栃木県立小山高等学校
~小山高校は2018年に創立100周年を迎えました~
〒323-0028 栃木県小山市若木町2-8-51 TEL 0285-22-0236
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「青い鳥を探せ!」(卒業式 校長式辞)
今回は、卒業式(令和7年3月3日)における校長式辞を掲載します(一部変更あり)。以前「小高生へ」で発信した内容も含まれています。どこか分かりますか?
冬の寒さと春めいた温もりとが交錯し、季節が移りつつある気配の感じられる頃となりました。本日、この佳き日に、令和6年度 第77回 栃木県立小山高等学校卒業式を挙行できますことは、この上ない喜びであります。同窓会会長 舩渡川 進 様、PTA会長 星野 由美 様におかれましては、卒業式への御臨席を賜り、心より感謝申し上げます。
ただ今、卒業証書を授与しました225名の皆さん、卒業おめでとうございます。そして、今日まで3年生を支え、励ましてこられた保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。また、本校のこれまでの教育活動に対してご理解とご協力を賜りましたことに、改めて厚く御礼申し上げます。
卒業生の皆さんは、本日ここに高校3年間の全課程を修了し、晴れて卒業の日を迎えました。日々の学習や部活動、学校行事に取り組む中で、忘れることのない思い出ができたことと思います。皆さんの高校1年次はまだコロナ禍にありました。中学時代からのコロナ禍は、皆さんの青春に大きな影を落とすこととなりましたが、そこから学べたこともあったはずだと考えます。日常生活におけるリスク管理の大切さを思い起こさせてくれたことは、そのひとつです。また、厳しい制限の中でも、安全確保を優先しつつ新たな可能性を求めていくことの意味を学ぶことができたのではないでしょうか。昨年8月末に行われた「聡輝祭」は、コロナ禍後の最初の学校祭となりました。感染症と併せて熱中症というリスクに配慮しながらの実施でしたが、多くの来場者があり、各クラス・各部活動で様々な工夫を凝らして準備した企画を見ていただけたことは、本当によかったと思っています。見てくださった方々の温かい眼差しの下で、生徒の皆さんが緊張しながらも一生懸命に発表する様子を、私も胸に刻みました。
思えば、私たちの人生も、私たちが生きているこの世界も、想定外のことやそれと向き合う「手探り」の連続です。昨年の元旦、能登半島に発生した大地震では多くの方が亡くなり、深刻な被害がもたらされました。被災された方々の多くが、以前と同じ生活には戻ることが難しい状況が現在も続いています。犠牲者の冥福をお祈りし、被災地の復興を改めて願いたいと思います。海外に目を向ければ、3年を越えて続いているロシアによるウクライナ侵攻は、アメリカの停戦協議が行われようとしていますが、アメリカとウクライナ両国大統領の会談が決裂したことで、終結に向けての動きへの影響が懸念されます。中東におけるパレスチナ・イスラエルの紛争は、現段階で停戦合意に向かいつつあるものの、根本的な解決への道はまだ遠い状況と言えます。
身近なところを振り返れば、東日本大震災が起きた平成23年以降、学校現場も含め、私たちの周囲は大きく揺れ動いてきました。平成27年と令和元年の二度の、河川の氾濫による水害、平成29年の那須雪崩事故、そして、令和2年度から令和4年度まで3年間にわたるコロナ禍。そのいずれもが、想定外の大きな衝撃を受けずにはいられない災害や事故であり、私たちはその都度、難しい判断と対応を迫られてきました。今後、AIが発達・普及することによって、社会は利便性を大きく向上させ、効率が良くなる一方で、産業構造や経済活動にどのような影響があり、人間の働き方や生き方がどう変わっていくのかは、いまだ予断を許さないと言えます。このような激しい変化・変動の中にあって、私たちはどのように人生を歩んでいけばいいのでしょうか。
昨年の11月8日、本校の創立記念講演会では、日本航空パイロットとして活躍されている山本 潤 様を講師としてお招きし、有意義なお話を伺ったことを生徒の皆さんは覚えていると思います。山本様は、飛行機の操縦にはリスクが多くあることを述べて、私たちの日常生活の中にも常にあるリスクにいち早く気づき、対策のカードを準備することの重要性についてお話しくださいました。踏むと足を滑らせるバナナの皮にリスクを譬えて、リスク管理を「バナナを探せ」というフレーズで話されていたことが印象的でした。今日の卒業式にあたり山本様に倣って、私は卒業生の皆さんに「青い鳥を探せ」という言葉を贈りたいと思います。
