅さんと満男の問答を、もうひとつ紹介します。
満男「人間は何のために生きているんだろう?」 寅さん「生まれてきてよかったと思えるようなことが、時々あるよな。そのためだよ。」
寅さんの言う「生まれてきてよかったと思えるようなこと」とは、「生きている幸せをしみじみと感じるようなこと」と言い換えてもいいかもしれません。寅さんの答えはシンプルですが、説得力があります。そう思いませんか?
「努力は必ず報われる」
(広澤選手からのメッセージ)
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「努力は必ず報われるか?」と問いかけられたら、どう答えますか? 「必ず報われるはず!」と確信をもって答えられますか? 「報われる場合も、報われない場合もある・・・」と曖昧に答えますか? 私はかつて担任していた生徒の一人から、「努力は才能を超えますよね?」と訊かれて、明確な答えを返せなかったことがあります。
ここで、皆さんの先輩(小山高校OB)の野球選手について述べたいと思います。昭和55年度の本校卒業生、元プロ野球選手の広澤克実さんです。広澤さんは、小山高校・明治大学の野球部で活躍した後、昭和59年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団、以後、読売ジャイアンツ、阪神タイガースで中心打者としてプレーし、打点王2回、最多勝利打点2回などのタイトルをとった素晴らしい名選手です。この広澤さんが、平成28年に母校である小山高校に講演に来てお話しくださったことが、『小山高百年誌』に掲載されています。
現役を引退された平成15年、当時、阪神タイガースにいた広澤さんは、福岡ダイエーホークスと対戦した日本シリーズで(広澤さんはこれで引退することを決意されていたそうです)、打者として打席に立ち、ボールを打とうとしても、どういうわけか「バットを握った手が止まってしまう」、「体が動かない」という不調に陥ってしまいます。試合が終わった後、どうにもならない情けなさで2時間も自分の部屋で泣いてしまったということも、講演の中で話されています。チームとしては3勝3敗で迎えた日本シリーズ7戦目、9回ツーアウトという場面で、広澤さんは代打として現役最後の打席に立ちます。1球目は敵の22歳新人ピッチャーの速球に圧倒されながらも、2球目になって急にボールが見えるようになり、景色がバーっと変わり、自分が本来の調子に戻ったことを確信したといいます。3球目のボール玉も「止まった」ように見えたことで、「絶対打てる!」と自信を持ち、4球目のストレートで見事ホームランを放つのです。現役としての最終打席を本塁打で飾った時の広澤さんの思いは、「自分で打ったのではなく、誰かに打たせてもらった。野球の神様、ありがとう。」という感謝の思いだったと、生徒たちに話してくださっています。そして、「努力は必ず報われる。高校時代に一生懸命努力したことが、いつ満期なるかわからない銀行預金みたいに、今すぐには満期にならなくても、次のステージにいったときに、その努力が満期になって下りてくる人もいる。いつ満期になるかは、神のみぞ知るかもしれないが、必ず努力は報われる。」と力強いメッセージを、生徒たちに贈ってくれています。
広澤さんのこの言葉は、後輩たちへのこの上ない激励の言葉です。こういう立派な先輩をもつ小山高校の生徒たちは、本当に幸せだと思います。広澤さんをはじめとする先輩方の素晴らしい生き様・人生を、今、小山高校に通う生徒たちも受け継いで、幸せで充実した時間を過ごしてほしいと願っています。努力は必ず報われる‼ 頑張れ、小高生‼
「事実 → 解釈 → 感情 → 行動」
「微笑み」の魔法
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私たちは、日々の生活の中で多くの出来事に出会います。人生とは、数え切れない出来事(事実)の集積とも思えます。でも、「人生=事実の積み重ね」なのでしょうか。人間は、様々な文学や哲学を生み出してきました。それらは、言わば「人生の解釈」とも言うべきものです。私たちの人生は、事実だけではなく、事実をどうとらえるかという「解釈」も重要な構成要素になっていると考えられます。
わかりやすい例で言うと、水筒を持っていたとして、水筒の中身が残り半分になった時、「もう半分になってしまった」ととらえるか、「まだ半分もある」ととらえるかは、その人の「解釈」です。同じ事実に対して、プラスにとらえることも、マイナスにとらえることも、どちらの「解釈」も可能ですが、プラス(前向き)にとらえることで「感情」が変わってきます。
これは、私が出会ったある生徒の話です。その生徒は野球部員でポジションはキャッチャーでしたが、「一発逆転されるかもしれない」というピンチの時はどんな気持ちなのかを尋ねたところ、「面白いぜ! 絶対負けるもんか!」という気持ちだという答えが返ってきました。私は「なるほどなあ」と感心しました。逆転されるかもしれない状況(事実)を「面白い」とプラスにとらえ(解釈)、「負けるもんか」という勝負への意欲(感情エネルギー)を引き出す流れ、このような思考と感情の流れが、観る人をワクワクさせるプレー(行動)につながるのだということが印象的に納得されました。
毎日の生活も、単純に楽しいことばかりではありません。うまくいかないことや自身の思いにかなわないことの方が多いかもしれません。そうしたことをあえてポジティブにとらえてみると、きっと何かが変わります。何らかの「事実」があり、私たちはそれを「解釈」します。マイナスに解釈すれば、どうにもならないと思われることも、プラスにとらえると次なる飛躍へのステップになります。前向きな「解釈」は、前向きな「感情」(意欲)を引き出します。そして、「感情」が変われば、「行動」が変わります。
「微笑み」の魔法があるそうです(ある先生から聞いた話)。試験の時、問題を開く前に「これは私を合格させてくれる問題だ」と思いながら(解釈)、問題に向かって微笑んでから解くようにすると実力が発揮できるという話です。前向きな解釈と、微笑むことによるリラックス(感情)が、落ち着いて問題を解くこと(行動)につながるということですね。「必勝」ならぬ「必笑」をスローガンとする、甲子園常連の高校野球部の話も聞いたことがあります。選手たちは、「笑う」ことでポジティブなイメージがわいてきて、落ち着いて前向きに戦えるのだそうです。いつもニコニコ笑っている人がいると、雰囲気が楽しくなります。楽しいと、心身をリラックスさせることができます。きっとその方が「うまくいく」のだと思います。「微笑み」の魔法を、いろいろな場面で使ってみてください。魔法の成果を報告してもらえるとうれしいです。
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小山高校・若木小学校東側の道路はスクールゾーンのため、朝7:00~8:30まで車両進入禁止です。