定時制の出来事

第2回「寺子屋みらい」:体験学習③ 陶芸体験

 第2回「寺子屋みらい」では、3種類の〝体験学習〟が企画されています。
 7月26()うづま焼き工房(栃木市入舟町)では、定時制生徒3人が参加して、“陶芸体験”にチャレンジしました。
 


 初めに、陶芸の基本を学んだ後に、さっそく「手びねり」による作品制作に取り組みました。

 生徒の皆さんは、「手回しろくろ」の前に着席。まず底の部分を作り、棒状に細く伸ばした土を底部のふちに沿って輪積みしていきました。へらを用いて接合したり、細工を施したりしながら、少しずつ作品が出来上がっていきました。

 


 作品は、湯飲み茶碗・はし置き・小皿など。この後、乾燥・窯焼きなどの工程を経て、焼き上がった作品は生徒の皆さんに手渡されることになっています。

 毛塚先生には、丁寧にご指導をいただきました。ありがとうございました。
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第2回「寺子屋みらい」:体験学習② 乗馬体験

 第2回「寺子屋みらい」では、3種類の〝体験学習〟が企画されています。
 7月26()()小山乗馬クラブ大沼(小山市羽川)では、定時制生徒3人が参加して、“乗馬体験”にチャレンジしました。
 


 参加した3人は、馬が大好きな生徒ばかり。この日をとても楽しみにしていました。馬を、初めて間近に見た生徒は、体の大きさにとても驚いている様子でした。
 実際の乗馬体験では、姿勢の保ち方、駆け足をする時のタイミングなどを丁寧に教えていただきました。
 


 

 馬に乗ったり、世話をしたり、触れたり……。おかげさまで、生徒の皆さんはとても貴重な体験ができました。ありがとうございました。
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JRC部:高校生ボランティア・アワード2019① 準備・出発

 7月29()30()、パシフィコ横浜で開催される〝高校生ボランティア・アワード2019に、学悠館高校JRC部の皆さんが3年連続して出場します。

  

 7月22()からは、配付物・掲示物の作成、発表練習など、ボランティア・アワード直前の準備に取り組んできました。26()は、配付物の袋詰めや三角巾のアイロンがけ、持参物・日程・留意事項の最終確認などを行いました。

   

  

 

 7月29()、8時前の新幹線で小山駅を出発。9時半には、宿舎の最寄り駅の桜木町に到着しました。この後、みなとみらい地区にある会場に向かいます。受付・記念撮影・ブースの発表準備を済ませた後に、正午からは開会式に臨むことになります。

 ボランティア・アワードは明日の午後までの予定で、ブース発表大会やシンポジウムなどの催しが行われます。なお、ブース発表大会の模様は、TOKYO MXテレビ視聴アプリ「エムキャス」からご覧になることができるそうです。
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歴史研究部:現地調査の報告 

 7月25()歴史研究部の皆さんが、錦着山(きんちゃくさん)から箱森町・泉川町・新井町付近の現地調査に出かけました。

 今回は、部員の皆さんが作成した現地調査の成果と撮影した写真をHP上で紹介します。この成果は、来る8月17()に開催される栃木県考古学会で口頭発表されるほか、奈良大学全国高校生歴史フォーラムの応募用の原稿として一部が使用されるそうです。

<現地調査の報告>

 歴史研究部では、昨年度から「泉川条里跡」および「新井村の新田開発」について研究しています。本日はこれらの研究を更に深めるために、錦着山から箱森町・泉川町・新井町にかけて、現地調査を行いました。

 錦着山には栃木市長・小根澤登馬雄氏の胸像がありました。裏側のプレートから、赤津川放水路建設を進めた市長であったことが分かります。


 錦着山の麓を流れる「風野堀」です。本日は、古代条里制の遺構である「泉川条里跡」の主要な農業用水だったのではという仮説を検証するため、これから歩きます。

 

 「風野堀」に「道切りの幣束」が捧げられていました。「風野堀」が風野村・箱森村と泉川村・新井村の境界であったことを示しています。

 

 振り返ると、「風野堀」が錦着山にまっすぐ向かっていることに気が付きます。錦着山から真北に向かうこのラインが、条里制施行時の基軸線であり、錦着山がそのランドマークだった可能性があると、現地でふと思いつきました。

 

 『風野堀』沿いに石仏が祀られていました。如意輪観音像などの十九夜塔で、年号を読むと、江戸時代の後半から明治時代の造立であることが分かりました。

 

 現在の「はこのもり風野公園」です。このあたりが旧風野村の中心であったようです。また明治9年の地籍図では、字名が「元新田」となっていました。



 新井町の南端、赤津川放水路の土手の上から、南の錦着山を望んだところです。このあたりは、条里制の方格地割が最も良く残っています。


 赤津川放水路です。「風野堀」はこの写真の波立っているあたりで、サイフォンの原理を用いて放水路の下をくぐっています。
 私たちが『地誌編輯材料取調書』新井村で確認した「天神堀」は、下流では「風野堀」と呼ばれていたことに、間違いないようです。

 

 本日の現地調査によって、「風野堀」は「泉川条里跡」を縦断する主要な用水路であったことが確認できました。

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学悠館高校の屋上から四方を眺めてみました。

 台風が少しずつ近づいているせいか、雲の流れはとても速く見えました。学悠館高校の屋上でも、強い風が吹いていました。

 気温は、30℃を上回っているはず。それに、屋上を覆うコンクリートの照り返しも加わり、とても暑く感じました。

 学悠館では、ふだん屋上を開放していません。今回、機会があって、屋上に上ることができました。まずは、四方を眺めてみました。

西 太平山が正面に見えます。左下には、栃木駅のプラットホーム。そして、屋上の太陽光発電パネル。


東 右端には、加波山。中央から左と、やや右手には、かすかに白い巨塔が見えます。


北 白色や灰色の雲が幾重にも重なって、男体山を見ることはできませんでした。

 

南 中央にある2本の送電用鉄塔。この右側の鉄塔のすぐ右下に、とても小さく見えるのが東京スカイツリーです。


 屋上には、冷房用冷却塔や太陽光発電パネル、避雷針などが所狭しと並んでいました。

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※画像は、すべて7月26()午後2時ごろ撮影したものです。

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