19世紀末から20世紀前半にかけて創作活動を行った、ベルギーの作家モーリス・メーテルリンクが書いた童話『青い鳥』については、皆さんも聞いたことや読んだことがあるかもしれません。『青い鳥』は子ども向けの童話というよりも、「幸福とは何か」という問いに対する哲学的な示唆を多く含み、大人に向けて書かれた物語だと言いたい内容です。貧しい木こりの子ども(幼い兄と妹)が、クリスマス・イヴの夜に、幸せをもたらすという青い鳥を探す旅に出て、様々な場所を訪れるが、本当の青い鳥は見つからない。しかし、この青い鳥を探す旅は、実はクリスマス・イヴの夜に二人の子どもが見ていた夢で、目を覚ますと自分たちが飼っていた鳥が今までよりも青く見えるのに気づき、これこそが本当の青い鳥だったのだというお話です。この結末は、幸せは気づけば身近なところにこそあるという意味だと解釈されていますが、お話にはまだ続きがあります。せっかく見つけた青い鳥ですが、ふとしたきっかけで窓の外へ飛び去ってしまいます。でも、青い鳥(つまり幸せ)は何度でも見つけられるし、探し続けていくものなのだと子どもたちは思うという結びです。
私たちの人生とは、まさしくこの「幸せ探し」の旅なのではないかと思います。「何が幸せなのか」という問いに対する絶対的な正解はありません。幸せの条件として、ある程度の経済的富や社会的地位、健康や愛情などを考える人もいるだろうと思います。しかし、それらを望むがままに自分のものとできる人は限られているのではないでしょうか。そして、それらが手に入れば、本当に私たちは幸せになれるのでしょうか。
ここで、一人の音楽家(ヴァイオリニスト)について話したいと思います。この方は2才からヴァイオリンを始め、12歳でプロデビューし、ヴァイオリンの「天才少女」として注目を浴び、活躍します。しかし、「天才少女」という賞賛の陰で、嫉妬やいじめを受け、学業との両立に悩み、高校時代には天才であり続けるための圧力に心身ともに疲れ果て、遂にはヴァイオリンをやめてしまいます。
大学は音楽とは関係のない学部に進学した彼女は、ボランティアを手伝うことになり、あるホスピスを訪問します。そこで一人の末期がんの患者さんが、最後に彼女の演奏を聴きたいと願っていることを知らされます。戸惑いながらその方をお見舞いし、数年間全く触れていなかったヴァイオリンを手に取りますが、思うように指が動かず、かつてのような演奏はできませんでした。しかし、その患者さんは、「ありがとう。本当にありがとう。」と涙ながらに、繰り返し感謝の言葉を口にしたそうです。「こんな演奏に感謝の言葉をいただいて申し訳ない。」そう思った彼女は、その日からヴァイオリンの練習を再開しました。ただ一人の聴き手の、心からの感謝の言葉が、壁にぶつかっていた音楽家を進むべき道へと引き戻したのです。この方は、今も人々に音楽を届け、感動を与えるヴァイオリニストとして活動を続けています。
彼女にとっての「青い鳥」は、ヴァイオリンであり、聴いてくれる人の喜びであったと言えると思います。人は自分自身のために青い鳥を探そうとするかもしれませんが、「自分のため」だけでは、青い鳥は見つけることは難しいのだと考えられないでしょうか。私たちは、「自分自身のため」に生きていますが、同時に「誰かのため」になることに取り組み、自分の存在が誰かの喜びにつながることを望む思いもあります。複雑で予測困難な現代社会は、多くの課題を抱え、私たちは様々な事情で悩んだり苦しんだりしています。私たちは、お互いに相手の悩み・苦しみを理解しようと努めて、お互いを尊重しあい、お互いに思いやりあって生活することが大切です。そして、互いに知恵を出し合い、少しずつでもこの社会をよりよいものにしていこうとすることが大切です。そのために、皆さんは学び続けてきたのです。
自分自身と、自分とともに生きる誰かのための青い鳥を探し、見つけていってください。社会や自分自身の生活の変化によって、幸せだと思われた状況も変わっていくかもしれません。でも、幸せは何度でも見つけられます。私たちの人生は、繰り返し幸せを見つけ続けていく旅のようなものです。
「青い鳥を探せ!」
「青い鳥を見つけよう!」
この言葉を卒業していく皆さんに贈ります。
小山高校を卒業する皆さんが、今後、様々な学びを重ね、他者への優しさをもって社会に出ていった時、皆さんの「優しさ」を待っている人が必ずいます。皆さんが、それぞれの青い鳥を見つけ、そして、誰かの青い鳥を見つける手助けをし、充実した人生を送ってくれることを心より願っています。そして、小山高校はいつまでも皆さんの母校であり、皆さんを応援し続けています。卒業生の健闘を祈念し、式辞といたします。
「夢を叶えたKさん」第3回
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
Kさんについての続きです(事前に本人の許可を得ています)。
Kさんが大学4年生だった年の秋、Kさんの通っていた特別支援学校から、私にひとつの連絡がありました。
その連絡は、Kさんが栃木県の中学校英語の教員採用試験に合格したという知らせでした。この時の私の驚きと感動は、一言では言い表せません。正直なところ、厳しいのではないかと思っていました。階段の多い中学校の建物を見る度に、Kさんの夢との隔たりを感じずにはいられませんでした。でも、Kさんは採用試験に合格しました。Kさんは夢を叶えたのです。なんて素晴らしい!!
