校長室便り

カテゴリ:報告事項

臨時休業2日目②

12:00頃、附属中のALT(栃木県外国語指導助手)であるラフレニエール・ボーニバル・アナイースさんに今年度の辞令を渡しました。平成29年8月から、連続して附属中のALTをお願いしており、辞令の任期は令和2年7月30日までです。


アナイースさんは、カナダのケベック出身で、英語だけでなくフランス語も話せます。
彼女は、とてもフレンドリーで、附属中生はアナと会話をするのをとても楽しみにしています。また、高校では、SGHクラブのフランス語班の指導もしていただいています。


(マスクを取って、写真撮影させていただきました)


アナから、皆さんにメッセージをいただきました。
I hope we will have fun learning English together !


 

臨時休業2日目①

臨時休業2日目
今日は、こんなことがありました。

まず、昨日に引き続き、午前中は、各部の打ち合わせ(生徒指導部、渉外部、SGH推進部)がありました。


その間、10時30分頃、この春の卒業生である坂井里衣(さかい・りえ)さんが、合格体験記を届けに来てくれたので、お話を聞くことができました。新型コロナの影響で、大学にはまだ行けてないそうです。



坂井さんは、横浜市立大学国際教養学部にAO入試で合格しました。同学部は非常に人気が高く、定員25名のところ、200名以上が受験しました。AO入試は、志望理由書や高校での課題研究の内容(ともに2000字程度)に加え、プレゼンテーションや面接などで合否が決まります。


私は、佐高のSGH成果発表会には毎年参加していたので、坂井さん達の研究はよく知っていました。彼女達は、SGHクラブに所属し、「日本と台湾の過疎地域の活性化」をテーマに、2年間にわたって、台湾や茂木町でのフィールドワークを行い、研究をまとめました。その研究成果は、本校のSGH成果発表会を始め、立教大学での発表会や地理学会など、多くの場面で発表してきました。その甲斐あって、AO入試の面接では、単なる質問に答えるというより、研究内容に関するディスカッションが行われ、研究する者として対等に扱ってもらえた、と感じたそうです。本校での活動を通して、質問力や、チームで研究に取り組む力などがついた、と話してくれました。


大学では2年生に進級するときに、都市学科を選択し、インフラや経済効果に注目した町づくりについて学びたいそうです。


坂井さんを始め、卒業生の皆さんの活躍を期待しています。

臨時休業1日目

臨時休業1日目、生徒たちがいない学校では、こんなことが行われていました。

午前中、中高の先生方は、進路指導部、学習指導部、特活部といった校務分掌ごとの打ち合わせを行いました。本校は、中高一貫ですので、各部には中高それぞれの先生が所属しており、連携しながら仕事をしています。午後は、今年度、佐野高校・同附属中に異動してきた先生方の研修などを行いました。また、5月中に予定されていた各種の行事をどうするか、授業の遅れをどうやって取り戻すか、などの多くの課題について、検討をしていました。授業がなくても、先生方はいろいろな仕事をしています。

ところで、今日は夕方から雨。個人的には、この季節に雨が降ると血が騒ぎます。
私は、生物が専門で、特に、両生類(カエルやサンショウウオ)に興味があります。県南の佐野市や栃木市には、トウキョウサンショウウオという両生類が生息していて、主に1月から4月にかけて産卵します。
雨が降った日の夜などは、産卵がみられることがあるのです。


産卵のために山から下りてきたトウキョウサンショウウオ

この話は長くなるので、今日はこれくらいにします。

中高合同入学式

4月7日、今日は中高の合同入学式がありました。

新型コロナ感染防止のため、体育館の窓を開け放ち、出来るだけ席の距離を開け、式の時間も大幅に短縮するなど、例年とは異なる形での挙行となりましたが、生徒たちは厳粛な姿勢で式に臨みました。
その中で、式辞として、以下の内容を伝えました。私の思いが込められていますので、以下に、式辞の中心部分を抜粋して掲載します。

校庭の桜はピークは過ぎていましたが、まだきれいに咲いていました。

式辞(抜粋)
○皆さんには、本校の歴史と伝統をしっかりと受け止め、本校に入学できた喜びを忘れることなく、「佐高生」「佐附中生」としての責任と自覚を持って中学・高校生活を送って欲しいと考えています。そこで、私から皆さんに望むことを一つだけ、お話ししたいと思います。
 
