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校長室より(New!)
日常のささやかな営みの価値 ~修業式放送講話~
皆さんが、元気に登校してくれて、とてもうれしく思います。突然の休校から3週間が経ちました。その間、どのように過ごしていたでしょうか。おそらく、地道に課題に取り組むなど、一人一人が「自彊力」を発揮し、自学自習に励んでくれたことと思います。
こうした中で、高校英語ディベート部がパーラメンタリーディベートの全国大会で3位という見事な成績を残してくれました。ウイルス感染対策のため、オンライン対戦による全国大会でした。この困難な状況の中で手にした成果であるだけに価値の高いものだと思います。
さて、臨時休校に入り、皆さんの中には、最初のうちは、授業や予習復習といった日々の活動から解き放たれたという開放感を感じた人も少なからずいたのではないかと思います。しかし休みが長くなると、おそらく、「早くみんなにあいたい」「授業を受けたい」「部活やりたーい!」と感じていた人が多いのではないでしょうか。
友人との語らい、授業、部活動・・・。こうした日常の日々は、普段は、特に努力しなくても自然に手に入るもののように感じています。しかし、一端失われてみると、それらの日々や、触れあう相手の存在が、いかに貴重なものであるかを思い知らされます。この臨時休校は、そうした「日常」の持つ、かけがえのない価値を再認識する期間でもあったのではないかと思います。
この期間中、新聞に、ある中学生の投稿記事を見つけました。次のようなものでした。
(無料配信される映像授業や友人とのメールなどによって)学校ですることが家で個人でもできるなら、わざわざ通学する意味は何だろう。今、学校生活と大きく違うのは、「嫌い」なものに触れなくなった点だ。学校に行けば、苦手な人と顔を合わせ、嫌いな教科も学び、時に退屈な時間を過ごすこともある。でもその苦みや雑味も含めた日々は何にも代え難い味わいがある。・・・騒がしくて息苦しいほどのあの日々が愛おしく、また、今を少しもの足りなく思っている。
(「休校で気づいた学校に行く意味」3月20日 朝日新聞「声」欄より)
この中学生が言うように、メディアやネット環境は、私たちにたくさんの貴重な情報を提供してくれており、私たちには選択の自由が与えられていますが、私たちはどうしても、自分にとって心地の良い情報や、刺激的な情報を選択しがちです。特にネット環境では、閲覧や通販利用の履歴などを元に、一人一人にとって心地の良い情報が優先的に提供されます。その結果、私たちの思考や判断は、正確さを欠いたり、偏りを見せたり、自己中心的なものになったりする危険性を孕みます。
これからの情報化社会に生きる皆さんは、そうした可能性を認識しつつ、上手に活用して知識を増やし、主体的・客観的に判断する力を身につけていく必要があるのだと思います。
さて今、私たちは新型コロナウイルスへの不安にさらされています。『サピエンス全史』の作者ユヴァル・ノア・ハラリによれば、人類の歴史は、戦争と飢餓と、そして伝染病の克服の歴史でありました。かつては、ペストや天然痘に対して人類は無力でしたし、数十年前まで結核は脅威でしたが、私たちは既にそれらの困難のほとんどを乗り越えています。私たちは間違いなく、この新たなウイルスの脅威にも打ち勝つでしょう。
明日から春休みに入ります。引き続き、「やらされる」のではなく、自分で自分の心と体を鍛える機会、つまり「自彊力」を高める機会と捉えてください。密集集団、密閉空間、密接な接触を避けて感染予防に努めつつ、一人ひとりが学校の再開へ向けての万全の準備を整えてください。
そして新年度、学校が再開されたら、その日常のささやかな営みの一つ一つを大切にし、自分の可能性を思いのままに伸ばしてください。どのような困難の中でも成長を止めない皆さんを信じています。
春休みもそして新年度も、元気で過ごしください。
(3月24日 分散修業式 放送による講話)
正・剛・寛の意味するところ ~卒業生に贈る~
「正」も「剛」も、もちろん大切だが、特に「寛」はおもしろしくて、世の中にある、強くも正しくもないものに関して、その人が何処まで寛容でいられるか、寛い心でものを見るかという、ものの見方のポイントになる。
門井さんのこの「寛」に対する考え方は、いわゆる「寛容のパラドックス」に通じるものです。それは、
「『寛容』は、『不寛容』に対して『寛容』たり得るか、という逆説を孕んでいる」ということです。
もう少し具体的に言うと、例えば
「『平和主義』は、平和を脅かす『暴力』に対して、本当に『平和主義』を貫けるのか」
ということです。あるいは例えば
「『言論の自由』は、言論を弾圧する発言に対して、『言論の自由』を保障することはできないのではないか」
ということ、これが「寛容のパラドックス」です。
今後、国際化の進展やAIあるいは生命科学の革新などが、私たちの社会に新たな地平を拓くでしょう。一方で、国際化に伴い、異文化の間の軋轢は今よりも増加し、科学の発達は、私たちに人間そのものを問うような課題や判断を突きつけるでしょう。
自分の価値観と異なる存在や、未知の存在に対して、どのように向き合うのかということが問われる時代になるのだろうと思います。そのとき、短絡的に思考停止に向かうのではなく、粘り強く課題と向き合い、よりよい解決策を探し、的確な判断を下せる存在であってほしいと思います。そして見通すことの難しい未来を、不安視するのではなく、「わくわく」して迎えてください。 (附属中学校卒業式式辞より)
高校生活への思い ~高校合格発表風景~
午後は、附属中学校の3年生の生徒が来校し、休校中の学習課題を提出するとともに、入学関係書類と新たな課題を受け取りました。中には、学生服の金ボタンを買い求める男子生徒もおり、憧れの高校生活に思いを馳せていました。
握手の代わりに 部活動の卒業式
それでも、在校生からのメッセージや記念品は、顧問の先生を通じて卒業生に届けられました。在校生の思いは、先輩にしっかりと伝わっているはずです。
卒業生のみなさん。この状況が収束し、大学等での生活に慣れたら、後輩たちの練習を見に来てください。
Yes, Virginia, there is a Santa Claus. ~卒業生に向けて~
今年は、整備委員会によって、昇降口の花壇にクリスマスツリーが飾られた。私は、そのツリーを見ながら、子ども時代の懐かしい思い出や、自分の子どもに買ってあげたクリスマスプレゼントのことなどを思い出していたのだが、ふと、20年ほど前に同僚が電話で受けた県民からのある質問を思い出した。
「サンタクロースは本当はいないのだということを、子どもに、いつ頃どのように教えたら良いでしょうか?」
そのとき、その同僚がどのような回答をしたかはよく覚えていないが、「特に教える必要はなく、自然にわかるようになります。」といった回答をしたように思う。ただ、回答の参考にしたものとして私に教えてくれた資料についてはよく覚えている。Virginiaという8才の少女から「Please tell me the truth, is there a Santa Claus? (本当のことを教えてください。サンタクロースはいるのですか?)」という質問を受けたアメリカの新聞社は、「社説」で答えた。次の一節はその一部である。
Yes, Virginia, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy.