生徒が夢を実現させること・・・。教師にとって、これにまさる喜びはありません。「生徒の喜び」を「我が喜び」とできることが、教師の仕事の醍醐味だからです。そういう嬉しいことが、教員生活の中では多くありますが、Kさんの夢が叶ったことは、私にとって本当に、本当に、大きな喜びでした。そして、Kさんは私に教えてくれたのです、「夢は叶う」と。夢は叶うのです!!
私たちは、人生において何らかの課題を抱えていないことはありません。誰もが「人生の宿題」を抱えて、日々の生活を送っています。全てが意のままだという人間は、きっといないはずです。誰もが失敗や挫折を経験し、失意の思いにとらわれたことがあると思います。たとえ成功者に見えても、人に見せない努力や将来への不安のために、悩んだり苦しんだりしているのではないかと推察します。つらいことや、納得いかないことは、たくさんあります。でも、自分だけがそうなのではないことを、忘れてはいけないのではないでしょうか。Kさんは、自らの障がいについて「自分にとってマイナスではなく、障がいがあったからこその自分なのだ」と言いました。Kさんは、「自分の障がいを『盾』にしてはいけない」と言って、世の中への不満を口にすることはありませんでした。
私たちは、誰もが傷つき、誰もが悩みながら、生活しています。私たちは、一人ひとり異なった個性をもち、それぞれの課題に向き合いながら、生きています。だから、私たちは互いに理解し合い、寄り添い合い、尊重し合い、励まし合い、高め合いながら、学びを重ね、努めていくことが大切です。この社会にある多くの悲しみや苦しみをなくし、皆がそれぞれに幸せに暮らしていくことができるように、知恵を寄せ合っていくことで、よりよい在り方を求めていけるはずです。
Kさんの存在は、Kさんが教師として勤める中学校で、多くのことを生徒たちに教えてくれるだろうと私は信じています。自分の気持ちが弱くなりそうな時、私はKさんのことを思い出します。Kさんが、足の障がいに負けないで、それを受け入れ、人生における意味すらも見出し、強く生きてきた、そして、教師になるという夢を叶えて、今も立派に生活されていることを、いつまでも忘れず、尊敬の念を抱き続け、私もKさんに負けないように、何とか「今日」という日を乗り越えていこうと思います。
夢は叶う!! Kさん、ありがとう!!
Kさんのお話を、皆さんはどのように受け止めてくれたでしょうか。よかったら、感想を聞かせてください。
「夢を叶えたKさん」第2回
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
Kさんについての続きです(事前に本人の許可を得ております)。
Kさんの面接練習の時に、私は障がいについての2つの質問をKさんに投げかけました。
ひとつは、「あなたは自分の障がいとどのように向き合ってきましたか?」、もうひとつは、「もし働くことになったら、どんなことに配慮してほしいですか?」という質問です。
最初の質問に対してのKさんの答えは、前回記しました。
次の質問に対して、Kさんは即座にこう答えました。「どうか、他の方たちと同じように働かせてください。障がいを『盾』にしてはいけないと考えています。他の方々と同じように働きたいです。」この答えを聞いて、私ははっと胸をつかれ、しばらく言葉が出ませんでした。もし私がKさんで、この質問をされたら、きっと職場に対して何かしらの配慮を求めただろうと思います。もしかしたら、それ以上に、障がい者である自分を苦しめている世の中への不満を強く訴えたかもしれません。しかし、Kさんは何の配慮も求めず、特別扱いせずに働かせてほしいと、きっぱり答えたのです。Kさんの純粋で、精神的な美しさに、私は心打たれました。
Kさんは就職試験の二次に合格しました。大学に進学するよりも、Kさんの障がいを理解したうえで採用したいという職場に就職した方が、Kさんの将来のためにはいいかもしれないと私は思いました(その職場からは、Kさんにぜひ就職してほしいという電話までありました)。大学に進学しても、Kさんの夢である中学校の英語教師になれるという保証はありません。また、教師以外の職業に就職できるかどうかもわからないのです。Kさんの進路指導をする他の先生たちも同じように考えて、Kさんにもそのことを伝えたようです。しかし、大学に進学し、中学校の英語の先生になるという夢を諦められないKさんは、就職はせず、大学入試を受けることを決めました。
Kさんは、希望する大学に見事合格することができました。特別支援学校を卒業したKさんは、大学に入学しました。そして、中学校の英語の先生になるために学びながら、サークル活動等にも取り組んでいました。(Kさんが所属する音楽サークルの発表会を、一度見に行ったことがあります。他の大学生とともに活き活きと演奏するKさんの様子から、大学生活を楽しんでいる様子が想像され、嬉しく思いました。)
