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日誌
2019年6月の記事一覧
ビオトープのヒメガマの花が咲きました。
6月29日(金)令和になって初めての台風3号も、
関東地方から遠ざかっています。
小雨の降る中、本校の中庭にあるビオトープでは、
ヒメガマ(姫蒲)の花が咲き出しました。
このヒメガマは、ガマより全体が小形で、
穂や葉が細いことに由来しています。
花穂の上の方が雄花群で、下の方の淡い褐色に見えるのが
雌花群です。
ガマやコガマと区別するヒメガマの特徴は、
この写真でもわかるように、雄花群と雌花群の間に
軸(花柄)がむき出しになっていることです。
上の雄花に触ってみると、細かな花粉が
たくさん出てきました。
関東地方から遠ざかっています。
小雨の降る中、本校の中庭にあるビオトープでは、
ヒメガマ(姫蒲)の花が咲き出しました。
このヒメガマは、ガマより全体が小形で、
穂や葉が細いことに由来しています。
花穂の上の方が雄花群で、下の方の淡い褐色に見えるのが
雌花群です。
ガマやコガマと区別するヒメガマの特徴は、
この写真でもわかるように、雄花群と雌花群の間に
軸(花柄)がむき出しになっていることです。
上の雄花に触ってみると、細かな花粉が
たくさん出てきました。
ビオトープの生き物たち
6月21日(金)小学部1年生の生活単元学習において、
ビオトープに生息する生き物たちの観察が
行われました。
先日、教室で飼育していたカエルを
このビオトープに放しました。
そして、今度はビオトープで
珍しいトンボを発見しました。

チャレンジで来校してくれた毛野中学校のお姉さんと一緒に
網でつかまえました。

イトトンボの仲間でしょうか?
図鑑で確かめてみましょう!
「あれれ!」足下を見ると
なんと、ヤゴのぬけがらを発見しました。

ビオトープには、いろいろな生き物が生息していることが
わかりました。
ビオトープに生息する生き物たちの観察が
行われました。
先日、教室で飼育していたカエルを
このビオトープに放しました。
そして、今度はビオトープで
珍しいトンボを発見しました。
チャレンジで来校してくれた毛野中学校のお姉さんと一緒に
網でつかまえました。
イトトンボの仲間でしょうか?
図鑑で確かめてみましょう!
「あれれ!」足下を見ると
なんと、ヤゴのぬけがらを発見しました。
ビオトープには、いろいろな生き物が生息していることが
わかりました。
プールにいたオタマジャクシは今!
6月4日(火)に実施されたプール清掃で、
たくさんのオタマジャクシが採取されました。
それを教室に持ち帰って飼育しました。

今では4本の脚も出てきて、
立派に成長しています。
(オタマジャクシはエラ呼吸、カエルになる時、
肺呼吸にかわります。そこで注意したいのは、
しっかりした足場が必要になり、
おぼれないように石を置いて工夫しました)

6月20日(木)育ったカエルたちを
学校中庭のビオトープに放しました。

プールにいたオタマジャクシでしたが、
こんなに立派なカエルになりました。
たくさんのオタマジャクシが採取されました。
それを教室に持ち帰って飼育しました。
今では4本の脚も出てきて、
立派に成長しています。
(オタマジャクシはエラ呼吸、カエルになる時、
肺呼吸にかわります。そこで注意したいのは、
しっかりした足場が必要になり、
おぼれないように石を置いて工夫しました)
6月20日(木)育ったカエルたちを
学校中庭のビオトープに放しました。
プールにいたオタマジャクシでしたが、
こんなに立派なカエルになりました。
校庭を飛び交うアゲハチョウ
6月18日(火) 校庭の隅にある「ちょうの里」には、
キンカン、サンショウ、レモン、ミカンなどの
アゲハチョウが好む柑橘系のくだものが植樹されています。
早朝、近くでアゲハチョウを見たいという児童のために、
キアゲハをつかまえました。

不思議そうに見つめる児童。近くでよく見ると、
とてもきれいな羽をしていました。
これからも、身近な自然を観察していきましょう。
キンカン、サンショウ、レモン、ミカンなどの
アゲハチョウが好む柑橘系のくだものが植樹されています。
早朝、近くでアゲハチョウを見たいという児童のために、
キアゲハをつかまえました。
不思議そうに見つめる児童。近くでよく見ると、
とてもきれいな羽をしていました。
これからも、身近な自然を観察していきましょう。
身近な自然観察
6月14日(金) 校庭で不思議なトンボを発見!
「今まで見たこともないトンボだ”」
小学部の児童がつかまえたトンボ
「名前はなんて言うんだろう?」