(そう、バージニア、サンタクロースはいます。彼は、愛情や、寛大や、献身が確かに存在するのと同じように存在するのです。あなたは、それらが溢れるほどにあって、あなたの人生に最高の美しさと喜びを与えるのだということを知っているでしょう。)
そういえば、『星の王子さま』の中で、サン=テグジュペリは、狐に「いちばんたいせつなことは、目に見えない」と語らせていた。
愛情、寛大、献身、尊敬、信頼、絆、縁、命・・・。そういったものは、確かに目に見えない。しかし、目に見えるもの以上の価値をもって、確かに存在している。
言うまでもなく、私はここで、宗教的なことやスピリチュアルなことを言おうとしているのではない。あるいは、知性に感性が優越するということを言おうとしているわけでもない。
むしろ、人間の歴史は、見えないものを見ようとする歴史である。
好奇心の源は、見えていないものを見たいという思いである。
他者との相互理解は、互いに見えていなかったものを見えるようにしたときに進展する。
そして私たちの社会生活の多くの部分は、業績、数値、地位、条文といった、誰の目にも見えるように変換されたものによって支えられている。
このように、私たち人類(ホモサピエンス)は、「見えないものを見ようとする動物である」とも言えるだろう。比喩的に言えば、人間は「火を使う猿」である以上に、「望遠鏡を覗く猿」、あるいは「算盤を弾く猿」なのであろう。
しかし、人間の知性は万能ではない。その限界を知ることも、健全な知性にとっては大切なことである。
試みに、「現時点での」という条件を付けてみよう。「現時点での知性に見えないものは存在しない」という認識が、偏りを持つものであることが明確にわかるだろう。ウイルスも、ブラックホールも、かつての私たちの目には見えないものであった。傲慢な知性は、危険であるだけではなく、知性自身の目も曇らせる。
黄熱病の研究に心血を注いだ野口英世ですら、黄熱病の病原体を発見したと思い込んだまま、皮肉にもその黄熱病に倒れている。当時、電子顕微鏡は存在せず、黄熱病のウイルスは、野口英世の持っていた光学顕微鏡では決して見ることのできないものであった。
高校卒業後の人生の多くの時間が、目に見えるものとの関わり、あるいは、目に見えないものを目に見える存在とするための営みに費やされることだろう。そのとき、目に見えないものを見ようとしつつ、目に見えないものの存在する可能性に思いを馳せて欲しいと思う。
そして、目に見えるものだけに目を奪われるのではなく、目に見えないものの持つかけがえのない価値に、思いを致して欲しいと思う。
(PTA会報 95号より)
生徒の皆さんへ 校長からのメッセージ
また、部活動等の先輩方へのメッセージなど、ありがとう。顧問の先生を通じて確かに先輩に手渡しました。
さて、既にお知らせしたとおり、県教育委員会からの通知を受け、本校も本日から当分の間休校となります。
休校という措置にはなりましたが、授業や部活動や特別活動を休止するということであって、宇都宮東高校及び附属中学校が教育活動を停止するということではありません。別な言い方をすれば、皆さんの学びが停止するわけではないということです。
いわば、宇東は今も「営業中」なのです。
本校の最も大切なスローガンの一つが、「自彊不息」です。本校の自習室は「自彊室」であり、本校の合宿所は「自彊寮」であり、中学校の学校裁量時間も「自彊タイム」、高校の特別学習の期間も「自彊期間」、進路資料の名も『自彊不息の記』です。そして、校長室には宇野哲人氏の筆による「自彊不息」の額があり、私はそれをを背に執務しています。
「自彊不息」は、「自ら彊(つと)めて息(や)まず」と訓読し、「自分から進んで一所懸命に努め励み、それを怠らずにひたすら継続していくこと」という意味です。
こうしたときこそ、皆さんの「自彊力」即ち、自己教育力とセルフコントロール力が試されるときです。そして、それを鍛えるべき機会です。
諸注意をよく守り、HPや連絡メールで学校から発出される課題やお知らせに注意し、自学自習に励んでください。わからない点、あるいは迷いや不安が生じたときは、担任の先生などに遠慮なく連絡してください。スクールカウンセラーも、通常通り来校予定です。
宇東はずっと「営業中」です。
正解のない全員討論会 ~中学1年人権教育~
さすがに学年全員での討論は初めてなので、最初は緊張が目立っていた生徒たちですが、次第に議論は熱を帯び、最後は、発言を求めるたくさん手が挙がっている状態でTime upとなりました。
おそらく、自分の発言が許容され、話題にされ、次の発言を生んでいく素材として尊重されるこの空間が、そのような議論を生むのだと思います。そして人権感覚は、用意された正解のないこのような学びの中でこそ、錬磨されていくのだと感じました。
世界を見つめることは自分を見つめること~高1 総合的な探究の時間Ⅵ~
学年発表会に選出された8人の発表は、それぞれが広い視野を持ちつつ長いスパンでものを考えていることがわかるものでした。
世界を見つめることは自分を見つめることです。それは、SDGsの17のゴールのいずれを選択するかが一人一人の興味・関心・進路に関わる、ということだけを意味するものではありません。同じゴールを探究課題に選んだとしても、一人一人の興味・関心・進路に即して、多様な過程が存在します。大まかに分けただけでも、自然科学的アプローチ、社会科学的アプローチ、人文科学的アプローチがあります。自分がどのような過程を踏むのかを自分自身で捉えることによって、自分の適性や、関心の方向、あるいは、今の時点で足りないものなどがより鮮明に見えてくるはずです。
コンピュータトラブルにも自分たちで対応
堂々たるプレゼン
壁際には見学の先生方や後輩がぎっしり
英語力そして・・・ ~高校英語ディベート部 HPDU県大会優勝~
1月26日(日)本校を会場として開催された第9回日本高校生パーラメンタリーディベート連盟杯栃木県大会で、「宇東A」チームが見事優勝を飾りました。先日開催された第11回D1英語ディベート選手権大会に続いての本校生チームの優勝です。そのD1英語ディベート全国大会優勝校である宇高が出場した大会であるだけに、この優勝は価値あるものだと思います。
この競技は、高い英語力だけでは到底勝ち抜くことのできない競技なのだと感じました。社会への深い関心、論理的思考力、表現力、闘争心、集中力、そして・・・チームワーク。おそらくは、そうしたものの総体としての競技力なのだろうと思います。
全国大会の大舞台でも、遺憾なくその力を発揮できますように。
質問する宇東A 宇東Aのスピーチ
宇東Bも熱弁 宇東Bの質問
社会で働くとは・・ ~中2社会体験学習発表会~
1月21日(火)、中学2年生が、事業所の方々、保護者の皆様、そして後輩の中学1年を前に、社会体験学習の発表を行いました。
その発表からは、この体験が単なる労働体験に終わらず、働くことの意味、社会の仕組み、その職業の特性などについて知り、自分の将来や適性について考えるきっかけにもなっていたことが感じられました。その点では、高等学校普通科におけるインターンシップにも類似した意味を持つ体験学習なのかもしれません。
同様の意識が1年生の質問からも感じられました。こうした発表会の意義は、「体験の意義を自ら考える」ことに加え、「先輩の体験を教材として学ぶ」ところにもあるのだと思います。
ご多忙の中、御来校くださり生徒たちにお声がけくださった事業所の方々、保護者の皆様に改めて御礼申しあげます。
「正剛寛」に送られて ~高3 センター試験に挑戦~
生徒たちは、「正剛寛」の旗に送られ、気力に満ちた表情で、試験会場に入っていきました。皆さんの実力が十分に発揮され、一人一人の志望が実現しますように。
個人から集団へ ~高1 総合的な探究の時間Ⅴ クラス内発表会~
14日(火)と21日(火)は、クラス内での発表会でした。おそらく、こうして練り上げられ共有された探究の成果は、互いにとっての教師であり、教材となるはずです。
1学年全体での発表会は、1月31日(金)の6~7時間目になります。今からとても楽しみです。
究めていく方向 ~高1 総合的な探究の時間Ⅳ グループ別発表会~
そのグループ別発表会が、24日の7限目にありました。自分の興味のありかと、その進むべき方向性を、お互いに懸命に伝えようとしていました。
静かな静かなビブリオバトル ~高1国語~
高1の国語の授業で、「BibIi王」決定戦が行われました。
2クラス合同の授業に組み直し、生徒80人がお互いの書いてきた「本の紹介文」を評価し合う学習です。ただ、通常のような、グループ内のビブリオバトルの勝者がクラス全体の前で競うといった、賑やかなものではありませんでした。2クラスの生たち全員の紹介文が並べられた机の間を、静かに移動しながら、紹介されている本を読みたくなったものに「いいね!」シールを張っていく、というものです。
その静かな空間に、音声言語はありません。生徒たちの紡ぎ出した上質の言葉たちが静かに交流していました。
レビューや帯に相当する紹介文は「実用文」です。今回の授業は、魅力的な実用文を「書く」学習指導と読書指導とを融合させたものと言えるでしょう。
しかも、課題の対象となる本は、生徒たちがいつも読んでいるような「小説」や「物語」ではありあません。新書などの評論や学術書が対象です。こうした学びがやがて、自分の興味・関心や進路に応じた読書習慣を作り、深くて広い学びに発展していくでしょう。
こうした意図こそ、国語学習の枠を超えて、各教科の学びや「総合的な探究の時間」、さらには進路学習にもつながるカリキュラム・マネッジメントなのです。
授業の実際
打ち出づる調べ ~県アンサンブルコンテスト~
結果は銅賞でしたが、4人の演奏者の打ち出す音のハーモニーは、県央地区の代表に相応しい演奏だったと思います。その音からはそれだけの練習の厚みが感じられました。
それぞれの感性を ~栃木県高等学校美術展・デザイン展~
残念ながら入賞はかないませんでしたが、それぞれの感性や思いを形にしようとしてきた軌跡が感じ取れる作品ばかりでした。
(手前の少女の彫塑は本校生の作品)
学びの杜にて ~高校理科部ボランティア~
和の調べに惹かれて ~ふれあい文化教室~
詳しくはこちらのぺージへ
家族の思いを知る ~いのちの授業~
「被害者にも加害者にもならないこと」の大切さを、一人一人が改めて実感することができたと思います。
パート毎にハーモニー ~アンサンブルコンテスト~
その中で、高校の打楽器四重奏が金賞を獲得し、12月22日(日)に芳賀町民会館大ホールで開かれる県のアンサンブルコンテストに出場します。日頃の練習の成果を発揮して息の合った演奏を期待します。
(写真は、12月8日(日)県教育会館での予選の演奏を終えた中学パーカッションチームです。)
師走の朝の声かけ ~交通安全~
今回から立哨箇所が倍に増えました。様々なところに潜む隠れた危険にも気づいてもらえたと思います。
一期一会の日々 ~中学校 修学旅行~
中学校3年生の生徒たちは、11月12日からの3泊4日の修学旅行で、様々なものと出会い様々なことを発見しました。そのかけがえのない体験は、一人一人の心に鮮明に刻まれていると思います。
原爆資料館から出たときの風景が貴重な存在に感じられたこと。
船上で夕日を浴びる友達の笑顔が不思議な色に輝いていたたこと。
甍の向こうに広がる冬空が抜けるように美しかったこと。
深く穿たれた奈良の御仏の瞳がとてもやさしく感じられたこと。
おせんべいを求めて寄ってくる鹿がなんだかくすぐったかったこと。
朱塗りの柱の向こうで手を合わせる友人の祈りの真剣さにハッと胸を突かれたこと。
参道の土産物屋はちょっと覗くだけでもワクワクしたこと。
皆で食べるお好み焼きやお鍋、そして皆で入るお風呂がとても楽しかったこと・・・など、
いつまでも、いつまでも忘れないでください。
思考する・言語化する・共有する ~高等学校の授業から~
授業の最初に予習を相互確認。「プチ反転授業」(国語)。
校内球技大会さながらのテンションで!(体育)
同じ日本文について、三人の英作文を比較する。
ルーブリックで相互採点(英語)。
言語化して数学的思考を確認。
丁寧な机間指導。(数学)。
授業が終わっても個別に質問。(数学)。
作品の構造を論理的に分析・・・これも「鑑賞」の一つ。(音楽)
これが「波」だ!(物理)
遺伝子は見えるかな?