Kさんが大学に入って1年後に、私は高校に異動となりました。その高校には教頭として3年間勤務しましたが、その3年間はまさしくコロナ禍の3年間でした。Kさんの大学生活も2年生以降はコロナ禍にあったということになります。時々、Kさんはどんな大学生活を送っているだろうと思うことがありました。また、地域の中学校に訪問することがある時などは、階段の多い中学校の建物を見ると、Kさんの夢は叶うだろうかという気持ちを抱かずにはいられませんでした(Kさんは足の障がいのために、階段を利用することは難しいのです)。
Kさんが大学4年生だった年の秋、Kさんの通っていた特別支援学校から、私にひとつの連絡がありました。
その連絡は・・・、次回に記します。
「夢を叶えたKさん」第1回
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
今回は、私が特別支援学校に教頭として勤務していた時に出会ったある生徒について述べたいと思います(事前に本人の許可を得ております)。ここではKさんと呼ぶことにします。Kさんの言葉や考え方、生き方から、私はいろいろ考えさせられ、教えてもらったことが多かったと感じています。皆さんは、どのように感じるでしょうか。
Kさんは両足に障がいがあり、特別支援学校の高等部で学んでいました。両足に装具を着け、歩行を補助するためのクラッチという杖を両手に持って、学校に通学していました。彼女は大学進学を目指し、中学校の英語の先生になりたいという夢をもっていました。私は、Kさんが高等部3年生(高等学校の3年生に相当します)の時に、国語の授業を担当していました。
Kさんは、大学の入学試験と併せて、ある職場の就職試験も受験していました。彼女の第一希望は大学進学でしたが、進路選択に幅をもたせるために就職試験もひとつ受けていたのです。就職試験は、第一次試験(教養試験)に受かって、第二次試験(作文、面接等)を受けることとなりました。第二次試験の前に、私はKさんに面接指導をしました。面接の練習時に、おそらく障がいについても質問されるだろうと考えた私は、障がいに関する二つの質問をKさんに投げかけました。
ひとつは、「あなたは自分の障がいとどのように向き合ってきましたか?」、もうひとつは、「もし働くことになったら、どんなことに配慮してほしいですか?」という質問です。
果たして、Kさんからはどんな答えが返ってきたでしょうか。
最初の質問に対してKさんは、「私は自分の障がいをマイナスだと思ったことはありません。障がいがあったから、いろいろなことを感じたり考えたりすることができました。今の自分の存在は、障がいと切り離せないものだと思います。」と答えました。
私は、何と言っていいかわからない感情にとらわれました。そして、ドイツの哲学者ニーチェが著書『ツァラトゥストラはこう語った』の中で、主人公ツァラトゥストラ(架空の哲人)と障がいのある男との会話を描いていたことを思い出しました。男はツァラトゥストラに対して、自分の障がいを取り除いてくれと言うのですが、ツァラトゥストラは、それはあなたの精神(こころ)を変えてしまうことだからできないと答えるのです。私はこれを読んだ時、障がいはない方がいいはずだと思い、どこか「きれい事」のように感じてしまいました。しかし、Kさんの答えはニーチェがツァラトゥストラを通じて語った思想そのものではないでしょうか。
Kさんは毎日、市バスを使って通学していました。バスの乗降も、バス停から学校まで歩いてくるのも、足に障がいのあるKさんには大変なことだったと思います。それだけでなく、日常生活の様々な場面で不自由なことがあったはずです。それでも、Kさんはきっぱりと言うのです。自分にとって、障がいはマイナスではないと。
私は、目の前にいるKさんの内面的な「強さと深さ」に打たれました。超人哲学を説いたニーチェにも相当する「人生における真実」を、Kさんは自らのものとしていたのです。この時のことを、私は生涯忘れることはないだろうと思います。
もうひとつの質問に対する答えは・・・、次回に記します。
「幸福になるための読書」
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
「私たちは何のために読書するのか?」 そう訊かれたら、「幸せになるためだ」と断言したいと考えています。そもそも私たちが生きている目的は、「幸せになる」こと以外にあるのでしょうか。幸せの形やゴールは人それぞれかもしれませんが、私たちは日々幸せになろうとして、様々なことに取り組みながら生活しています。読書もそうした営みの一つです。何かの知識を得るためだったり、何かへの理解を深めるためだったり、感動を得るためだったり、楽しさを求めるためだったり、具体的な動機はいろいろかもしれませんが、行き着くところは「幸せになる」という点に集約されるように思います。
