益子焼
陶土:陶土の作り方【昔】

陶土作り 昔の作り方

■水簸(すいひ)
明治(めいじ)の初め頃までは、良い陶土が出るところを見つけては、その場所に窯を築いていました。
なぜなら、土を運ぶための機械もなく、人も少なかったからです。
明治の終わり頃からは、運搬技術が発達したので、土を窯場に運ぶようになりました。
窯場の規模が大きくなったので、簡単に移動できないという理由からでもありました。

山から掘り出した土は、そのまま使うことはできません。
昔は「水簸」という作業で、草などのゴミや砂を取り除き、焼き物に適した粘土にしていました。
この粘土を「手漉し粘土(てこしねんど)」と呼んでいました。

1)土干し
山で掘った土を乾かします。
後の作業が楽になるように、細かくして、よく乾燥させます。

2)土漉し
1.庭の元桶(もとおけ)に水を半分ほど入れ、乾燥させた土を入れます。
2.しばらくしてからかんまし棒(かき回し棒)でかきまぜ、しばらくおきます。
3.すると、軽いゴミが表面に浮かんでくるので、まずそれを取り除きます。
4.次に、泥となった陶土を篩(ふるい)にかけながら、土漉し桶に入れていきます。
5.そのままにしておくと、土が下にたまりますので、上面の水だけをまた元桶に戻します。

これらの作業を何度も繰り返し、土漉し桶をいっぱいにします。

3)泥上げ
土漉し桶から、今度は床に泥を移していきます。
床は砂を敷き固めた上に、アンペラや麻袋をほどいたものを敷き詰めて作ります。
移すときには、柄杓(ひしゃく)や橋樋(はしとよ)を使います。

元桶よりも浅くしてあり、泥から染み出した水が元桶に戻るようになっています。
こうするとより早く乾燥します。

4)土盛り
床に移された泥は、水分が蒸発し、粘土になっていきます。
はやく水分を取るために、かっけ棒と呼ばれる棒で、元桶と反対側にかき集めます。
夏期は4日、冬期は3日ほどで固まります。
更にこの粘土を盛り上げた形にしていきます。

●盛り鉢
主に夏に使います。
大きさはすり鉢程度で、素焼きで底に水抜き用の小さな穴が開いています。
機械ろくろ用の石膏型(せっこうがた)を利用することもあります。
土を盛ると、盛り鉢が粘土の水分を吸収し、3日ほどで適度な硬さになります。

●棚板
主に冬に使います。
幅30センチ、長さ90センチほどの板に、粘土を盛り上げていきます。
冬は寒いので、夜のうちに水分が凍り、翌日に天日で氷が解けて流れ、1日で適度な硬さになります。

■出荷
精製が終わったら、運びやすいように粘土を俵型に丸めます。
昭和40年代初めまでは、長さ36センチ、太さ24センチ、重さ約19キログラムの大きさでしたが、昭和44年頃からは10kgになりました。

運ぶ方法は、大正(たいしょう)頃までは馬の背中で運びました。
その後、馬車に変わり、そして昭和30年頃からはトラックになりました。