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2019年7月の記事一覧
歴史研究部:現地調査の報告
今回は、部員の皆さんが作成した現地調査の成果と撮影した写真をHP上で紹介します。この成果は、来る8月17日(土)に開催される栃木県考古学会で口頭発表されるほか、奈良大学全国高校生歴史フォーラムの応募用の原稿として一部が使用されるそうです。
<現地調査の報告>
歴史研究部では、昨年度から「泉川条里跡」および「新井村の新田開発」について研究しています。本日はこれらの研究を更に深めるために、錦着山から箱森町・泉川町・新井町にかけて、現地調査を行いました。
錦着山には栃木市長・小根澤登馬雄氏の胸像がありました。裏側のプレートから、赤津川放水路建設を進めた市長であったことが分かります。
錦着山の麓を流れる「風野堀」です。本日は、古代条里制の遺構である「泉川条里跡」の主要な農業用水だったのではという仮説を検証するため、これから歩きます。
「風野堀」に「道切りの幣束」が捧げられていました。「風野堀」が風野村・箱森村と泉川村・新井村の境界であったことを示しています。
振り返ると、「風野堀」が錦着山にまっすぐ向かっていることに気が付きます。錦着山から真北に向かうこのラインが、条里制施行時の基軸線であり、錦着山がそのランドマークだった可能性があると、現地でふと思いつきました。
『風野堀』沿いに石仏が祀られていました。如意輪観音像などの十九夜塔で、年号を読むと、江戸時代の後半から明治時代の造立であることが分かりました。
現在の「はこのもり風野公園」です。このあたりが旧風野村の中心であったようです。また明治9年の地籍図では、字名が「元新田」となっていました。
新井町の南端、赤津川放水路の土手の上から、南の錦着山を望んだところです。このあたりは、条里制の方格地割が最も良く残っています。
赤津川放水路です。「風野堀」はこの写真の波立っているあたりで、サイフォンの原理を用いて放水路の下をくぐっています。
私たちが『地誌編輯材料取調書』新井村で確認した「天神堀」は、下流では「風野堀」と呼ばれていたことに、間違いないようです。
本日の現地調査によって、「風野堀」は「泉川条里跡」を縦断する主要な用水路であったことが確認できました。
学悠館高校の屋上から四方を眺めてみました。
気温は、30℃を上回っているはず。それに、屋上を覆うコンクリートの照り返しも加わり、とても暑く感じました。
学悠館では、ふだん屋上を開放していません。今回、機会があって、屋上に上ることができました。まずは、四方を眺めてみました。
●西 太平山が正面に見えます。左下には、栃木駅のプラットホーム。そして、屋上の太陽光発電パネル。
●東 右端には、加波山。中央から左と、やや右手には、かすかに白い巨塔が見えます。
●北 白色や灰色の雲が幾重にも重なって、男体山を見ることはできませんでした。
●南 中央にある2本の送電用鉄塔。この右側の鉄塔のすぐ右下に、とても小さく見えるのが東京スカイツリーです。
屋上には、冷房用冷却塔や太陽光発電パネル、避雷針などが所狭しと並んでいました。
※画像は、すべて7月26日(金)午後2時ごろ撮影したものです。
総合的な探究・学習の時間 データ更新
本HPのトップページ-左カラムにあるメニュー-定時制-教育課程からご覧になることができます。
今まで実施されてきた「総合的な学習の時間」に替わって、本年度の1年次生から新たに「総合的な探究の時間」が教育課程に位置づけられました。今回は、このことをふまえて、HPの掲載内容をアップデートしました。
定時制課程の設置科目 データ更新
本HPのトップページ-左カラムにあるメニュー-定時制-設置科目からご覧になることができます。
今回の更新では、これまで定時制-教育課程に掲載していたデータを移行。さらに令和元年度版にアップデートしました。
多彩な教科・科目が設置されていることをご確認いただけます。第3回「寺子屋みらい」:蘇れ!足尾の緑① 出発
出発に先立って、エントランスホールでは、今回の団長を務める飯田道彦校長先生の挨拶、担当者による日程等の確認などが行われました。
予定では、10時45分に足尾環境学習センターに到着。山へ移動した後、「足尾に緑を育てる会」の皆様のご協力のもと、植樹体験することになっています。
帰途、富弘美術館を見学。学悠館高校に戻るのは、午後5時ごろになる見込みです。
今回の活動の詳報は、後日HP上に掲載する予定です。