自分自身の高校時代を振り返ってみると、読書する理由としては「答えが欲しい」ということだった気がします。高校生だった私にとって、この世界はとらえどころがなく、わからないことだらけでした。あまりにもわからないことばかりで、何がわからないのか、どういう問いかけをしたらいいのかもわかりませんでした。生きている理由も、生きていく方法も、何を目指していけばいいのかも、何もかもがわからなくて、漠然とした不安と寂しさの中で生活していたと思います。進学校と言われる高校で学んでいたので、周りの友人も当然のように大学進学を目指し、自分もそのつもりで勉強していましたが、勉強はけっして楽ではなく、どうしてこんなにも多くのことを覚えたりしなくちゃいけないのかと、心のどこかでは疑問の声を上げていました。親とか、学校の先生に尋ねてみてもよかったのかもしれませんが、「上から目線」のありきたりなお説教は聞きたくないと思っていて、また、教えてもらいたがりのくせに素直でなかったので、「教えてください」とお願いするのも抵抗感がありました。
高校に入ったら、読んでみたいと思っていた作家の筆頭が太宰治でした。中学時代にテレビで『冬の花火』というドラマを観ていたのですが、これが太宰治を描いたドラマで、中学生だった私は何か「不穏」なものを感じ、中学生(子ども)はこの人の書いた本を読んではいけない、高校生(大人)になったら読んでみようと勝手に思い込んでいたのです。果たして、高校の図書館には太宰治の全集が置いてありました。最初に何を読んだか記憶が定かでないのですが、たぶん『斜陽』だったと思います。内容を深く理解できたとは言いかねますが、強く惹かれました。太宰は、高校時代の私のアイドルになりました。私の学生鞄には、学校の図書館で借りた太宰の全集本の何巻かがいつもありました。太宰は私に、しかつめらしい顔で面白くもない説教を垂れるのではなく、全く教育的でも前向きでもない「人生についての疑問」を教えてくれました。金や名誉、他人に認められることがそんなに大事なものなのか? 世の中の常識らしきものを信じて、敷かれたレールの上を走るように生きることにどれだけの意味があるのか? 他人を蹴落として競争に勝つことは、そんなに素晴らしいことなのか? その疑問の全てに必ずしも納得していたわけではありませんが、太宰の弱者への眼差しに感動し、「自分にとって大切なものは、自分にしかわからない」、「他人の物差し(基準)で生きることは不幸だ」ということには、強い共感を抱きました。「答えが欲しい」と思って読書していた私に、太宰は「答えは、もがきながら生きて、自分自身で見つけるものだ」と教えてくれたのです。
「幸せになるための読書」に戻れば、「幸せも自分で見つけるものだ」ということになるだろうと思います。いったい何が幸せなのか、絶対的な答えはありません。この年齢になっても、人生の謎はますます深まるばかりです。それでもやっぱり答えを見つけようと、いろいろな本を読みながら、ああでもない、こうでもないと考えている時間がけっこう「幸せ」だったりします。皆さんの高校生活の中で、幸せな「本との出会い」があることを願っています。(この文章は、昨年度の本校「図書館報」の原稿に手を入れたものです。)
「バナナ」を探せ!!
~創立記念講演会 山本潤様のお話
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
11月8日(金)、本校106周年の創立記念式に併せて、日本航空パイロットの山本潤様を講師として創立記念講演会が行われました。「Soraの魅力とアクティブラーニング~未来は可能性に満ちている」という演題で、パイロットとしての業務やリスク管理についてのお話をいただきました。
まず、旅客機のパイロットには、飛行機に乗り込んで操縦を始める出発前の段階にも多くの業務があるということでした。具体的には、飛行機の整備状況、気候、乗客の情報について確認し、整備士や客室乗務員と打ち合わせし、飛行機の外部の点検まで行うとのことです。山本様のこのお話を聞いて、私はオーケストラの指揮者を思い浮かべました。子どもの頃、私は指揮者が何のために存在するのか理解できませんでした。指揮者自身はひとつの音を発することもなく、ただ踊っているようにしか見えなかったのです。後になって、本番の演奏会の前に多くの時間を費やしてリハーサルを行い、指揮者が自らの表現意図をオーケストラに伝え、オーケストラとともに演奏を作り上げていくことを知ったのです。パイロットという職業も、操縦席に座る前に、乗客の安全を確保し快適な旅を提供するために、多数のスタッフたちと協力しながら綿密な準備をすることを知って、颯爽として華やかに見える裏側で「隠れた努力」が常にあることに強い感銘を受けました。飛行機を操縦するだけでなく、乗客の旅が素晴らしいものとなるようにフライト全体をプロデュースするという意味で、パイロットの業務は指揮者の仕事に通じるところがあると思います。