早くなった脈も自然に落ち着いてくるはず。(生物)
電池の種類で起電力がこんなに違う。(化学)
「これでいいかな?」「いや、この構造がないとその性質は生まれないだろう」(化学)
英語で主張をスピーチ。
先生のOKが出たら彫り始め!(書道・篆刻)
Play ball ! 遊ぼ! ボールで。 ~中学校校内球技大会~
Play ball !
は、「ボールと戯れる」のではなく、「ボールで仲間と戯れる」という意味なのだろうと思います。一日中、ボールで仲間と戯れる生徒たちを見ていると、
遊びをせむとや生まれけむ
戯れせむとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそ揺るがるれ
という古歌を思い出します。
そういえば、久しぶりにドッジボールの試合を見ました。実はこんなに迫力満点の競技であったことを、3年男子の試合などを見ていて感じました。
半世紀近く前、かつて自分も、昼休みの校庭などで皆と思い切り遊んだことを思い出しました。
花壇も冬の装い ~整備委員会~
整備委員によって、昇降口前の花壇が、パンジーに植え替えられました。彩りの少ない冬の学校を飾ってくれるでしょう。
その植え替えが終了すると、クリスマスツリーが飾られました。整備委員からの素敵なギフトです。
「緋雨」に濡れて ~栃木県学校演劇祭~
県大会でも、安易に予定調和に終えることなく、問い続ける劇を演じきりました。
キャッチコピー作りに挑戦 ~高校1年生がNIE~
10月8日(火)に、本校の高校1年生は、電通の野澤クリエイティブ・ディレクターを特別講師に迎え、新聞広告のキャッチコピーを作る授業を受けました。このように、新聞を素材に展開する教育をNIE(Newspaper in Education)と言います。(8月1日、2日には宇都宮市でその全国大会が開かれました。)
さて、8日の本校でのNIEは、国語の授業として実施されました。現行の学習指導要領においても実用文を用いた言語活動が求められており、次期の学習指導要領ではその一層の拡充が求められていますが、現実の授業では広がりを見せていません。その原因の一つが、実用文を用いた学習が資料からの情報の取り出しと整理に止まっており、解釈を戦わせたり、価値ある言葉を創出したりするようなワクワクした授業が構想されていないためだと考えられます。
しかし、実用文には、「実の場で言葉の力が働く」「伝達の目的や伝達したい相手が明確である」といった、教材としての魅力があることも確かです。読書指導の一環として行われているビブリオバトルや、ポップ作り・帯作り等の学習が魅力的であることからもそれは裏付けられるでしょう。今回の新聞広告のキャッチコピー作りは、国語学習の魅力の幅を広げる試みでもありました。
生徒の作ったキャッチコピーは、授業の詳細とともに、10月20日の下野新聞に掲載されました。生徒たちの瑞々しい言語感覚が言葉となってほとばしり出ています。
三本の矢で ~中学校新人戦県大会観戦記~
中学校の県新人大会の応援に行きました。
私が観戦した弓道には団体戦と個人戦がありますが、個人戦でも3人のチームとなって、一人8本の矢を射ます。一射一射に心を込めるためには、一人一人が集中を高めるとともに、三人の集中が相互の集中を高めて「三本の矢」となる必要があるのだと感じました。
初任者に学ぶ ~高校地歴公民科初任研、本校会場で実施~
地歴公民科の初任者研修が、本校を会場として実施されました。3限目の研究授業は、高校3年生の「政治経済」で、「人権保障の基本原理」の単元でした。複数の事例を用いて、誰にでも保障されている人権についての生徒の気づきを促し、それを「倫理」で学習した知識や憲法、法律の在り方につなげていこうとする挑戦的な授業でした。
研究授業には、ご指導に当たられた県教委高校教育課・県総合教育センターの指導主事の先生方や、他校の初任者、本校の地歴公民科の先生方はもちろんですが、本校の附属中学校、高校の他教科の先生方も多数参観し、社会科教室とその隣接する廊下は、熱意ある先生方で溢れました。若い先生を育てようとする意識とともに、自分より遙かに経験の少ない先生の授業からも何かを得ようとする、本校教師陣の貪欲な向上心を感じさせる風景でした。
考える道徳へⅢ 中学校道徳授業づくり研究会
10月16日の第4回研究会は、県教委義務教育課から指導主事をお招きしての「要請訪問(校内道徳教育研修会=公式学校行事)」として実施されました。今年度の研究のメインとなる一日です。6限目の研究授業には、高校の先生方も多数参観していました。続いて開かれた授業研究会では、全員で授業を振り返るとともに、義務教育課青木副主幹から講評をいただきました。
今回の研究会を通じて、道徳に限らず、そもそも「授業」というものは、リピート可能な伝達内容の塊ではなく、その教室毎に生成される、素敵な「一回性の出来事」であるのだということを痛感しました。
考える道徳へⅡ 中学校道徳授業づくり研究会
校内の自主的研究集団「中学校道徳授業づくり研究会」の第3回研究会が、10月9日に開かれました。4時間目に授業、放課後にリフレクションという密度の濃い研究会でした。教科としての道徳を持たない高校の先生方も、数多く参加していました。
「考え、議論する道徳」では、教師は、「指導者」というよりもファシリテータに近い役割を担います。おそらく、同じ学習指導案で授業をしても、クラスによっては相当に違った授業展開になるでしょう。
放課後のリフレクションでは、先生方は、板書等に残された生徒の発言記録を振り返りながら、生徒たちの議論の流れを捉え直していました。
こうした研究会を通じて得たことを、早速、自分の授業の一部に取り入れる試みをしている高校の先生もいます。
生徒たちの学び合いへの視線が、中・高の枠を超えた教師たちの活発な学び合いを生んでいます。
すぐ隣に潜む危機 ~防災避難訓練~
高3の防災委員長も、謝辞の中で台風被害に触れていましたが、今回の災害では、危機が日常のすぐ隣に潜んでいることを改めて知らされました。
こうした避難訓練を通して、日頃から自分の問題として危機意識を持つことが、いざというときに適切な行動をとるために大切なことなのだと感じました。
令和元年度 とちぎ教育賞表彰式
本年度は、「ものつくり教育」に関する長年の功績が認められ、本校技術家庭科の斎藤先生が受賞者の一人に選ばれました。先生は、長年にわたりロボコン研究会の活躍を支えてくださっています。創造アイデアロボットコンテストでは、10年連続全国大会出場、その間3度の全国優勝を果たすなどの輝かしい実績を残せているのも、ご指導の成果だと思います。
ロボコン研究会、今年度も全国を目指して頑張ります!