調べてみると、シオカラトンボの子どもでした。
そして、学校の裏山では中学部の生徒たちが
野鳥の観察をしました。

自然の美しさや、生命の尊さを体感できました。
「今まで見たこともないトンボだ”」
小学部の児童がつかまえたトンボ
「名前はなんて言うんだろう?」
調べてみると、シオカラトンボの子どもでした。
そして、学校の裏山では中学部の生徒たちが
野鳥の観察をしました。
自然の美しさや、生命の尊さを体感できました。
今年も巣箱の中で!
6月12日(水) 学校の裏山(ほたる沢公園)に仮設した
巣箱の中で、今年もシジュウカラの雛が育っていました。
ほたる沢公園を散布していると、
ピィ、ピ゚ィと、小さな声が聞こえてきました。
親鳥を待っている雛たちの声です。
さっそく、中学部の生徒が観察に出かけました。
もう、すっかり目を開けた雛たち、
「あれ、お母さんじゃない!」と思ったのか、
みんな恥ずかしそうに下を向いてしまいました。
そこで、しずかに写真を撮って、
教室で写った雛の数を数えました。
全部で何匹いたでしょうか?
今年も、児童生徒が作成した巣箱から、
たくさんの小鳥たちが巣立って行くことでしょう。
巣箱の中で、今年もシジュウカラの雛が育っていました。
ほたる沢公園を散布していると、
ピィ、ピ゚ィと、小さな声が聞こえてきました。
親鳥を待っている雛たちの声です。
さっそく、中学部の生徒が観察に出かけました。
もう、すっかり目を開けた雛たち、
「あれ、お母さんじゃない!」と思ったのか、
みんな恥ずかしそうに下を向いてしまいました。
そこで、しずかに写真を撮って、
教室で写った雛の数を数えました。
全部で何匹いたでしょうか?
今年も、児童生徒が作成した巣箱から、
たくさんの小鳥たちが巣立って行くことでしょう。
「ツタンカーメン王副葬品エンドウ豆」の栽培
平成30年の夏、「とちぎ環境みどり推進機構」からいただいた数粒の種、
これは、ツタンカーメン王副葬品だとのこと。
そこで、慎重に種を増やしてから学校で栽培することとし、
教材研究の一環として、とりあえず職員の自宅の畑で育ててみました。

昨年の11月、畑の片隅で育てました。(普通のエンドウ豆と
交配しないよう、遠ざけて栽培)
すると、どうでしょう! 実ったサヤの色にびっくり!
ご存じの通り、現在食用のエンドウのサヤ色は黄緑ですね。
なんと、このエンドウ豆は、写真のように若いサヤのうちから
黒に近い茶褐色でした。(ツタンカーメン王副葬品エンドウ豆の特徴)
このエンドウ豆の由来は、(高橋 潔様による)
「野木町の生田目 光世様よりいただいた記録によるもので、
この一粒から摂れたエンドウ豆が多くの方々の手に渡り栽培される
ことを記念する次第です」とのこと。
<由来>
1922年(大正11年)イギリスの考古学者カーナー・B・カーターが
エジプト・ナイル川上流ルクソール市郊外、王家の谷の墳墓発掘の時、
ツタンカーメン王(在位BC1359~1349)の墓を発見した。
王の柩に副葬されていた様々な日用品に混じって、
エンドウ豆が発見された。
この豆は、古代エジプト人が食用にしていたものであろう。
カーターは、それをイギリスに持ち帰り、栽培に成功した。
その一部がアメリカに渡り、栽培が続けられた。
日本へは、1956年(昭和131年)「世界友の会水戸支部」の
大町武雄氏が数粒入手して栽培し、これをもとにして、
水戸市内の小・中学校で教材として栽培するようになった。
たまたま、1983年(昭和58年)水戸市立三の丸小学校で
「全国小学校理科研究大会」が開かれた時、
同校では、参加者のうち希望者に少量ずつ配布した。
本県では、藤原町立下原小学校の杉本昌夫先生が2粒入手し、
同校で教材として栽培したのが始まりで、
この種子を1985年(平成6年)1月、石橋町・国分寺町。小山市
野木町の現職校長・退職校長の研修会の時、
この種子を参加者に少量ずつが畏怖した。
同席の野木町立新橋小学校長の金沢尚武先生が20粒ほど入手した。
うち5~6粒を野木町の「生田目光世」が入手し、
同町老人福祉センターで栽培した。
翌年から、自宅の畑で栽培し現在に至っている。
県下での愛好家の人数等は明らかではないが、
野木町内には、数人の愛好家がおり、
細々と栽培しているようである。
平成11年12月13日
生田目 光世 記
とちぎ環境みどり推進機構の資料より
このような経緯から、このほど本校にやってきた不思議な種。
今年の4月に収穫した種は、100粒にも増えました。

