校長室便り

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【中学】大澤駅伝「中学女子・中学男子」入賞!

2月5日(日)、「清酒開華スタジアム」(佐野市運動公園陸上競技場)を会場として、第73回大澤駅伝競走大会が4年ぶりに開催されました。本校は、中学女子の部、中学男子の部に参加し、中学女子(8位)中学男子(7位)に入賞しました。男女とも、素晴らしい走りで見事にタスキをつなぎました。おめでとうございます。

 

大澤駅伝は、郷土の偉大なランナーである「大澤龍雄」への追悼の意を込めて開催されています。大澤龍雄氏は1918(大正7)年に現・佐野市牧町で生まれ、1931(昭和8)年に県立佐野中学校(現・佐野高校)に入学し、長距離走者として全国でも実力を発揮しました。

1936(昭和11)年、日本大学に進学してからは、その天性に磨きをかけ、東京-箱根間駅伝競走をはじめ、大活躍しました。大学2年時には日米対抗陸上競技大会に日本代表として出場しました。

1940(昭和15)年の明治神宮大会3000m障害走で「9分25秒2の日本新記録」を樹立しましたが、太平洋戦争により、1944(昭和19)年9月、南洋パラオ諸島のアンガウル島にて27歳という若さで戦死を遂げました。

郷土の生んだ偉大なランナーへの追悼の意を込めて、「大澤駅伝競走大会」が開催されています。

(以上、大会のパンフレットの記事をもとに紹介しました)

大澤駅伝には、このような歴史があり、本校にとっても特別な意味のある大会です。今回、中学で男女とも入賞できたことを嬉しく思います。

大会のパンフレット

 

<中学女子>8位入賞!

 

1区:大塚心晴さん

 

2区:恩田彩衣さん

 

3区:小林琥珀さん → 区間3位

 

4区:関口紫月さん

 

5区:川島えれなさん

 *選手のコメント

「入賞できて本当に良かったです。県外からの強豪校と一緒に走ることが出来て、いい経験になりました。来年度の駅伝も頑張ります。」

 

<中学男子>7位入賞

 

1区:橋本京弥さん

 

2区:高野蒼空さん → 区間2位

 

3区:渡邉佑真さん

 

4区:石川大和さん

 

5区:太田睦葵さん

 

6区:荻原惇綺さん → 区間3位

*選手のコメント

「もっと頑張れたという気持ちはありますが、全員でタスキをつなぐことが出来て良かったです。」

 

*男女とも、よく頑張りました!大きな自信になったと思います。

 

また、高校の陸上競技部員は、大会の運営を担当し、一般男子の部で3名がクラブチームで参加しました。

 

今日一日、皆さん、お疲れさまでした!

 

【高1・2】課題研究発表会

2月2日(木)13:00~15:55(5・6・7限目+清掃の時間)、高校1・2年生の「総合的な探究の時間」での「課題研究発表会」を行いました。高1、高2それぞれ、各グループの発表とそれに対する評価を行いました。

高1の発表です。このグループはオールイングリッシュで行いました。

 

高1は、発表10分、質疑2分、講評1分30秒、評価記入・入替1分、計約15分が1サイクルとなり、全部で30班発表しました。

生徒は、各自のタブレットからも、すでにTeamsに提出している発表画面を見ることが出来ます。

生徒からの質問や先生方からの講評は、研究の質を高めるためにも重要です。

 

高2は、発表時間7分、質疑2分30秒、講評1分30秒、評価記入1分計12分が1サイクルです。全部で49班の発表がありました。高2は、高1からの継続研究や個人研究も多く、自分が目指す進路と関連のあるテーマも増えています。

 

高1、高2ともに、素晴らしい発表の連続でした。とても良かったと思います。

最後に、各会場で担当の先生から、全体の講評がありました。

 

なお、本日の発表会の評価をもとに、3月2日(木)に行われる「全体発表会」(中3、高1,高2の代表班が発表)が行われます。

 

(告知)

生徒の課題研究を直接、佐野市長さんにプレゼンする発表会の開催が決定しました。高校2年生の青木藍花さんが、佐野市長との新春対談(佐野ケーブルテレビで放映)で市長さんに要望したことが実現しました。

日時は、3月22日(水)の午後1時間です。佐野市役所で発表します。

佐野市をもっとよくしたい、佐野市長に若者の声を伝えたい、といった前向きな気持ちのある課題研究の成果を発表してもらいます。皆さんの熱い思いを伝えてください。

 

【高2】ニューヨーク・バレエ留学(報告)