また、山本様は飛行機の操縦にはリスクが多くあることを述べ、アクティブラーニング(主体的、能動的な学び)の重要性についてお話しされました。道を歩いていてバナナの皮があったら、足を滑らせ、転ぶかもしれない。そうならないためには、「バナナ」を前もって発見することが重要であり、対策のカードをできるだけ多く準備することでリスクは避けられる。「バナナ」(リスク)を見つけて、手持ちのカード(対策)を準備することがアクティブラーニングだというお話でした。私たちの日々の生活(人生)にも、リスクは存在します。人生に「絶対的なマニュアル」はありません。私たちは、目の前のリスクに対して、手探りで立ち向かい、「自らの答え」を探し出さなければなりません。自らの知識と経験、他者からのアドバイス等を総動員して、ゴールを目指すのです。100%の普遍的な正解はなく、目前の状況を見極めながら、柔軟な思考をもって臨機応変に対応することで着地点が見えてきます。
皆さんは「リスクがあるのであれば、道を歩かなければいい」と考えますか。しかし、リスクを恐れてばかりでは、何もできないのではないでしょうか。リスクのない世界は、どこにも存在しません。リスクがあることを怖がるのでなく、「バナナ」(リスク)を見つけて、カード(対策)を準備し、実行すればいいのです。最初のカードが通用しなければ、次のカードを出す。リスクを解除できるまで、カードを出し続ければいいのです。そうしてゴールにたどり着いたら、それは達成であり成功と言えるのではないでしょうか。
「印象的な風景はありましたか?」という生徒からの質問に対して山本様は、海と見まごうような広大なアマゾン川に、月の光が反映する様子を見た時のことを話されました。たとえリスクがあっても、誠実な努力を重ね、何かに精一杯取り組み続けて、困難に負けずに頑張っていたら、きっと美しい風景が見られると思います。生きることは、リスクを恐れずに冒険することです。時に失敗することがあったとしても、カードを出し続ければ、ゴールは見えてきます。そのゴールは、想像を超えた絶景かもしれません。山本様、素晴らしいお話をありがとうございました。
頑張れ、小高生!! いつも応援しています。
チャップリンの名言~人生の哲学
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チャップリンを知っていますか? チャップリンの映画を観たことはありますか?
チャップリンは、イギリス出身でアメリカで活躍した映画俳優です(1889年生・1977年没)。俳優であるだけなく、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画音楽の作曲家でもありました。山高帽をかぶり、ちょび髭をつけ、窮屈な上着を着て、ステッキを持ち、大きな靴をはいているコミカルな姿が、一般的なイメージかもしれません。しかし、チャップリンが制作した映画の内容は多岐にわたり、喜劇的なドタバタだけでなく、生きていくことの悲哀、弱者への優しさ、不屈の精神、複雑な善悪、愛情の機微などが描かれ、社会的な主題への広がりもあり、まさしく「人生の哲学」そのものです。チャップリンの映画に出てくる名言のいくつかを紹介します。
「人生は恐れなければ、とても素晴らしいものだ。必要なのは、勇気と想像力と、少しのお金だ。」(映画『ライムライト』より)
「私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものだ。私たちは皆、他人の不幸によってではなく、お互いの幸福によって生きたいのだ。私たちは憎しみ合ったり、見下し合ったりしたくはないのだ。」(映画『独裁者』より)
「下ばかり向いていたら、虹を見つけることはできないよ。」(映画『サーカス』より)
(人生に絶望しても生きるのかという問いに対して)「瞬間(いま)を生きればいいんだ。素晴らしい瞬間はいくらでもあるよ。」(映画『ライムライト』より)
(生きるのに疲れてしまったと言う相手に)「自分と闘うから(疲れるの)だ。あきらめてはいけない。幸福になるために闘うんだ!」(映画『ライムライト』より)
「1人殺せば悪党だが、(戦場で)100万人殺せば英雄だ。数が殺人を神聖なものにするのだ。」(映画『殺人狂時代』より)
「あなたたち誰もが力を持っている。この人生を自由で美しくする力を、この人生をすばらしい冒険にする力を持っているのだ。」(映画『独裁者』より)
「時は偉大な作家だ。いつも完全な結末を書く。」(映画『ライムライト』より)
漫画家の手塚治虫は、チャップリンの映画には「全てがある」と語っていたそうですが、「納得」です。チャップリンのメッセージは、人生の苦難に立ち向かう私たちの「背中を押して」くれます。生きることは、楽しいことばかりではなく、時に悲しく、あまりにも苦しく、大声をあげて泣きたくなることもあります。でも、チャップリンは時を超えて、私たちに語りかけます、「負けるな! 生きろ!」と。チャップリン自身が、「喜劇王」と呼ばれるほどの名声や富ばかりでなく、幼年期の貧困や、名声を得てからもアメリカから追放されるなど多くの苦難と闘いながら人生を歩み続けた人でした。たとえ今が苦しくとも、負けずに誠実に生きていると、必ず希望の光が見える道が拓けます。だって、「時は偉大な作家」であり、「いつも完全な結末を書く」のですから。人生七転び八起き。人間万事塞翁が馬。負けるな、小高生!! いつも応援しています。
「ありがとう」と言ってみよう!!
