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2010年3月の記事一覧

第3学期修業式

24日、第3学期の修業式が行われました。
3年生が卒業し、来年度新2・3年生となる1・2年生が、
校長先生より、「至誠」そして「質実剛健」のもと、勉学に励むよう
講話をいただきました。

合格体験発表会

今春大学に合格した卒業生に志望大学までの生活状況や学習状況などを
発表してもらいました。
1、2年生は真剣な面持ちで先輩方の話に耳を傾けていました。

高校入試 合格発表

桜咲く!
 
平成22年度高等学校入学者選抜学力検査の合格発表が行われました。
先月行われた推薦入学合格者を含め 合格者 240 名に合格書類等
が渡されました。

3月2日卒業式挙行 校長式辞

平成21年度全日制第62回卒業式
 
 同窓会長・PTA会長はじめ多数の来賓をお招きして、厳粛かつ盛大に執り行われました。
 
 校長からの式辞を紹介いたします。
 
                     式   辞
 厳しい冬を経て、馥郁(ふくいく)と梅の香り漂うこの佳き日に、日下田實同窓会長様、田村稔PTA会長様をはじめ、多数のご来賓のご臨席を仰ぎ、平成二十一年度第六十二回栃木県立真岡高等学校全日制の卒業式を挙行できますことは、喜びに堪えません。ここに、教職員、生徒ともに厚く御礼申し上げます。
 保護者の皆様、本日はご子息様の「栃木県立真岡高等学校卒業」誠におめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。ご子息様は、高校生活を送る中で、大きく成長されたと推察いたします。これまでの本校の教育活動にご理解とご協力を賜り、教職員を代表いたしまして、心より感謝申し上げます。
 本日晴れて卒業式を迎えられた二百三十七名の卒業生諸君、「心より卒業おめでとう」。諸君が、今、手にしている一枚の卒業証書は、辛いことや悲しいことを乗り越えて栃木県立真岡高等学校の三年間を立派にやり遂げた、その頑張りが、刻み込めれた栄光の印なのです。たった一枚の証書ですが、一言では言い表すことのできない万感の思いが込められているのです。
 
  卒業式にあたり、諸君に、お祝いと「はなむけ」の言葉を大きくわけて四つ述べたいと考えています。
 一つ目。諸君は、在学中、母校の創立百十周年記念式に際会するという幸運に恵まれ、さらに、創立百二十周に向けて新たな第一歩を校史にしるした栄誉ある卒業生あります。
 本校は、”至誠”を教育の基本精神とし、これまで二万三千五百二十四名の有為な人材を世に送り出して参りました。「人を欺かず、己を欺かず」「己が善と信じたことを実行する」という至誠の精神は、佐多万之進先生が主唱されて以来、星は移り、世は変わっても脈々と本校の教育の底に流れる精神です。この”至誠”の精神が、諸君が、これからも成長を続けるための精神的支えになることは間違いありません。
 いま、至誠の碑に固く誓った高校生活最後の日を迎え諸君は白布が丘の学び舎で過ごした日々を振り返り、万胸に迫るものがあると思います。これまでの三年間で学び体得された基礎・基本を基に、今後一層、「大きな人物なること」を期待しております。さらに、願わくは、「この白布が丘で育んだ友情」を、生涯の絆として、心豊か人生を歩んで行かれんことを希望するものであります。
 