教えることの難しさと喜び ~高校生教育実習~
実習の最終日であった10月3日は、授業見学に加え、指導助手を体験し、中には授業の一部を任された生徒もいました。「教える」という初めての体験に戸惑っていたようですが、他者に「教える」ということが主体的学びにつながるということは、教師である私たち自身がよく知っています。中学生にとっても、そうした先輩方の姿に学ぶところが多かったはずです。
リスクマネッジメントを自分の問題として ~危機管理に関する校内研修~
わたしたち教師の務めの基本は、「生徒たちの安全・安心を守り、良質な教育を受けさせること」です。本年度の重点目標の一つに「安全性の確保の上に立った基本的生活習慣の確立と学校行事・部活動等の活性化」を掲げ、既に、危機管理マニュアルの見直し等に努めているのも、こうした認識によるものです。
ただ、学校行事・部活動に限らず、そもそも、教育という行為自体が「昨日はできなかったことを明日できるようにする」あるいは「今まで触れたことの無い世界を体験させる」という営みですから、そこには常にリスクがつきまといます。
10月2日の午後、学校安全課主催の「危機管理に関する校内研修」を実施しました。県総合教育センター研修部のお二人の指導主事には、ファシリテータとしてワークショップ型の研修を展開していただきました。本校の中・高教員のほぼ全員が参加し、ポストイットを用いて、身の回りにあるリスクを拾い出し、その分析を行い、対応について考えました。また、学校安全課の学校安全担当課長補佐がご来校になり、安全指導体制や防災体制のチェックをしてくださいました。
制度の整備に努めるとともに、正常性バイアスの陥穽に陥らぬよう、一人一人が意識を高く保ち続けたいと思います。
疑問が交流を、交流が新たな疑問を生む授業 ~中学校授業参観~
全員への机間巡視は、少人数学習ならでは。(数学)
プログラミングしたように、実際に動いてみる。(技術・家庭)
ペアでの交流は中核的形態の一つです。(英語)
グループで話し合い、「コの字」型で話し合い、全体で話し合い・・・(社会)
手羽先の皮をめくれば、関節と筋肉の関係が見える。(理科)
3つの考え方を巡って、授業中から討論。授業が終わってもまだ討論。(数学)
幅跳びは、「遠くへ」というより「上へ」の意識。(保健体育)
どうすればバトンパスでタイムを縮められるだろう?やってみよう!(保健体育)
激闘の果て ~宇東高水球部 国体1回戦~
見事先取点を奪ったのは栃木でした。その後3-3に追いつかれましたが、連続得点で6-3とリードした場面もありました。しかし沖縄も必死に追い上げ、同点で後半へ。後半は、沖縄のミスが減りシュートの精度も上がり、一時は3点差まで差広げられました。しかし、栃木は執念のシュートを決めて12-13。最後は、キーパーまで加わった全員攻撃を仕掛け、残り数秒で同点を狙ったシュートを放ちました。が、阻まれ、ゲームセット。
勝利を手にすることはできませんでしたが、強豪県と互角に渡り合った選手諸君の実力と、最後までシュートを放ち続けた精神力と、勝利を目指してパスをつなぎ合った団結力は、この試合で証明されました。
それらを宇東の財産として新チームに継承し、さらなる飛躍につなげて欲しいと思います。
思考を伝える ~高1 総合的な探究の時間Ⅲ 中間発表~
自分の発見した課題、その課題のもつ意味の重さ、これからの探究の方向性などを理解してもらおうと、懸命に考えを伝えていました。その問題意識の意味するところに、聞く側の生徒も真摯に耳を傾けて関心を寄せていました。
道具を操る手 ~ロボコン研究会 ロボット製作中~
ものを作ること、道具を操ることは、人間(ホモサピエンス)の本質的特性です。工具を操って材料を加工し、メカに仕上げていくロボット作り。その課題解決のプロセスに、工夫があり、思考があり、喜びがあり、したがって成長があるのだと思います。
小学生のロールモデルとして ~宇東附属中学校 学校見学会~
生徒諸君の姿自体が、小学生の良きロールモデルとして、ご来校の皆様にとっての最良の見学内容だったのではないかと思います。
確かな第一歩 ~高校野球秋季大会~
夏の大会の記憶もまださほど遠くない9月7日、硬式野球の経験が少ない生徒も含む新チームは、初めての公式戦である秋季大会に臨みました。初戦の相手は私立強豪校。苦戦は覚悟していましたが、予想以上の厳しい展開となり、コールドで敗退しました。
ただ、「若い」チームがその第一歩を踏み出したのは確かです。この試合を糧として、互いに励まし会いながら苦境を力強く乗り越えていくチームへと成長して欲しいと思います。
考える道徳へ ~「中学校道徳授業づくり研究会」始動~
リフレクションでは、生徒たちの発言する姿が記録された授業ビデオを見ながら、生徒の発言の意図を、参加者全員で推測しました。
プロセスを重視するのは、道徳だけでなく、新教育課程全体の特徴でもあります。道徳の授業の無い高校の先生方も多数参加し、熱心に討議していました。
厚くて暑くて熱い戦い ~高等学校球技大会~
9月6日、台風が連れてきた熱波の中で、高校の球技大会が開催され、生徒たちは、サッカー、バスケットボール、バレーボール、卓球の各競技で競い合いました。
競技によっては、1、2年生が優勝するなど頑張りましたが、総合順位では1位、2位、4位、5位が3年生というように、今年も3年生が上位を占めました。
この夏空は、今年最後の夏空かもしれません。秋の空とともに、生徒諸君とって、特に3生にとっての「充実の秋」がやってきます。
新たな碑(いしぶみ)を ~水球部国体出場壮行会~
人は移ろいやすい記憶を永遠にとどめるために、記録を石に刻みます。
「栃の葉国体」のときには、本校水球部が、見事全国制覇し、地元開催の国体に花を添えました。本校プールの東側にある碑には、「第33回国民体育大会 栃の葉国体夏季大会水球競技 優勝記念 昭和55年9月10日」の文字とともに、2名の教師と9名の選手の名が刻まれ、その栄光を永遠に称えています。
この度、宇東高水球部が、39年ぶりの国体出場を決めてくれました。9月13日からの茨城国体にて、再び諸君の名を刻むべく、全力を尽くして欲しいと思います。
ポセイドンの神が諸君とともにあらんことを。
予選の状況はこちら
多様な花々、咲き誇る ~宇東祭閉幕~
金曜日のオープニングイベントと土曜日の一般公開。二日間の「宇東祭」の特徴が、「多様性」「ダイバーシティー」「百花繚乱」にあるのだということを改めて実感しました。二日目の一般公開には、今年度も、2800人に迫るたくさんのお客様がご来校くださいました。
生徒諸君が「お も て な し」の精神をもって準備し、そしてお客様に接してくれたことの証だと思います。特に、実行委員、生徒会役員の皆さん、お疲れ様でした。そのほか、ご指導くださった先生方、PTA、同窓会の関係者の皆様、そして宇東祭を支えてくださったすべての皆様に感謝申し上げます。
打ち上げ花火が消えた後の夜空には、いつも通りの星空が現れます。パレードが通り過ぎた後の大通りには、車や人並みが戻ってきます。同じように、皆さんの日常も戻ってきます。二日間のお祭りが、皆さんのこれからの日々に元気と潤いとをもたらすことを信じています。
伝統の継承と、新時代への視線と ~宇東祭開幕~
令和元年度 宇東祭 オープニングイベント
男子高校としての半世紀の伝統を受け継ぎ、公立の中高一貫共学校として誕生して以来、本校では、中・高二つの学校文化が、その多様性を尊重しつつ刺激し合い、独自の中高一貫教育校文化を創出してきました。
多様な文化の咲き乱れる「宇東祭」もまた、「平成」から「令和」へと継続し、進化を続けます。
そのとき、生徒たちの視線は、あやまたず未来を見据えているはずです。
去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの 虚子
(宇東祭 パンフレット より)
年齢・校種を超えたハーモニー ~県合唱コンクール~
それでも生徒たちは、年齢・校種を超えた美しいハーモニーを聞かせてくれました。
一人の研究者として ~宇大iP-U開講式~
開講式の代表生徒挨拶には「これが自分の研究者としての第一歩である」という意識の高さがあり、「その意気や良し」と感じました。
全員が「学ぶ」だけの存在ではなく、「探究する」存在としてこの事業に臨んで欲しいと思います。
科学的に考える ~科学の甲子園ジュニア県予選~
全国の強豪相手に鎬を削る ~水球ジュニアオリンピック~
奇しくも同じ京都で高P連の全国大会が開催されていました。1戦目と2戦目は、ちょうど研修の始まる前の時間だったので、水球部OBである滝田会長とともに応援に行って参りました。
初戦は、実力を発揮し、10-1で快勝。2戦目の相手は、大阪の強豪チームです。第1ピリオドから第4ピリオドまで、常に同点もしくは1点差という文字通りのシーソーゲームでした。結局、同点から最後に1点を決められて6-7の敗戦。強いチームを相手に勝ち切ることの難しさを実感させられた試合でした。
3戦目は時間が合わずに観戦できませんでしたが、この試合も9-10の惜敗でした。結局頂点に駆け上がることはかないませんでした。それでも、全国の強豪相手に鎬を削る好試合が展開できたことは、この上ない財産です。それを誇りとし、今後の精進につなげて欲しいと思います。
全国高P連京都大会に参加して参りました。