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
私たちは、それぞれに様々な悩みをかかえています。何も悩みがないという人はきっといないと思います。学業や仕事についての悩み、人間関係や家族についての悩み、将来についての悩み、健康についての悩み、人生や生きる意味についての悩み等、いろいろな悩みがあるのではないでしょうか。
悩みに対して、すぐに答えが見つかればいいのですが、中にはどうにもならないと思える悩みもあります。「青春時代」というとキラキラした明るいイメージがあるかもしれませんが(それもひとつの側面ですが)、大人への階段を昇っていく過程は不安定でもあり、場合によっては孤独な思いに強くとらわれることもあります。
悩んでいる時には、「なぜ自分ばかりがこんなに苦しく、さびしいのだろう」と思いがちです。でも、悩んでいてさびしいのは「自分だけじゃない」のです。生活するということは楽しいことばかりではなくて、それはみんながきっと同じではないかと思います。私たちの社会は、競争の原理が大きな比重を占めています。勉強も、部活動も、スポーツも、芸術の領域にすら競争は幅を利かせています。もちろん、競争は悪いことばかりではなく、それをとおして互いに励みあい、よい意味での刺激を与えあえるものでもあります。でも、競争には「勝ち負け=優劣」があり、勝者の傍らには必ず敗者が存在します。そして、他人からの評価に関して言えば、私たちが他人から受ける評価は、概して自分で思っているよりも低くなりがちだと言われています。「あんなに頑張ったのに」と感じてしまう場面が、生きていく中ではきっとあるはずです。
そんな時、これは自分のせいではなく、自分以外の誰かのせいだと考えたくなったりします。誰かを責めたくなる気持ちになるかもしれません。誰かをおとしめて、自分をその人よりも上に置きたくなるかもしれません。そういう気持ちになった時には、自分の思いを否定するよりも、「そうなんだ」と受け入れ、ありのままの自分の思いを認めてあげていいと思います(きっと誰もが同じ気持ちになったことがあるから)。でも、自分や自分以外の誰かを責めたりする必要はありません(そんなことをしても何にもならなくて、かえって自分を追いつめてしまうだけだから)。では、どうしたらいいか。さびしい気持ちや悔しい気持ちを認めたうえで、「自分がもっている」ものに目を向けてみてはどうかと思います。
今日は朝食がおいしかった、外に出たら風が気持ちよかった、友だちと「推し」について話せて楽しかった、部活で苦手なテクニックを少し克服できた・・・。何でもいいので、「よかった」と思えることを見つけて、心の中で(声に出してもいい)「ありがとう」と言ってみてはどうでしょう。私たちは「現在」のことを考えるよりも、「過去」のことを思い返したり(後悔)、「未来」のことをマイナスに予想したりして(不安)、クヨクヨしがちであると本で読んだことがあります。今、自分がもっているものに目を向けて、『感謝』と『前向きな気持ち』で生活していると、不思議とよい方向に変わっていくものです。
周りの人にも、「ありがとう」と言ってみることを勧めます。「ありがとう」は人間関係を好転させる魔法の言葉です。友人や家族に、たくさんの「ありがとう」を贈ってみてください。どんなに「ありがとう」を重ねても、「もう結構」と言う人はいないはずです。私もあなたに贈ります。『校長室より』を見てくれて「ありがとう」!!
今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
先日(8月31日)、本校の学校祭である「聡輝祭」が開催されました。数日前には台風の接近が懸念され、一時は予定通りできるか心配でしたが、当日は多くの方が来場し、楽しんでいただけたことを大変うれしく思います。
さて皆さんは、私が聡輝祭オープニング・セレモニーの中で述べた生徒たちへのメッセージを覚えているでしょうか。「今、この瞬間を楽しみ、思い出を胸に刻もう!!」です。
高校時代は一度きりのものであり、青春時代も限りあるものです。今日という日も、二度と戻ってきません。(だから、楽しむ時には、思う存分楽しんでほしいと考え、上記のメッセージを送りました。)
私は高校時代、「年を取る」ということについて全く自分事として実感できていなかったと思います。自分が50代、60代になる時は永遠に来ないかのように感じていました。でも実際は、そういう時が間違いなくやってきます(若い高校生である皆さんにも!)。
私が愛してやまない漫画に、『エースをねらえ!』(作者:山本鈴美香)という作品があります。主人公の「岡ひろみ」(「テニス王国」と呼ばれる県立西高等学校のテニス部に入り、夢中になってテニスに取り組む)に、テニス部コーチの「宗方 仁(むなかた じん)」(岡ひろみの才能を見出し、猛特訓する)が次のように語る場面があります。
「この世のすべてに終わりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、いつと知ることはできなくても、一日一日、一球一球、確実にその終わりに近づいている」
「だから、燦(きら)めくような生命をこめて、本当に二度とないこの一球を精いっぱい打たねばならない」