2月2日(木)放課後、高校2年2組小林優花さんが、ニューヨークでのバレエ留学(12月5日~28日)の報告に来てくれました。小林さんは「日本国際バレエフェスティバル」 の奨学金を得て、Mid Manhattan Performing Artsミッドマンハッタンパフォーミングアーツ)で、クラシックバレエだけでなく、ジャズ、タップ、モダンなど、様々なジャンルのダンスを学びました。

ミッド マンハッタン パフォーミング アーツの修了証を見せてくれました。

 

夜のミッドマンハッタンパフォーミングアーツ。手前でポーズを決めているのが小林さんです。

この時期、日本各地から6名の女子がバレエ留学に来ており、バレエ学校のシェアハウスで共同生活をしていました。

バレエの衣装を着けています。

小林さんは、とても優秀な留学生だったようです。すべて英語でコミュニケーションできたことは大きな自信にもなりました。(中学校で習った英語で十分通じたそうです。)

ニューヨークでは、様々なシアターでダンスなどを見ることが出来ました。

留学中に行ったシアターのパンフレット

 

今回のバレエ留学に参加し、踊ることが大好きなことを再確認できたことが最大の収穫だったそうです。また、自分のチャレンジを支えてくれた家族や友人への感謝を改めて感じたことを話してくれました。

クリスマスのミッドマンハッタンは、小林さんのバレエ人生にとって「かけがえのない出会い」だったと思います。将来の夢に向かって、また一歩近づきましたね。

報告ありがとうございました。

【高2】トビタテ留学Japan(報告)

1月23日、放課後、高校2年1組の細井光希さんが、夏休み中に参加した「トビタテ留学Japan」の報告に来てくれました。細井さんは、8月6日から27日までの3週間、地中海にある「マルタ共和国」に、アカデミックテイクオフという枠で短期留学を行いました。「スポーツの真の強さを探しに」をテーマに活動した3週間について話してくれました。

 

細井さんは、マルタ共和国の首都ヴァレッタの語学学校での寄宿舎生活を拠点に、日本で計画していた様々な活動にチャレンジしました。

 

最初の1週間は、言葉が通じなかったり、コミュニケーションが十分に取れなかったり、落ち込む日々が続いていたそうです。下のグラフは、3週間のエネルギーカーブで、1週目はどん底にいたことを示しています。

そして、2週目からは、自分がやりたいことは何なのか、自分に向き合うことで、今、何をすべきなのかを模索しました。グラフでは、波線のように表されています。

最後の3週目で、この留学の目的でもあった「スポーツの真の強さとは何か」に向き合うことができました。人生最高の夏にすることができたそうです。

このトビタテを経験したことで、自分の「好き」「得意」「なりたい」を具体的に自覚し、自信が持てるようになった、と話してくれました。

細井さんにとって、「トビタテ留学Japan」は、今までの自分に向き合うことで、自信を持ち、これから何をすべきかを考える大きなきっかけになったことが伝わってきました。

 

細井さんは、佐野高校・同附属中で学びたいという夢をかなえるため、自宅のある県北から一人で下宿しています。

トビタテ留学Japanは、希望すれば叶うので、特に中学生のうちから、参加することを考えてみてください」という言葉には説得力がありました。

ちなみに、中3の3学期くらいから準備する必要があるそうです。細井さんは、中3から応募し、高1の夏休みに行く予定でしたが、コロナの影響で1年遅れで高2の夏休みに留学しました。高1の終わりころに応募し高2の夏休みに留学することも可能です。

明日(2日)の「課題研究発表会」で、細井さんは「スポーツの真の強さを探る」というテーマで発表するそうです。

楽しみにしています。

 

【高2】化学基礎 ~中和滴定

2月1日(水)7限目、高校2年1組(文系)の「化学基礎」の授業(亀山先生)を見学しました。化学実験の定番である「中和滴定」を行いました。前時に、実験の目的や原理、方法などについて、ユーチューブ動画等で確認しており、本時は実験を行い結果を求めるところまで実施します。クラス全体の意欲的な雰囲気が印象的でした。

まずは、実験の流れを確認しました。(授業開始時には、すでに板書されていました)

 

本時の印象的なキーワードは、ホールピペッやビュレッの「とも洗い」、一方、ニカルビーカーやメスフラスは「こだわらない」ことでした。皆、しっかり頭に入っていました。

生徒たちは集中して、実験のポイントを理解していました。

実験が始まると、後は生徒たちでどんどん進めていきます。まずは「とも洗い」から始めています。

上手くいかないときは、亀山先生や田所先生がサポートしてくれます。

全ての班で、45分の時間内に、中和滴定の実験を4回繰り返し、データを取れていました。

そのデータを基に、生徒たちはプリントの「考察」を整理します。次の時間に、その確認が行われるようです。

生徒たちは、実験を楽しむとともに、自分で実験をやることで、「中和滴定」について理解を深めていました。