初日、私は第3分科会(パネルディスカッション)に参加しました。テーマは、「すぐそこの未来のしごと ~ともに考えるSociety5.0において求められる人物像、学びの在り方~」です。パネリストによって示された、家電製品の移り変わりのグラフからは、改めて、技術革新の早さというものを否応なく突きつけられ、教育がコンテンツベースからコンピテンシーベースに、換言すれば、認知能力一辺倒から非認知能力重視に変わらねばならい理由を実感させられました。
二日目のメインは、日本電産の創業者である永守会長の講演でした。永守氏は、京都先端科学大学を運営する団体の理事長でもあります。その情熱と、関西弁による軽妙な語りに、最後まで魅了されました。
世界は文字でできている ~書道部「東鷹展」より~
8月9日(金)~11日(日)の三日間、県総合文化センター第3ギャラリーにて、宇都宮東高校(および同附属中学校)の書道部展である伝統の「東鷹展」が開催されました。リニューアル成った県総文センターギャラリーの「こけら落とし」となる展覧会でもありました。
書道作品というと、白と黒とのモノトーンの世界のように思われがちですが、そこにあったのは臨書の大作、篆刻、連綿の仮名書、ポップスの歌詞など「百花繚乱」の文字たちでした。
特に面白かったのは、書道部員たちによる合作の作品群でした。平成の流行語を集めた作品、大化から令和までのすべての元号を並べた「元号」、そして、元素の周期表を漢字で表現した「漢字周期表」。
世界は、言葉(=概念)でできているんだった・・・。そんな当たり前のことを、生徒たちの作品は気づかせてくれました。
きらびやかな舞台、再び ~宇東附中吹奏楽部 県コンクール~
やはり、高校生の演奏と同様に、舞台上の舞踏を彷彿とさせる立派な演奏でした。審査結果は銀賞でしたが、経験の浅い1年生を数多く含むこのチームで、よくぞここまで洗練度の高い音楽を作り上げたと思います。お疲れ様でした。
麗しい令和へ 若人の力を ~JRC高校連絡協議会 夏季大会~
さて、その大会でNPO法人「とちぎユースサポーターズネットワーク」の岩井俊宗代表から、「ボランティア活動の可能性と高校生に期待するもの」と題された講演をいただきました。岩井代表は、宇都宮東高校のOBです。高校時代はJRC部(現在の社会部JRC班)で活動されていました。お話を伺い、これからの混迷の時代を生き抜く力は、若い時代の社会的活動によって培われるということを強く感じました。おそらく、岩井代表ご自身の青春がそのように充実したものだったからなのだと思います。
きらびやかな舞台 ~宇東高吹奏楽部 県コンクール~
生徒たちが目の前の舞台上で演奏するその名曲は、どこかで耳にしたことのある調べです。目を閉じれば、舞台の上でバレエの舞踏がきらびやかに繰り広げられているように思えました。
審査結果は銀賞でした。仲間たちと過ごした時間が悔いの無いものであったことは、演奏後の生徒たちの晴れやかな笑顔が物語っていました。
高みを目指して ~中学県総体観戦記~
今年も夏休みに入って、各競技の県大会がたけなわです。教頭先生と手分けして、各会場を回りました。私は、競泳、バドミントン、弓道の応援に行って参りました。
競泳(男子・女子)
7月26日と27日、県南体育館の隣にある県立温水プール館にて競泳の県大会が開催されました。本校からは、男子50m、100m、200m、400m、1500mフリーと女子100m背泳ぎに、4選手がエントリーしました。
それぞれに懸命な泳ぎを見せ、その中で3年生男子が、1500mフリー3位、400mフリでー4位で関東大会出場を決めました。関東大会本番でのベスト更新を期待したいと思います。
バドミントン女子(シングルス)
7月26日清原体育館にて、県大会が開かれました。本校から出場の2年女子は、1回戦を勝ち、2回戦、強豪選手相手に健闘しましたが残念ながら敗退しました。
附属中学校にはバドミントン部はありません。3年の男子選手とともに特例的に宇東高のバドミントン部に所属しており、したがって高校生と練習する機会もありますが、実質的には地域のクラブでの活動に頼っています。その環境の中で、自らを鍛えて頑張ってくれました。
弓道女子
7月29日、屋板の宇都宮市弓道場で開催された県大会に応援に行って参りました。県下の強豪が集う中、トーナメントに残ることはできませんでしたが、一人一人が「この一射」に心を込めて競技に臨んでくれたことと思います。
逆境において ~夏の高校野球2回戦~
1回戦を延長13回タイブレークで勝ち上がった本校野球部は、7月17日(水)、栃木市営球場にて、矢板東高等学校と2回戦を戦いました。奇しくも同じ県立中高一貫教育校同士の戦いとなりました。
この試合には、映画研究部、吹奏楽部、そして応援団の生徒たちが駆けつけ、スタンドで選手たちのプレーを見守り、鼓舞し続けました。今年度も応援団長は女子生徒で、男子校以来の伝統の学ラン姿による応援です。
試合の序盤は、再三の美技でピンチを救った守備陣の頑張りもあり、攻撃でも先制するなど押し気味に進めましたが、5回、エースの利き腕をライナーが襲うという不運に見舞われました。一時治療のためにベンチに下ったものの、続投し、かろうじて満塁のピンチを切り抜けました。しかし、それでなくても前回の試合で2試合分投げていたエースのボールに、球威は戻ってきませんでした。
ただ、そうした不運もあれば逆に幸運も巡ってくるのが「野球」であり、大きく言えば人生です。大切なのは、逆境にあっても雄々しく戦い続けることです。最後まで少しも試合をあきらめようとしなかった選手たちの心の強さを、心から称えたいと思います。
中学総体宇河地区大会観戦記
今年度も、教頭先生と手分けして、宇河地区大会の各会場を回って声援を送りました。私は、ソフトテニス、弓道、剣道の試合会場に赴きました。各会場での中学生たちの姿をレポートします。
熱闘5連戦 ~男子ソフトテニス~
高校生がすぐ隣の清原球場で戦っているとき、中学校男子ソフトテニスは、スタジアムから流れる校歌にも励まされながら団体戦に臨みました。見事シード校を破ってベスト8を決めましたが、宇河地区の出場枠は7校です。順位決定戦まで含めると5連戦に及び、足を痙る選手が何人も出るほどの過酷なサバイバルでした。
残念ながら、結果は8位に終わりました。しかし、この熱い連戦を戦い抜いたことは誇りに思っていいはずです。
スタジアムから流れる校歌は、皆さんの健闘も称えていたのだと思います。
この一射に賭けて ~女子弓道 県大会出場~
女子団体は、13中に5チームが並び、そこに県大会出場ラインも、そして準々決勝進出ラインも設定されるという大接戦となりました。その5チームの一つが宇東Aチームであり、順位を決めるための競射に臨みました。
結局、準々決勝進出はなりませんでしたが、一方で何とか県大会出場権を手にしました。
もし、あの一射を的中させていたら・・・準々決勝に進出できたはずです。逆に、あの一射を外していたら・・・県大会への道は閉ざされていたはずです。
見事準優勝を果たした選手を中心に、皆の力で獲得した県大会への権利です。一射への思いをかみしめ、県大会に臨んで欲しいと思います。
先手先手と ~剣道 県大会出場~
本校の剣道部は、男子も女子も、先手先手と攻める果敢な剣道を見せてくれます。今回も男子個人戦を観戦し、その感を強くしました。
剣道は、男子団体と女子個人・男子個人で1名ずつが県大会出場を決めました。県大会でも攻めの姿勢を忘れすに戦って欲しいと思います。
励まし合って ~女子ソフトテニス~
屋板の運動公園で女子団体戦が行われました。本校チームは2回戦で敗退しましたが、1回戦では勝利を収めることができました。日頃の鍛錬を怠らなかったこと、そしていつも励まし合って戦ってきたことの成果がここに表れたのだと思います。
被害者にも加害者にも ~法律教室~
SNS上に安易にアップしてしまった画像・・・それがどういう結果になるのか。
被害者になる危険性だけではなく、加害者になってしまう危険性にも目を向けなければなりません。それが今の情報化社会に生きる生徒諸君に必要な心構えだと思います。
知的好奇心に導かれ ~中大連携講座~
今年も宇都宮大学の先方のお力添えを得て、中大連携講座が順調に展開しています。演示実験に身を乗り出すその姿からは、中学生たちの知的好奇心が存分にかき立てられていることが感じられます。
水しぶきの向こう ~水球ジュニアオリンピック関東大会 本校開催~
関東全域からの強豪18チームが本校プールに集い、全国ジュニアオリンピックカップ水球競技関東予選会が開催されました。宇東高附属中学校の生徒を中心メンバーとする栃木水連の水球チームは、3勝1敗ながら1位でブロックを勝ち抜けて、見事、全国大会の切符を手にしました。
ホームグラウンドのチームとしてのプレッシャーもあったと思いますが、それに打ち克ちよく頑張りました。全国大会でも、互いの個性を生かし合いながら練り上げたチーム力を信じて、高みを目指して欲しいと思います。
延長13回タイブレークの末の勝利 ~全国高校野球選手権県予選~
13日(土)清原球場にて、那須拓陽高校を対戦相手に1回戦が行われました。
押され気味の展開の中2点を先制された本校でしたが、1点を返し、接戦に持ち込みました。そしてもう後のない9回裏の土壇場で追いつき、延長戦。10回から12回は両校とも無得点のヒリヒリするような守り会いが続き、ついに延長13回、夏の大会では初となる無死1・2塁からのタイブレーク方式となりました。
