日誌

2018年4月の記事一覧

中学1年生の宿泊学習に参加して

 4月20日~22日、中学1年生が2泊3日の宿泊学習を行い、校長の私もその一部に参加しました。19日の事前指導では、「相互理解を深めるため、会話だけではなくしっかりと『対話』しよう」「リーダーにフォロアーシップ、フォロアーにもリーダーシップが必要」という話しをしました。

 
 初日は帝京大学のサイエンスキャンプに参加し、情報電子工学科長の荒井正之教授の「ロボットの目ってどうなっているの?」という講義を受けました。今まさに旬の分野のお話に生徒たちは聞き入り、講義後には次々と質問の手が上がりました。中には「そのうちにロボットは人間の能力を超えてしまうようにも思うのですが、これ以上は開発を進めるべきではないという限界について先生はどう考えますか。」といった本質的な問いもありました。「荒井先生は、わくわくするもの、面白い、素敵だと思うものを追求していった人なんだと感じました。」という生徒の謝辞にも感心しました。

 その後は格納庫に向かい、航空宇宙工学科の先生方から目の前にある航空機やロケットなどについての解説を聞きました。
 これらの学びを通じて、生徒たちの知的好奇心や探究への興味は大いに喚起されたと思います。

 二日目は、冒険活動センターでの野外炊飯と選択活動に参加しました。生徒たちは、野外炊飯でカレー作りに挑戦しました。薪を燃やし、ご飯を炊き、食材を切り、煮込み、味をつけ、盛りつけるまで、協力しながら、見通しをもって段取りよく進めていました。生徒とともにとても美味しいカレーライスとスープをいただきながら、初日の講義のときとはまた違った生徒の側面に触れることができたように感じました。
   
 午後の選択活動は4月とは思えない炎天下でしたが、イニシアティブゲーム、ニュースポーツ、ウォークラリーに分かれ、元気に活動していました。各班でしっかりと「対話」を重ねながら、各々がリーダーシップ・フォロアーシップを発揮し、困難なミッションに果敢に取り組んでくれたのだと思います。

宇都宮東高校・同附属中学校の生徒の皆さんへのメッセージ

 今年のNHK大河ドラマは、幕末・明治維新を舞台とし、西郷隆盛を主人公とした「西郷(せご)どん」ですが、先日の放送でこんな場面がありました。

 薩摩藩の藩主である島津斉彬(なりあきら)が、ジョン万次郎から、アメリカの話を聞く場面です。
 島津斉彬は、西洋列強がアジア全体にに圧力をかける幕末の時代、鎖国の日本にあって海外に目を向けた開明派の殿様として有名です。一方のジョン万次郎という人は、後に開国のときなどに大きな役割を担うことになる人ですが、もとは土佐藩の漁師でした。あるとき漂流して、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカ本土で暮らしていましたが、あるとき、鎖国状態にあった日本の、そのときは薩摩藩が支配してた琉球に上陸して、やがて島津斉彬と会うことになったわけです。
 このとき、万次郎は、斉彬公に、
「アメリカでは、市民が能力に応じて、希望するどんな職業にでもつける」
ということを話しました。そのとき斉彬は、
「西洋の力は、教育の力か・・」
とつぶやきます。


 もちろん身分制度の厳しかった江戸時代の日本は「市民が能力に応じて、希望するどんな職業にでもつける」国ではありませんでした。
  一方、「学校らしきもの」は、ありました。支配階級であった武士の子どもは、「藩校」と呼ばれる学校で、町人は「寺子屋」というところで、勉強していました。ただ、今の学校と異なり、武士の息子は武士に、町人の息子は町人に、女の子たちは立派なお嫁さんになるために勉強していたのです。つまり、自分の考えで、自分の可能性を開発し、自分の人生を切り開くための学校ではなかったのです。
 日本において、今の、近代的な学校制度の基礎が作られたのは、明治5年の「学制発布」です。そこではじめて小学校・中学校という今の「学校」の概念に相当するものがつくられました。
 ここで注意してほしいことは、明治5年という年です。この政策が、近代化を急ぐ明治初期の日本の、四民平等、身分制度の撤廃の流れの中で行われたということです。学校の誕生と、身分の撤廃との間には、密接な関係があったわけです。そしてそこには、個人の自己実現が国家の発展の源となるはずだという、明治新政府のヴィジョンもありました。
 つまり「近代」の定義の一つは、「誰もが、自分の努力次第で何者にでもなり得る」ような、人生に選択の自由が許される社会であり、そのことが社会全体の幸福につながる時代のことなのだと思います。

 ただ、一つ厳しいことを言います。「何者にでもなり得る」「選択の自由がある」ということと、
 「何でもなりたいものになれる」「どのようにでも好きに生きられる」ということとは違います。例えば、「大谷選手のように投手でも打者でも大リーガーとし活躍したい」と思っても、それに見合う努力と適性がなければ実現できません。

「自分の知的好奇心の方向は、どこを向いているのか」
「自分はやがてどのような社会的な役割を担っていきたいのか」
「やがてあるべき自分のために、これから自分はどのような力を身につけなければならないのか」
「したがって自分は、今、何をすべきなのか」
 日々の学習や特別活動、あるいは読書の合間に、あるいはむしろそれらの活動を通じて、そんなことを意識して欲しいと思います。

                                         一学期始業式の講話より

白熱の後のゴールに花筏


 6日の入学式、9日の校長着任式、離任式、対面式、始業式、そして本日10日の、校長離任式、新任式と、新年度の一連の儀式的行事が終わりました。いずれにおいても、中・高それぞれの生徒代表挨拶は、内容・態度ともにとても立派なものであり、感心させられました。離任式における女子リーダーを中心とした生徒たちのエールも、離任の先生方の心に残ったことと思います。
 入学式式辞と校長着任式挨拶で、私は「知的好奇心」と「感受性」が自己実現に対して果たす役割についてお話ししました。また、始業式では、「近代化」における学校の役割について講話をいたしました。いずれも、特に中学生にとっては難しい内容だったかもしれませんが、生徒たちは皆、真剣な表情で耳を傾けてくれました。
 この季節は、例年ですと桜の開花、あるいは満開の時期と重なります。ですが、本年は開花が早く、入学式前日には花吹雪となり校庭も薄紅に染まっていました。

赴任のご挨拶


 本年度、宇都宮東高等学校・同附属中学校の校長として赴任しました若杉です。
 変化の激しいこれからの時代を生き抜ける、強靱でしなやかな知性と学び続けようとする姿勢を持った生徒を育てたいと考えています。その実現のために、6つの柱を持った「平成30年度の重点目標」を別記のように定めました。
 校訓「正しく 剛く 寛く」のもと、職員一同、生徒とともに教育活動に精励いたしますので、保護者の皆様、地域の皆様、同窓生の皆様などには、一層のご支援・ご助力をお願いいたします。