○それは、「恐れずに挑戦してほしい」ということです。皆さんは、それぞれの目標や希望の実現に向けて勉学に、スポーツや文化活動に打ち込もうという意欲を持っていることと思います。しかし、現在、新型コロナウイルスの感染者は、世界全体で100万人を超えるなど、猛威を振るい続け、長期戦の様相を呈しています。私たちの周りでも、東京オリンピック、パラリンピックの延期を始め、外出の自粛、海外研修の中止、様々な部活動の大会の中止、など、自由にやりたいことができない、といった閉塞感に包まれています。もちろん、最優先すべきは人の命ですが、こうした状況が長く続くことによって、皆さんの頭や心、体が、内向きな気持ちに染まってしまうことを私は危惧しています。感染が収束するまではじっと我慢して待つしかない、という諦めに似た思いもありますが、皆さんの頭や心、体の成長は、待ってはくれません。たとえ、勉学やスポーツ、文化活動が、思うようにできないことがあったとしても、それぞれの目標や希望の実現に向けて、恐れずに挑戦し、自分の人生を自分で切り拓くことを怠ってはいけないのです。

 グローバル化は、感染症の急激な拡大に伴う難しい課題をあらためて世界に突き付けていますが、今、必要なのは「グローバルを怖れない人材」であると私は考えています。現在の危機的な状況は、永遠に続くものではありません。必ず終わりがあり、そこには新たな世界観が生まれているはずです。本校は、そうした新たな世界への皆さんの挑戦に応えることのできる学校でありたいと思っています。

〇佐野高校は、本県唯一のSGH、スーパーグローバルハイスクールとして文部科学省の指定を受けており、SGH活動に取り組む生徒や卒業生を「SGH通信」で紹介しています。今年の2月27日発行の第42号では、中高一貫の3期生である佐藤直(さとう・なお)さんの活躍が紹介されています。彼女は現在、大阪大学外国語学科に在学しており、スワヒリ語を専攻しています。昨年度は十か月の予定でタンザニアに私費留学をしていました。タンザニアのスワヒリ語が一番きれいとされていることから、留学先としてタンザニアを選んだそうです。新型コロナの影響で今は日本に戻っていますが、その間の状況を本人に聞いてみました。新型コロナがアフリカ大陸に入ってくると、アジア人差別が激化し、物乞いの少年に「ヘイ、コロナ。コロナはどこにいるんだ?」と言われたり、バスの運転手に「コロナが乗るなら消毒液がいるだろう?」と大量の消毒液を突然、手や腕にかけられたりしたそうです。コロナ騒動によって、人間は時に差別を正当化してしまうという弱さを目の当たりにしたのです。佐藤さんは、日本に帰国する前までは、もうタンザニアとは関わらないようにしようと思っていましたが、今は不思議とタンザニアが嫌いになったわけではなく、コロナが収束したら、また戻りたい気持ちになっている自分に気づいたそうです。確かに、彼女のような生き方は誰にでもできるものではありません。しかし、グローバル社会を生きるということは、そういった人間の弱さと向かい合うことを怖れないことが、必要なのかもしれません。

〇皆さんの周りにはかけがえのない素晴らしい仲間がいます。上級生や卒業生たちもいます。それぞれ、自分を磨きたい、大きく成長したい、夢を実現させたい、と願っている仲間たちです。ぜひ、この佐野高校や附属中学校という恵まれた環境の中で、切磋琢磨し、高め合う生徒集団となって、一人で越えるには難しい壁も、みんなで乗り越えていってほしいと思います。

〇新入生入場の際に流れていたオフィシャル髭ダンディズムの「宿命」の歌詞の中で、「奇跡じゃなくていい 美しくなくていい 生きがいってやつが光り輝くから」という一節があります。私は、皆さんが卒業するまでに、そう思えるような学校生活を送れることを望んでいます。
(以下、省略)

校長室だより始めます

皆さん こんにちは

令和2年4月1日に、佐野高校・同附属中学校の校長として着任した青柳育夫と申します。本校の良さをより知っていただくため、新年度より、「校長室だより」のコーナーを作りました。


まずは、最初は自己紹介を兼ねて、私と佐野高校・同附属中学校との関わりからお話します。

私の出身は、県北の大田原市(大田原高校)ですが、新採用で佐野高校への赴任を命ぜられ、まず、8年間勤務しました。その後、小山西高での8年間の勤務を経て、栃木県教育委員会で高校再編推進担当及び中高一貫教育校設立準備担当(6年間)となり、佐野高校中高一貫教育校の設立準備などに携わりました。その後、同附属中学校が開校した平成20年度に佐野高校に異動し、29年度までの10年間勤務しました。その間、佐野高校は、中高一貫教育校、男子校から男女共学の進学校へと大きな変化を遂げました。また、平成28年度から文部科学省のSGH(スーパーグローバルハイスクール)の指定を受けました。その後、平成30年度、再び、県教育委員会で高校再編推進担当(主幹)となり、2年間の勤務の後、今年度、佐野高校への3度目の赴任となりました。佐野高校には計18年間勤務しましたが、さらに、県教育委員会で中高一貫教育校に関わった8年間を加えると、合計26年間、本校の教育活動に関わってきました。私にとって、佐野高校・同附属中学校は母校以上の存在です。教師としての私のほとんどは、佐野高校でできている、といっても過言ではありません。
こうして私は、佐野高校・同附属中に使命感と「宿命」を感じながら、着任しました。