いよいよ今年の秋に、学校で栽培する準備は整いました。
特色ある学校づくりの一環としての環境教育。
児童生徒たちにとって、生命の尊さとたくましさが感じられる
貴重な教材となるといいですね。
これは、ツタンカーメン王副葬品だとのこと。
そこで、慎重に種を増やしてから学校で栽培することとし、
教材研究の一環として、とりあえず職員の自宅の畑で育ててみました。
昨年の11月、畑の片隅で育てました。(普通のエンドウ豆と
交配しないよう、遠ざけて栽培)
すると、どうでしょう! 実ったサヤの色にびっくり!
ご存じの通り、現在食用のエンドウのサヤ色は黄緑ですね。
なんと、このエンドウ豆は、写真のように若いサヤのうちから
黒に近い茶褐色でした。(ツタンカーメン王副葬品エンドウ豆の特徴)
このエンドウ豆の由来は、(高橋 潔様による)
「野木町の生田目 光世様よりいただいた記録によるもので、
この一粒から摂れたエンドウ豆が多くの方々の手に渡り栽培される
ことを記念する次第です」とのこと。
<由来>
1922年(大正11年)イギリスの考古学者カーナー・B・カーターが
エジプト・ナイル川上流ルクソール市郊外、王家の谷の墳墓発掘の時、
ツタンカーメン王(在位BC1359~1349)の墓を発見した。
王の柩に副葬されていた様々な日用品に混じって、
エンドウ豆が発見された。
この豆は、古代エジプト人が食用にしていたものであろう。
カーターは、それをイギリスに持ち帰り、栽培に成功した。
その一部がアメリカに渡り、栽培が続けられた。
日本へは、1956年(昭和131年)「世界友の会水戸支部」の
大町武雄氏が数粒入手して栽培し、これをもとにして、
水戸市内の小・中学校で教材として栽培するようになった。
たまたま、1983年(昭和58年)水戸市立三の丸小学校で
「全国小学校理科研究大会」が開かれた時、
同校では、参加者のうち希望者に少量ずつ配布した。
本県では、藤原町立下原小学校の杉本昌夫先生が2粒入手し、
同校で教材として栽培したのが始まりで、
この種子を1985年(平成6年)1月、石橋町・国分寺町。小山市
野木町の現職校長・退職校長の研修会の時、
この種子を参加者に少量ずつが畏怖した。
同席の野木町立新橋小学校長の金沢尚武先生が20粒ほど入手した。
うち5~6粒を野木町の「生田目光世」が入手し、
同町老人福祉センターで栽培した。
翌年から、自宅の畑で栽培し現在に至っている。
県下での愛好家の人数等は明らかではないが、
野木町内には、数人の愛好家がおり、
細々と栽培しているようである。
平成11年12月13日
生田目 光世 記
とちぎ環境みどり推進機構の資料より
このような経緯から、このほど本校にやってきた不思議な種。
今年の4月に収穫した種は、100粒にも増えました。
いよいよ今年の秋に、学校で栽培する準備は整いました。
特色ある学校づくりの一環としての環境教育。
児童生徒たちにとって、生命の尊さとたくましさが感じられる
貴重な教材となるといいですね。
記念碑の周りに咲く花
6月3日(月) 南校舎の花檀中央にある碑は、
創立20周年を記念して建立されました。
「強く 正しく 美しく」
初代校長 山中(巖満)先生書
平成5年11月19日
創立20周年記念
と、記載されています。そして、記念碑の周りでは、
鮮やかなツツジの花が満開になりました。
創立20周年を記念して建立されました。
「強く 正しく 美しく」
初代校長 山中(巖満)先生書
平成5年11月19日
創立20周年記念
と、記載されています。そして、記念碑の周りでは、
鮮やかなツツジの花が満開になりました。
学校風景
連絡先
〒326-0011
栃木県足利市大沼田町619-1
電話 0284-91-1110
FAX 0284-91-3660
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