表の攻撃を無得点で押さえ、13回裏、1死満塁から、ここまで力投を続けてきたエース佐藤の適時打で劇的なサヨナラ勝ちを収めました。
最後まであきらめなかった両校の高校生に、私はいつまでも、いつまでも惜しみない拍手を送り続けていました。
真剣にまたアクティブに ~県立中高一貫校連絡協議会授業参観~
その際に、本校の授業参観があり、本校高校生、中学生の授業の様子を見ていただきました。特に研究授業として準備されたものではなく、日常の授業風景でしたが、そこには、本校生が真剣に学ぶ姿や、ALの視点に立った活発な交流的授業が展開されていました。
大会運営を支えた生徒たち ~全日本VSハンガリー
韓国で開催される水球の世界選手権に向けて小山市で直前合宿中だったハンガリー水球チームと、全日本水球チームの試合が、7月8日、小山市の県立温水プール館で行われました。ハンガリーは水泳の最強国の一つであり、このチームはサッカーで言えばブラジルのナショナルチームのようなものです。
合宿の準備から、試合の運営、片付けに至るまで、本校水球部の生徒たちが陰で支えました。生徒たちにとっても、世界水準の試合が間近で見られたことは貴重な経験になったと思います。11日には、ハンガリーナショナルチームのヘッドコーチから直接ご指導もいただきました。
PTA県外視察研修に同行しました。
恒例のPTA行事「県外視察」に同行させていただきました。今年のコースは、早稲田大学・都庁・NHKスタジオパークでした。
早稲田大学では、キャンパスツアー担当の学生さんに案内され、大隈講堂を出発点に、坪内逍遙像のある演劇博物館(残念ながら工事中で中には入れませんでした)などを見学し、総合学術情報センター(図書館)まで、歴史ある早稲田キャンパスの今の姿を堪能しました。西早稲田にある理工学部については、本校OGの創造理工学部3年生に、バスまで来ていただいて説明を受け、質問にも答えていただきました。今後も研究・開発を深めていくために、一層の研究に励もうとしている彼女の意欲的な姿が、とても印象的でした。
都庁展望台から、建設中の国立競技場を見下ろす
ニュースキャスター体験
スマホと世界と「わたし」 ~高校1年 総合的な探究の時間Ⅱ~
この日は、宇都宮大学より湯本浩之教授をお招きして、「スマホから考える”持続可能な社会”と『わたし』」と題したご講演をいただきました。湯本先生はALの専門家でもあり、対話によって生徒の主体的な姿勢を引き出し、深い学びに導いてくださいました。
世界と自分とが、スマホの存在を媒介として否応なくつながっていることに、しかも通信ネットワークのみならず、スマホの素材そのものによっても深くつながっているということに、驚かされました。
スマホは、一つの「例」に過ぎません。
今回の講義を、一人一人の興味、関心、進路等に応じた自分なりの提言に結びつける契機としてほしいと思います。そのことは、生活意識を変え、あるいは探究力を向上させるだけではなく、自分と世界とのつながり、自分の社会における在り方、自分の進路といったものに対する考えを深めるはずです。
本校会場の春季大会で優勝 英語ディベート部(高校)
本校生たちはPDA部門、Asian部門に参加し、その中でもPDA部門では、「宇東B」チームの三人が優勝を克ち取るなど、複数のチームが入賞しました。また、Asian部門では2年女子が個人での入賞を果たすなど、奮闘しました。
附属中の生徒たち15名も、大会運営に参加するとともに、先輩たちのディベートを参観し、何かをつかみ取ろうと必死に聴き入っていました。
これからは、多文化共生の社会となり、ネイティブではない者同士でも、英語で読み書きをしたり話したり聞いたりしながら仕事や生活をする時代となるでしょう。一方で、将来においては、発達の著しい翻訳ソフトに代替可能な狭い意味での翻訳力は、その相対的価値を変化させていくかもしれません。
英語によるコミュニケーション力に加え、英語で考え、多様な文化や価値観の対立や齟齬を超えて自分の意見を堂々と伝えつつ課題を粘り強く解決していく力。このような学びを通じて、そうした「対話力」も養ってほしいと思います。
臆せず母校の後輩たちに ~教育実習~
存在証明の団体3位 高校テニス ~男子インターハイ予選観戦記~
6月1日、高校テニス男子団体が、インターハイ県予選に臨みました。一回戦から地力を発揮し、シード校を撃破。準々決勝での接戦を制し、準決勝の足利大学附属高校戦まで勝ち上がりました。残念ながらそこでの敗退となりましたが、本年度も、県総体に続き第3位という結果を残すことができました。団体に強い「チーム宇東」の存在証明ができた思います。
特に3年生にとっては、インターハイに手が届かなかったことに、悔いが無いと言えば嘘になるでしょうが、決勝戦への進出をかけて強豪私立高校に挑み続けた戦いの日々、そして何より、必死でボールを追い続けたコート上の三年間は、一人一人にとってかけがえのない時間だったはずです。その姿は、後輩たちの心にしっかりと焼き付き、次の挑戦への意欲につながっています。
個人戦も団結力で ~中学校県大会 弓道~
高1生 新課程「総合的な探究の時間」本格スタート
本校の「総合的な探究の時間」の中心テーマは、”SDGs”(Sustainable Development Goals = 持続可能な開発目標)です。17の目標を入り口として、現実世界の課題に向き合いながら、それぞれの興味・関心、進路・適性に応じた、「一人一人の探究」が期待されます。
攻めを貫いたからこその笑顔 ~中学校県大会 剣道~
雲一つ無い晴天のもと ~体育祭~
5月25日の土曜日、雲一つ無い晴天のもと、体育祭が開催されました。気温30℃を超える猛暑となりましたが、生徒たちは、最後まで元気よく「正」「剛」「寛」それぞれのチームのために頑張りました。多数ご参観くださいました地域・保護者の皆様、そして生徒の健康を気遣いドリンクを配ってくださいましたPTA保健体育部の皆様に、この場をお借りして御礼申しあげます。
一つ一つの競技に全力で臨む生徒たちの姿も心に残りましたが、本年度の体育祭では、生徒たちの手による運営の在り方に感心しました。競技を盛り上げる実況放送など、細部にも工夫が凝らされていたと思います。
特に、休憩時間を十分に確保しつつ、予定よりも早く全競技を終了させた円滑な運営は素晴らしいものでした。この暑さの中でも搬送される生徒が一人も出なかったのは、その御蔭だと思います。通常、生徒主体の運営であれば、集合でもたついたり、用具の出し入れに時間がかかったり、得点集計にやり直しがあったりするのが当たり前なのですが、そうした滞りは一切無く、スピーディーに競技が展開されていきました。
中高合同競技、そして応援合戦では、高校生のリーダーシップが光りました。少ない練習時間の中で、中学生を含め各チームが一体となって盛り上がった合同競技、応援合戦だったと思います。
中間テストからわずか一週間というタイトなスケジュールの中で、意識を高く保ち、体育祭をこのように成功に導いたこと。それは生徒会役員や運営委員のみならず参加者全員が誇りに感じていいことだと思います。
中学宇河地区大会観戦記
5月17日(金)と18日(土)の二日間、各運動部の宇河地区大会の応援に、教頭先生と手分けして、市内各会場を回りました。
熱き血の8(イレブン) ~サッカー~
平出にある栃木SC宇都宮フィールドで行われた宇河地区大会予選に出場した本校サッカー部員は、わすか8名。11人を揃えた対戦校よりも3人少ないという苦しい状況の中で、生徒たちは頑張りました。
攻撃的なディフェンス、相手を上回る運動量、そして、不利な状況下でも決してあきらめない姿勢は、立派だったと思います。0-2というスコアが、皆さんの健闘を証明しています。
切っ先鋭く ~剣道~
男子は団体で県大会出場を決め、私の観戦した男子個人戦では、闘志あふれる試合で、2名が県大会出場権を獲得しました。
女子の団体は、レギュラーの証である白い胴着に身を包み、攻めの姿勢を貫くいい試合を展開しましたが、県大会出場を逃し、悔し涙にくれる姿もありました。その日流した涙は、日々の努力が無駄ではなかったことを、別の機会に教えてくれるはずです。
励まし合って ~ソフトテニス~
ソフトテニスの宇河地区大会は、清原運動公園と、屋板運動場において開かれました。私は、17日と18日に訪れました。男子、女子ともに、得点場面でも、失点場面でも、必ず今のプレーを確認し合い、励まし合う姿が見られました。
県高校総体総合開会式
今年度の県高校総体総合開会式は、5月11日、県総合運動公園のトレーニングセンターで開催されました。生徒会役員の手に掲げられた宇都宮東高校の応援旗も、他校の応援旗とともに健闘を誓いました。
隣の陸上競技場では、陸上部の部員たちが、緊張のレースを控え、ひとときの穏やかな時間を過ごしていました。
「正剛寛」について ~門井慶喜氏講演会「歴史に学ぶ」より ~
門井さんはご講演の中で、校訓の「正・剛・寛」について触れられ、「この中で『寛』ということは難しくて、『寛容』とは、正しくないもの、剛くないものまで許すということです。どこまで寛容に見るかということが、ものを見るときのヒントになると思います。」と、生徒たちに語りかけてくださいました。