宗方コーチは、自身が選手であった時、テニスに心底打ち込み、優秀なプレーヤーであったにもかかわらず、突然の足の故障のために選手生命の終わりを迎えなければならなかった人物として描かれています。自らのつらい経験をふまえ、若い岡ひろみに、「自由に動けるうちに、自由に走れるうちに、悔いのないプレイをしておけ」と、テニスだけにとどまらない、「人生の忠告」とも言える教えを与えるのです。
この言葉の意味を、若い皆さんはどれだけ実感をもって理解できるでしょうか。私たちは、何気ない日常を当たり前のものとして過ごしていますが、今日という日は二度となく、高校時代も確実に終わりに近づいていきます。その限りある大切な日々の意味を心に置いて、「燦めくような生命」をこめた時間を過ごしてほしいと、私は思います。
時に「未来」や「将来」のために、「今」を捧げなければならない必要があることは確かです。部活動で大会に勝つためや、大学入試で合格を自分のものにするためには、ある程度は、というより、かなりの程度の努力、忍耐、我慢が求められます。ただ、その努力、忍耐、我慢は、一見地味で「泥臭い」ものに思えたとしても、後になって振り返ってみると、やはり「燦めくような生命」をこめた時間だったと気づく時がきっとあります。本当に好きだと思える「何か」、そして全力で取り組める「何か」を見つけられたならば、その「何か」のための努力には精いっぱいの「燦めくような生命」をこめることができるはずです。
皆さんの「何か」は何ですか? 二度とない青春時代です。どうか「悔いのない」日々を過ごしてください。夢や希望を胸に抱き、困難に負けずに生きる意志をもち、自らの若いエネルギーを「打ち込める何か」に思い切りぶつけていってください。自分の存在を懸けて生きる「今」という瞬間を楽しみ、その思い出を胸に刻んでください。
頑張れ、小高生!! いつも応援しています。
「人間万事塞翁が馬」
~「負けない」でいることが大事
「校長室より」のページから、生徒の皆さんへメッセージを送っていきたいと思っています。感想や要望がありましたら、気軽に声をかけてください。
「人間万事塞翁が馬」(にんげんばんじ さいおうがうま)という漢文を知っていますか? 私は、高校時代に古典の授業でこの漢文を学びました。こんな話です。
昔、中国の国境近くに、老人が住んでいました。あるとき、老人が飼っていた馬が隣国に逃げてしまい、周囲の人々はこれを気の毒がりました。しかし老人は、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。果たして数ヶ月後、逃げた馬が足の速い馬を連れて帰ってきました。
周囲の人々は祝福しましたが、老人は「どうしてこのことが禍(わざわい)にならないだろうか。いや、禍になるだろう。」と言いました。老人の家には良馬が増えましたが、老人の息子は乗馬を好み、馬から落ちて足を骨折してしまいました。周囲の人々は見舞いましたが、老人はまた、「どうしてこのことが福にならないだろうか。いや、福になるだろう。」と言いました。
1年後、隣国が大軍で攻め入ってきました。若者たちは戦いに駆り出され、10人のうち9人が戦死しました。老人の息子は、足の怪我のために(戦いに出ることなく)命を落とさずにすみました。
高校時代の私は、この漢文に対してあまり共感やリアリティーを感じることができませんでした。教訓めいた結論に強引にこじつけた昔話(フィクション)としか思えなかったというのが、正直なところです。でも、(高校時代から40年余りを経過した)今は、とらえ方が少し変わってきました。何が良くて、何が良くないということは、そう簡単に決めつけることはできないと考えるようになったからです。
誰でも失敗や挫折はしたくないし、マイナス(禍)と思われる出来事にもぶつかりたくありません。しかし、失敗や挫折の経験が全くなく、不運に遭ったこともないという人はきっといないし、そうしたことがあるからこそ、私たちは「学ぶ」ことができるのだと思います。大切なのは「失敗、挫折、不運にどう向き合うか」であり、それが最終的に人生の意味を左右するのではないでしょうか。ここで、若い皆さんに勧めたいのは、「長い時間の流れ」の中で物事を考える(想像する)ということです。「人間万事塞翁が馬」は1~2年の間に起きたと思われるエピソードですが、私たちの人生はもっと長く続き、ある出来事が生じた当初はマイナス(禍)だと思われたけれども、その後の紆余曲折の中で「結局はあれでよかったのだ」とプラス(福)に転ずるというのは、実はよくあることなのです。ただ、プラスに変わるタイミングは様々で、数日後だったり、数ヶ月後だったり、数年後や数十年後のこともあります。つらいことや寂しいことがあっても、一見平凡に思われる日々を「かけがえのない」ものととらえて過ごし、自分と自分に縁ある人たちを大切にして、思いやりをもって生活していくと、ある時ふと光が射してきて、道が拓けたり視界が広がったりすることがあります。泣きたいような時があったとしても、「負けない」でいることが大事です。心優しい小高生の歩む道は、明るい光に照らされ、美しい花が多く咲いているはずです。微笑みを忘れず、朗らかに進んでいこう!!
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小山高校・若木小学校東側の道路はスクールゾーンのため、朝7:00~8:30まで車両進入禁止です。