 二つ目。卒業とは、「業を終わる」(高校の学問を終了する)ことではありますが、それはまた「新たな出発」であります。諸君の前には二十一世紀という前途洋洋たる世紀が開かれているのであります。               
 「未曽有の不景気」とか、「百年に一度といわれる大不況」(バーナンキは「百年に一度の金融危機」と言っています。これが事実です)などと我々国民をいたずらに意気消沈させる風評をたて、心情的に危機感をあおる傾向がありますがわたくしは、そのような傾向に与しません。
 近代日本を鳥瞰しただけでも、日本は、「現在進行中の不景気」より、はるかに深刻な不景気を克服して参りました。すなわち、①明治維新後の不況、②一九二九年前後の金融恐慌や世界恐慌、③太平洋戦争後の大不況を、生来の知恵や勤勉さなどを駆使して、見事に克服し、さらに発展してきたのであります。これはまぎれもない事実であります。
 これからの諸君には、日本の利益、つまり、国益を最優先しつつ、世界の中の日本という視点から、日本の利害のみで物事を判断するのではなく、広く国際的、あるいは地球的、全人類的視野の中で物事を考え、判断でき、実行できる「世界の中の日本人」としての高い識見と行動力を持つ人間になっていただきたいと強く望みます。
 そのような人間になるためには、当たり前のことを実行すればいいのです。一つは、「大学生になれば、学問にひたすら打ち込み、ほどほどに社会勉強することです。そして、社会人になれば、全力で仕事することです」。二つは「幅広く本を読み続けることです」。三つは、「小説『宮本武蔵』などで知られ、日本最高の勲章である文化勲章を受賞された作家の吉川英治さんは、小学校も中退せざるをえませんでしたが、「我以外皆我師」の精神を座右の銘に生きてこられました。すなわち三つは、「自分以外の全ての人や物から学ぶこと」です。
 
 三つ目。人々が、平和で幸せなくらしを送ることが出来る世の中を実現することは、若い諸君の双肩にかかっていると申しても過言ではありません。地球的規模で考察すると、今後とも地球には、戦争や紛争はなくならないと予想されます。
 しかし、戦後まもなく、アジアで初めて「自由で、法的には平等な国」を作り上げた我が国は、知恵や努力、才覚や工夫または運などにより、それこそいっぱい夢も希望も散らばっていると私は、確信しております。
 その具体例として、現熊本県知事の蒲島郁夫さんの話を紹介します。蒲島郁夫さんは、米が一年で約三百七十キロしかとれない田んぼをもつ貧しい十人家族で育ち、高校時代は勉強を一切しないので成績は二百二十人中二百番台。高校卒業後、農協に勤めるも二年で退職。しかし、彼には夢が三つありました。
 一つは小説家になること。二つは政治家になること。三つは牧場経営をすること。それを本気で信じていたことです。
 少年時代の夢を実現した点でトロイ遺跡を発掘したハインリヒ・シュリーマンに似ています。高卒後、農協職員になり、「派遣農業研修生プログラム」に応募し、二十一歳でアメリカに渡り、アメリカの農業を勉強し、農奴のような過酷な労働をしつつ、ネブラスカ大学に入学、「豚の精子の保存法」で認められましたが、小さい頃の夢であった政治家を捨てがたく、大学を辞めて、「政治学の分野で有名なハーバード大学の大学院」へ進学し、そこで博士号を取得。帰国後、筑波大学教授、そして一九九七年から東京大学法学部教授、二〇〇八年には熊本県知事になり現在に至っています。
 私が、三つ目で、諸君に最も伝えたかったことは、「逆境こそが人生の成功の鍵」になるということです。

  四つ目。人間は一人では生きていくことはできません。周囲の方々のお陰で、諸君はこれまで成長することができたのです。四つ目の「はなむけ」の言葉として、お世話なった方々へ「感謝」ができる人間になって欲しい、ということです。たとえば、今日のうちに、お父さんやお母さん、そして先生方やこれまで沢山お世話になった方々に、自分の言葉で、「心からありがとうございました」とお礼を言って欲しいのす。
 人は「ありがとう」の数だけ賢くなり、「ごめんなさい」の数だけ優しくなり、「さようなら」の数だけ「愛」を知るものだと、言われます。
 
  結びに、われわれ教職員一同は、これまで全力を傾注して諸君の指導にあたり、また、共に学んで参りました。いよいよ別れの日を迎え、一抹の寂しさを禁じえません。
 しかし、私たちは、前途有為な諸君を自らの手で育てる手伝いができたという確かな手応えを感じつつ、優秀な諸君とともに三年間同じ白布が丘で過ごせることができたことに感謝しつつ、諸君を送り出すことができます。
 卒業生諸君、どうか自重自愛されて、「古き歴史に新しき光」を添えることができる広い視野を持つ大きな人物になって下さい。
 諸君の前途洋洋として、幸多かれことを祈って式辞といたします。
      
 平成二十二年三月二日
                                     栃木県立真岡高等学校長
                                                                上 岡   健