価値の多様化が進行し、情報は膨大なものとなり、人工知能が様々な判断に関与してくるであろうこれからの未来社会に生きる生徒の皆さんにこそ、門井さんの語る「正・剛・寛」のとらえ方は重要になってくると思います。
高校テニス県総体観戦記
本校の男子テニス部は、昨年度も団体で県のベスト4にたびたび顔を出すなど、公立の強豪の一つです。
私の観戦した個人戦でも、薫風吹き渡る中、各々がのびのびと個性を発揮し、あるいは息の合ったプレーを展開し、次々と上位進出を決めていました。
団体では、惜しくも関東大会出場代表決定戦で敗れましたが、2年連続での3位を獲得するなど、健闘しました。
高校サッカー県総体兼関東大会予選 3回戦観戦記
予想通りの早い展開に翻弄される場面も数多くあり、結果的には0-5で敗退しましたが、一方、得点機も何度か作ることができました。特に、ハーフタイムを挟む20分間は、緊迫した試合展開ができたと感じました。
選手たちは、全国レベルの力とはどのようなものなのか、自分たちに足りないものは何なのか、はっきりと捉えることができたはずです。それは、次につながるとても貴重な経験です。
交流する力でミッションを ~中1宿泊学習~
4月19日~21日、附属中学の1年生が2泊3日の宿泊学習を行い、私も(日帰りでしたが)19日と20日の二日間参加しました。
初日は、帝京大学の宇都宮キャンパスにて、情報電子工学科長の荒井正之教授からコンピュータビジョンについての講義を受けました。先端技術のお話に、生徒たちの知的好奇心や探究への興味は大いに喚起されたと思います。講義後の質問では、「AIが感情を持たせることはできますか?」といった質問が相次ぎました。生徒たちが主体的に話を聞いていたということが、その質問から感じられました。
その後は、格納庫で航空宇宙工学科の先生方から航空機の解説を聞きました。コックピットに試乗するという貴重な体験をする機会もありました。
二日目以降の活動場所は冒険活動センターとなります。午前中の野外炊飯では、生徒たちはカレー作りに挑戦しました。分業と協力により、段取りよく調理を進めることができました。中には、なかなか火を大きくすることができなかった班もありましたが、「会話」と「対話」の力で工夫を重ね、太い薪にも燃え移らせることができました。
新緑の中で味わう自分たちで作ったカレーライスは、最高のご馳走でした。
午後は、イニシアティブゲーム、ニュースポーツ、ウォークラリーに分かれて活動しました。例えば、イニシアティブゲームでは、各人の体験や、体力、体格的特徴などをもとに作戦を話し合い、次々とミッションをクリアしていきました。
共同で何かを作り出すためには、まず交流することが大切であることを実感した体験だったと思います。
自らの安全を自ら ~交通安全指導~
特に、中学1年生にとっては初めての自転車通学となります。高校生徒会長の挨拶にもあったように「自らの安全を自らが守る意識」を持つことが大切なのだと思います。
3つのCを目指した探究の日々 ~iP-U修了式参列~
修了式に先立って実施されたポスターセッションでは、本校生も探究活動の成果を熱心に説明していました。
修了証書の授与式では、本校の高校1年生(30年度本校附属中学校中学3年生)が代表として証書を授与され、宇都宮大学の石田学長と握手を交わしました。
全員が、修了の証でもあるスカイブルーのリボンを首に掛け、とても誇らしげな表情でした。
石田学長のご挨拶のお言葉の中にもあったように、一人一人が
Challenge 挑戦
Change 変化
Contribution 貢献
に取り組んだ日々であったことがうかがえます。
春季高校野球地区予選観戦記
4月6日、本校野球部は1回戦の高根沢高校戦に臨みました。私も清原球場で行われたその試合を観戦しました。
1回表に先制した本校でしたが、5回に逆転を喫し、最後はそのまま押し切られてしまいました。序盤と終盤が緊迫した守り合いだっただけに中盤の失点が悔やまれますが、選手たちにとってはこれもこの上なく貴重な経験になったと思います。
ピンチでも声の掛け合いを忘れない明るいチームです。夏に向けて、今後の成長がとても楽しみです。
鵬(ほう)の視点 ~入学式式辞より~
半世紀前、アメリカの宇宙船アポロ11号が、月面に到達したとき地球以外の天体に立った初めての人類がニール・アームストロング船長です。「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ。」という言葉が有名ですが、その偉業が達成されたときの次ような言葉が残っています。
「平和を望む人々、探究心と好奇心を持って 未来を目指す人々、彼らを代表してここに立っていることを、とても光栄に思います。」
もしかすると、「探究心と好奇心を持って未来を目指す人々」という 全人類的な視点は、別の天体からこの青い地球を眺める、という新たな視点の獲得から生まれたものなのかもしれません。皆さんの「探究心と好奇心」という知性の翼を、この宇都宮東高等学校、附属中学校で存分に育て欲しいと思います。
さて、アポロ11号から一世紀前には、ジュール・ヴェルヌによる『月世界旅行』が刊行されました。さらに遡ること約三世紀。シラノ・ド・ベルジュラック作の『日月両世界旅行記』が刊行されました。
さらに、遡ること二千年、中国の思想家「莊子」は、想像上の大鳥である「鵬(ほう)」について次のような予言的な言葉を残しています。
天の蒼蒼たるは其れ正色なるか。(天が青いのは空そのものの色なのだろうか。)
其れ遠くして至極する所なければか。(それともどこまでも果てるところが無いから青く見えるのか。)
其の下を視るや、亦是くの若くならんのみ。(九万里の彼方に舞い上がった鵬が、その視点から下を見るならば、地上は、空と同様に青く見えているに違いない。)
どんな偉業も「想像すること」あるいは「夢見ること」無しには誕生しないものなのかもしれません。
次の時代「令和」では、間違いなく人工知能(AI)や遺伝子工学などの先端科学が劇的に進化し、人類は次の一歩へと歩み出すでしょう。産業や生活が一変するだけではなく、そうした技術を使って人間が何を求めるべきなのか、あるいは、そもそも人間とは何者なのかという、本質的な問いが私たち突きつけられてくるでしょう。いずれにせよ、皆さんが将来専攻するであろう学問は、それが何であろうとも、人類の次の一歩につながっているはずです。宇都宮東高等学校、附属中学校で、自分自身の関わり方を探して欲しいと思います。
アームストロング船長は、次のような言葉も残しています。「私たちが月に行くのは、『挑戦(チヤレンジ)する』ということが、人類の根元的な性質であるからだと思います。それは、人間の魂の中で 奥深くにある性質です。私たちは挑戦(チヤレンジ)をせずにはいられないのです。」
この「挑戦(チヤレンジ)をせずにはいられない性質」もまた、皆さん一人一人の心に息づいているはずです。
失敗をしないためには挑戦をしなければいいわけですが、自分ら挑戦すること無しに、成長や成功はもたらされません。特に、「学校」という空間は、「失敗することの許される場所」むしろ「チャレンジして失敗することが求められる場所」であるはずなのです。
(平成31年4月5日 入学式式辞より)
水温12℃のプールで ~水球部練習風景~
春休み満開の桜の下 ~宇東高部活動風景~
中には、入学式前の附属中学校卒業生が高校生とともに活動をする、あるいは、部として附属中学校と高校が合同の練習をするなど、中高一貫校ならではの風景も見られました。
顧問の先生も一緒に走る(バドミントン部)
中・高合同で練習 中学生に球出しをする高校生(ソフトテニス部)
格技場にて猛稽古(中・高剣道部)
入るか?3ポイント(バスケットボール部)
ナイススパイク!(バレーボール部)
まずは入念にストレッチ(陸上競技部)
桜並木を背景に(サッカー部)
満開の桜の下、白球を追う(野球部)
桜並木に向かって打て!(附属中学野球部)
本番さながらに(弓道部)
心静かに筆を運ぶ(書道部)
コンサートが終わっても気を緩めません(音楽部(中))
光は東方より ~宇東高及び同附属中音楽部主催「EAST MUSIC CONCERT」~
光は東方より・・・
かつて、光り輝く文化の中心であった古代ローマでは、自らの文化の源が古代ギリシャ、あるいはさらに東方のエジプト、メソポタミアといったオリエント(=日出づる方角)にあると自覚していました。
そして、光溢れる絵画を描こうとした19世紀フランスの印象派の画家たちは、世界の最も東端にある日本の浮世絵からインスピレーションを受けていました。
古く中国でも、日出づる方角である「東」は、春を表す方角でもありました。
「東」の生徒たちの奏でる音楽が、光溢れる爛漫の春を呼び寄せてくれますように。
(3月24日 パンフレット 巻頭のご挨拶より)
「フラクタル形状」との出会い
先日、スーパーの野菜売り場で、不思議な野菜を見つけて、そのまましばらく見入ってしまいました。ロマネスコという野菜です。私はお料理では食べたことがあるのですが、野菜としての実物を見るのは初めてでした。ブロッコリーの白っぽいものといった感じで、カリフラワーに似ていますが、これが実に見事な「フラクタル形状」をしているのです。こんなに理想的なフラクタル形状を見たことはありません。ロマネスコを持ったまま野菜売り場に立ち尽くしていると変なおじさんだと思われかねませんので、買って帰り、家で茹でて食べました。
さて、その「フラクタル形状」とは、部分と全体が相似形になっている形状を言います。部分と全体が相似形になっている、つまり、拡大しても縮小しても同じ形に見えるということです。
ロマネスコの場合、白い小さな花が無数に集まって円錐状の突起になっていて、枝のようにくっついてできている野菜なのですが、そのひとつの円錐の枝をよく見ると、そこには、さらに小さな円錐状の突起が無数に付いているのです。
では、どうしてロマネスコはそんな形をしているのでしょうか?・・・ <中略>
螺旋と言えば、実はロマネスコの大きな円錐にも、小さな円錐もにも螺旋が隠されています。花が円錐状の枝になっていると言いましたが、その円錐を上から、(つまり頂点の方から)見ると、渦巻きが見えます。
この、渦巻は、自然界にはたくさん発見することができます。例えば、・・・・ <中略>
言いたかったのは、自然の中には、普段は気付かない不思議な現象や、目に見えない原理がたくさん隠れているということ、そして、意識を高くしていれば、そうした不思議に気付くことができるということです。
<中略>
平成の時代が終わるのも、もう間もなくです。平成の時代は大きな災害の多い時代でもありましたが、急速に人工知能や情報機器の発達した時代でもありました。IPS細胞の医療現場への実用化など生命科学も大きく発展しようとしています。平成の次の時代はどのような時代となるのでしょうか。
その時代を担う皆さんが、新年度に向けて、そして次の新たな時代に向けて力強い一歩を踏み出せるように、一人一人が心を新たにして、意識を高く保ち、春休みを迎えてください。
(修業式 講話より)
その一部(渦巻きを持つ円錐状の突起)を切り取っても同じ形
そのまた一部も同じ形。さらに同じ渦巻きを持つ円錐状の小さな突起が見える
金木犀と銀木犀 ~「ひむがし」より~
金木犀と銀木犀 若杉 俊明
十月のあるよく晴れた日の朝、出勤すると、校庭が芳しい香りに満ちていることに気付いた。毎年この季節になると必ずどこかで巡り会うあの香りである。そのお陰で、校域全体が明るさを増しているようにも感じる。
香りの主はすぐにわかった。本校の中庭の池のはたに立つ金木犀である。その堂々とした姿は、校長室からよく見える。まだ咲きはじめの黄金色の小さな花の群れが、つややかな常緑の広葉を背に黄金色に光っている。
もし我々人類(ホモサピエンス)が、視覚優位の生物ではなく嗅覚優位の生物だったとしたら、日本人はおそらくこの季節に、この花の下で花見(花嗅ぎ?)の宴を開くであろう。
金木犀は香る花の王である。
数日の後、花は満開となったが、香りはむしろ「残り香」とでも言った方が良いくらいのかすかなものになっていた。金木犀は、咲きはじめに最も強く香るのかもしれない。
しかし一方でその小さな花々は、いよいよ葉の緑とのコントラストを鮮明にして、秋の日差しを受けて生き生きと輝き続けていた。
そして十一月の小雨降る日の夕方、学校から帰ろうとすると、暗がりの中からかすかに甘やかな香りがする。金木犀に似ているが、もっと葛の花などに近い、まろやかな香りである。どこか味覚を刺激されるかのような独特の香りに心惹かれた。
夏から秋にかけて咲く葛であるはずはない。何の花の香りなのだろう。
水銀灯の光を頼りに周囲を見回してみたが、それらしい樹は見当たらない。翌朝探索することにしてあきらめて帰宅の途についた。
翌朝出勤すると、玄関のすぐ脇に、小さな白い花を無数に付けた樹が立っている。これだけの大樹でありながら今まで気にしたこともなく、これだけ花が開いた後でも今日までその開花に気付くことは無かった樹である。
昨日の香りの主はこれではないかと思ったが、近づいてみても昨日ほどの香りを感じない。人間は視覚が制限される闇の中でないと嗅覚が鋭敏にらないためだろうか。それほどのかすかな香りだったのであろう。
私は、周囲の人目をはばかりながら、一枝手折ってみた。鼻先に近づけてみるとまさに昨晩のあの香りである。
その枝を図鑑と照らし合わせてみると、銀木犀であろうと思われる。一部の葉の周囲に柊(ヒイラギ)のような突起が付いているところからすれば同じモクセイ科の柊木犀、あるいは丸葉柊かもしれない。葉の色は黒ずんだ緑であり、柊や金木犀のような光沢を有していない。花だけではなく、葉も地味なのである。おそらく実を付けたとしても、その実は、クリスマスに飾られる柊の実のような鮮やかな朱などは含んでいないように想像された。
しばらく観察を続けてみようと思い、ガラス瓶を探して手折った枝を活けてみた。顔を近づけて初めて感じる程度のかすかな香りは、その後もしばらく失われなかった。
そして、数日後のある霧深い日の帰宅時である。玄関脇の銀木犀は、数日前と同じくらいにかすかに、しかし甘やかに、周囲の暗がりの中へとその香りを広げていた。
金木犀のような在り方もある。
銀木犀のような在り方もある。
(宇都宮東高等学校・同附属中学校生徒会誌『ひむがし』より)
金木犀
銀木犀(柊木犀、もしくは丸葉柊か)
三月の寒風の中 ~宇東水球部、始動~
梅の花が散り初めた弥生の月半ば、風はまだ冬の名残を留めていますが、もうプール掃除を初めていました。既に夏へ向かって始動しています。
暮れなずむ春空の下 ~高1 奉仕活動~
一人一人にとっての黄金の釘 ~中学校卒業式~
劫初(ごうしよ)よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金(こがね)の釘一つ打つ (与謝野晶子)
誰もが高い建物や広い庭を造れるわけではない。でも、ただ、そこに住まわせてもらっているだけじゃない。自分もその「つくり営む」人間の一人である。自分は、(文学という美の殿堂に)たった一本の釘を打つことぐらいしかできない小さな存在かもしれないけれども、でもその一本は、紛れもない価値を持つ「黄金」の釘なのだ、という自負。それが与謝野晶子の思いでしょう。 <中略>
高校の3年間は、一人一人の人生にとっての「殿堂」とそこに打つ「黄金の釘」が一体何なのかを見つける時間でもあるのだと思います。
皆さんの高校生活に、そして未来に、「幸多かれ」と祈念し、卒業式に当たっての校長式辞といたします。
(3月15日 宇都宮東高校附属中学校 卒業式式辞より)
梅花匂う春の日・・・高校合格発表
皆さんの高校生活が、実り多きものとなりますように。
幽玄の舞い ~能楽教室~
" Silence is not gold " ~English Camp at Windy Nasu~
私も、最終日のプレゼンテーションを見に、那須高原に上りました。生徒の工夫された表現と自信に満ちた態度、そして外国人講師の先生方への心遣いに胸を打たれました。
永久(とわ)に幸あり ~宇都宮東高等学校卒業式~
「偶然は構えのある心にしか恵まれない」
その「構え」が、出会いに気づくセンサーの感度を上げるはずです。幸運の神は、知的好奇心の旺盛な者、人生に対して誠実な者に好意的なはずなのです。
「正しく 剛く 寛く」あろうと誠実に高校生活を送った皆さんの人生に、幸運な出会いがもたらされますように。そしてその出会いによって生み出された価値が、皆さん自身の人生と、皆さんを取り巻く人々や社会の未来に、永久(とわ)に幸(さち)をもたらすよう祈念して、式辞といたします。 (3月1日 卒業式 校長式辞より)
宮っ子表彰・義務教育9年間皆勤賞表彰式
市内全体でも62名しか該当者がいません。まだ抵抗力も体力もない小学校低学年からの皆勤は、本当に希有のことなのだと思います。
情報モラル・セキュリティーコンクール栃木県警本部長賞受賞
日々の技術革新とともに新たなアプリも生まれ、それに伴って思ってもみなかった事態が生じるのがSNS等の今のネット事情です。ただ、どのような時代になろうとも、その基本にあるのは、先ずは「自分を大切にする」こと、そして同様に「他人を大切にする」ことなのだろうと思います。
学習リレバンスを高める ~中大連携教養講座 Ⅲ~
本年度も、宇都宮大学の先生方を講師にお迎えして、中大連携教養講座が、1年・2年・3年の各学年毎に3回ずつ開催されました。
生徒たちは、目の前で起きる不思議な現象に手をたたき、歓声を上げ、そして、深く考えていました。科学の実生活における意義、さらには、日々の学習の有意味性(リレバンス)を十分に実感したことと思います。理科系に進む生徒は言うまでもなく、すべての生徒にとっての学習動機へとつながる「学問体験」でした。
スマホの充電から、電気の学びを深める。。
結晶の形ってこんな感じ?
「すごい!! 浮いてる!」「いや、これは浮いているんじゃなく・・・」
性を通じて生命・人生・生活を考える ~中1・中3・高3 性教育~
本年度も、それぞれ別日程にて、中1・中3・高3生を対象に、助産師の相田先生をお招きしての性教育の講義が行われました。
中学校・高校という時期は、生徒自身の性も、それを受け入れる心とともに大きく変化する時期です。中学生は、「性」が、生命そのもの、生きることそのもの、生き方そのものと深く関わるものであることを学びます。もうすぐ社会に出る高校生は、「性」への関わり方によって人生や現実生活が大きく左右されることを具体的に学びます。
この一連の性教育の学習を概観してみて、(あたりまえのことなのですが)生徒の発達段階に応じたカリキュラムの階梯性があるのだということを、改めて実感させられました。
(写真は中3「いのちの授業」の中での性教育より)